今回は新宿区の戒行寺(かいぎょうじ)坂について取り上げてみたいと思います。
場所は、前回取り上げた闇坂【NO.430】から東へ徒歩2分で、最寄り駅でいえば、JR四ツ谷駅やJR信濃町駅です。

戒行寺坂【NO.431】1+
写真1

まずは坂下あたりの様子など。 (写真1)
坂下あたりはそれなりな傾斜の坂道でした。

写真1の左は、懐かしい感じの街並みですが、今はモダンなマンションになっています。
たしかマンションが建ってからもさらりとこの坂道を訪れて写真を撮った記憶あるんですが、みつからないので、この写真を使ってみました。
またあれば追記で取り上げるかもしれませんが、とりあえず。

戒行寺坂【NO.431】2+
写真2

中腹あたりから坂上方向を見てみました。 (写真2)
このあたりから傾斜は急になってきました。
左側の石垣が印象的でしたね。

戒行寺坂【NO.431】3+
写真3

坂上あたりからの眺めです。 (写真3)
かなりの高低差でした。
建物でいうと4階分くらいはありそうでしたね。

また写真3でも見えているとおり、ここには坂名の由来が書かかれている坂の碑があったので、そのまま抜粋させていただくとですね、
『戒行寺の南脇を東に下る坂である。坂名はこの戒行寺にちなんでいる(「御府内備考」)。別名「油揚坂」ともいわれ、それは、昔坂の途中に豆腐屋があって、質のよい油揚げをつくっていたからこう呼ばれたという(「新撰東京名所図会」)。 』

別名の「油揚坂」ででてきた豆腐屋いつ頃まであったんでしょうね。

戒行寺坂【NO.431】4+
写真4

こちらは、戒行寺坂の由来ともなっている戒行寺の入り口です。 (写真4)
位置的には、写真3のすぐ左側にありました。

戒行寺は公式HPもあり、そこには『妙典山戒行寺は文禄4年(1595年)麹町に建立され、寛永11年(1643年)江戸城外堀工事に伴い現在地に移転しました。境内には「鬼平犯科帳」のモデルとなった長谷川宣似(平蔵)の供養碑もあります。 』と書かれてありました。

このあたりのお寺はどうも江戸城外堀工事に伴い現地に移転してきたという話が多いような気がしますね。
またそのことについても、坂道を歩きながら気がついたことでもあればこのブログでおいおい報告してみたいと思います。
あとは「鬼平犯科帳」、テレビはおろか池波正太郎による小説もまだ読んだことないですけど、説明ででてくる長谷川宣似は主人公のことみたいですね。

戒行寺坂【NO.431】5
画像

最後は、江戸名所図会の「日宗寺 戒行寺 汐干観音 」です。
タイトルに”戒行寺”とあるとおり、江戸時代の戒行寺も描かれていて、絵でいえば左側のお寺がそれですね。
そして、戒行寺坂のほうは、わかりにくいですけど、江戸切絵図(古地図です)と見比べてみると、どうやらこの絵は、戒行寺の北東側にある西念寺あたりから見ているものをすこしデフォルメしているように見えますね。
なので戒行寺の左側には道が描かれていて、そこを3人組と一人者が歩いていますけど、そこがどうも戒行寺坂の可能性が高いですね。

ということで、けっこう前の写真での紹介となりましたが、今回はこんな感じです。

地図
新宿区須賀町

関連リンク:
→ 妙典山 戒行寺|日蓮宗 寺院ページ
→ 闇坂【NO.430】/新宿区須賀町+ 信濃町 - 東京坂道さんぽ