NO.429
坂名:須賀神社女坂
住所:東京都新宿区須賀町+若葉町
今回は、新宿区の須賀神社女坂について取り上げてみたいと思います。
場所は、東京メトロ丸ノ内線・四谷三丁目駅からの南東側エリアにある須賀神社の境内の階段です。
なお同じ須賀神社の境内にある須賀神社男坂(NO.284)はすでに取り上げていたりします。
須賀神社男坂(NO.284)は、アニメ映画「君の名は。」の聖地ですけど、こちらの女坂は劇中ではでてこなかったはずですね。

写真1
まずは坂上からの様子など。 (写真1)
神社にある女坂はスロープのパタンが多いんですけど、ここは階段でしたね。
形状もクランク状で、直接的には坂下あたりも見えないのは、歩いてみると楽しいかも。

写真2
すこし下り、中腹あたりの踊り場を見てみました。 (写真2)
階段の形状とあわせて、このあたりからは遠くの景色も見えていました。
なんとなく写真映えする坂道風景かもですね。
ちなみにここには、坂名の由来が書かれているような坂の碑はありませんでしたが、「今昔東京の坂」にここが女坂ということが書かれてありました。

写真3
一気に坂下まだ降りてきて、坂上方向見てみました。 (写真3)
踊り場や途中の石垣が立派でしたね。
なお須賀神社についても軽く触れておくとですね、御由緒については公式HPにいろいろ書いてあったので、気になるところを一部抜粋させていただくとですね、
『今の須賀神社はもと稲荷神社でした。その稲荷神社は、往古より、今の赤坂、一ツ木村の鎮守で、清水谷に有ったのを、後寛永十一年に江戸城外堀普請のため、当地(現在地)を替地として拝領し、移し奉ったものと伝えられています。
(略)
社名の須賀とは、須佐之男命が出雲の国の簸の川上に八俣の大蛇を討ち平らげ拾い「吾れ此の地に来たりて心須賀、須賀し」と宣り給いて、宮居を占め給いし故事 に基づき名付けられた名称です。
往古の御社殿はつまびらかではありますが、戦災前の御社殿は、文化十一年八月に起工し、十五年の歳月をついやして文政十一年十二月に竣工したものです。大正十二年九月一日の関東大震災めでは江戸名所図会に描かれたままの姿でありました。昭和二十年五月二十四年の東京大空襲の折り、御本殿並びに御内陣と境内摂社を残した外一切の建物を失いましたが、戦後、氏子崇拝者の赤誠(せきせい)に依って 今日の復興を見ることが出来ました。
(略)』
とありました。
元々は赤坂にあったみたいですが、やはり古くからある神社のようですね。
ただ東京大空襲でだいぶダメージを受けたみたいですね。

画像
最後は江戸名所図会「四谷牛頭天王社」です。
御由緒の「大正十二年九月一日の関東大震災めでは江戸名所図会に描かれたままの姿でありました。」という一文が気になって調べてみたところ、どうやらこの絵は、いまの須賀神社の江戸時代の様子を描いたものみたいでしたね。
名前が今と違っているので気がつきませんでしたね。
絵については、一番下に描かれている階段が、須賀神社男坂(NO.284)ということみたいです。
ただ今回の女坂については、位置的には中央右側にあるはずなのですが、昔はなかったのか、はたまた樹木で隠れてみえないのかわかりませんけど、女坂は描かれていませんでしたね。
ということで、けっこう前の写真での紹介となりましたが、今回はこんな感じです。
地図 :新宿区須賀町+若葉町
関連リンク:
坂名:須賀神社女坂
住所:東京都新宿区須賀町+若葉町
今回は、新宿区の須賀神社女坂について取り上げてみたいと思います。
場所は、東京メトロ丸ノ内線・四谷三丁目駅からの南東側エリアにある須賀神社の境内の階段です。
なお同じ須賀神社の境内にある須賀神社男坂(NO.284)はすでに取り上げていたりします。
須賀神社男坂(NO.284)は、アニメ映画「君の名は。」の聖地ですけど、こちらの女坂は劇中ではでてこなかったはずですね。

写真1
まずは坂上からの様子など。 (写真1)
神社にある女坂はスロープのパタンが多いんですけど、ここは階段でしたね。
形状もクランク状で、直接的には坂下あたりも見えないのは、歩いてみると楽しいかも。

写真2
すこし下り、中腹あたりの踊り場を見てみました。 (写真2)
階段の形状とあわせて、このあたりからは遠くの景色も見えていました。
なんとなく写真映えする坂道風景かもですね。
ちなみにここには、坂名の由来が書かれているような坂の碑はありませんでしたが、「今昔東京の坂」にここが女坂ということが書かれてありました。

写真3
一気に坂下まだ降りてきて、坂上方向見てみました。 (写真3)
踊り場や途中の石垣が立派でしたね。
なお須賀神社についても軽く触れておくとですね、御由緒については公式HPにいろいろ書いてあったので、気になるところを一部抜粋させていただくとですね、
『今の須賀神社はもと稲荷神社でした。その稲荷神社は、往古より、今の赤坂、一ツ木村の鎮守で、清水谷に有ったのを、後寛永十一年に江戸城外堀普請のため、当地(現在地)を替地として拝領し、移し奉ったものと伝えられています。
(略)
社名の須賀とは、須佐之男命が出雲の国の簸の川上に八俣の大蛇を討ち平らげ拾い「吾れ此の地に来たりて心須賀、須賀し」と宣り給いて、宮居を占め給いし故事 に基づき名付けられた名称です。
往古の御社殿はつまびらかではありますが、戦災前の御社殿は、文化十一年八月に起工し、十五年の歳月をついやして文政十一年十二月に竣工したものです。大正十二年九月一日の関東大震災めでは江戸名所図会に描かれたままの姿でありました。昭和二十年五月二十四年の東京大空襲の折り、御本殿並びに御内陣と境内摂社を残した外一切の建物を失いましたが、戦後、氏子崇拝者の赤誠(せきせい)に依って 今日の復興を見ることが出来ました。
(略)』
とありました。
元々は赤坂にあったみたいですが、やはり古くからある神社のようですね。
ただ東京大空襲でだいぶダメージを受けたみたいですね。

画像
最後は江戸名所図会「四谷牛頭天王社」です。
御由緒の「大正十二年九月一日の関東大震災めでは江戸名所図会に描かれたままの姿でありました。」という一文が気になって調べてみたところ、どうやらこの絵は、いまの須賀神社の江戸時代の様子を描いたものみたいでしたね。
名前が今と違っているので気がつきませんでしたね。
絵については、一番下に描かれている階段が、須賀神社男坂(NO.284)ということみたいです。
ただ今回の女坂については、位置的には中央右側にあるはずなのですが、昔はなかったのか、はたまた樹木で隠れてみえないのかわかりませんけど、女坂は描かれていませんでしたね。
ということで、けっこう前の写真での紹介となりましたが、今回はこんな感じです。
地図 :新宿区須賀町+若葉町
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