今回は、新座市の堀之内坂を取り上げてみたいと思います。
場所は、前に取り上げた観音坂【NO.422】から北西に関越自動車道に沿うように歩くとあり、徒歩でいうと11分くらいのところにある坂道です。

写真1
まずは坂下あたりの様子です。 (写真1)
傾斜もきつめで、両側も緑とコンクリという正反対の素材が見えて、なかなか印象的でしたね。
右側は私有地みたいでしたけど、すごい量の樹木でしたね。
左側はやすらぎ聖地霊園の駐車場のようで、それもあってか頑丈なコンクリの擁壁になっているのかもしれないですね。
なお、今昔マップで古地図を確認してみると、掲載されている一番古い明治39年の地図にも今と同じ場所に道路の記載があったので、ここもけっこう古くからある坂道のようですね。
(補足:明治39年といえば、江戸時代からみたら新しいでしょうと思われる方もいるかもしれないですけど、郊外の道はたいてい、これより最近に開発されているパタンが多いと思われるので、明治39年時点で今と同じ場所に道があれば、そこから昔(もしかしたら江戸時代から?)も道があったのではないかと推測して書いていますので、あしからず。)

写真2
一気に坂上あたりまできて、坂下方向を見てみました。 (写真2)
両側の樹木の元気良さもあって、思っていたよりは景色は開けて見えなかったですけど、この高低差ならば、すぐそばを走る関越自動車道がなかった頃なら、もっと開けた感じだったんでしょうね。
ちなみにここには坂名の由来が書かれているような坂の碑はなかったのですが、新座市による新座市史に堀之内坂のことが記載されていました。
ただ由来については、どこにも記載がなく、なぜ” 堀之内”なのかはわかりませんでしたね。
単純に考えれば、このあたりは新座市堀ノ内なので地名由来なのかもしれないですね。
なお「堀之内」を辞書で調べてみると「中世の土豪武士の館址」とあり、そういう意味では、関越自動車道をはさんだすぐそばには中世に創建したといわれている片山氷川神社もあるので、このあたりに土豪武士が住んでいたからとか、そういう可能性もありますけど、やはりこれも妄想レベルの話になってしまいますね。
ということで、けっこう前の写真での紹介となりましたが、今回はこんな感じです。
地図
新座市堀ノ内
関連リンク:
→ 観音坂【NO.422】/埼玉県新座市片山 - 東京坂道さんぽ
場所は、前に取り上げた観音坂【NO.422】から北西に関越自動車道に沿うように歩くとあり、徒歩でいうと11分くらいのところにある坂道です。

写真1
まずは坂下あたりの様子です。 (写真1)
傾斜もきつめで、両側も緑とコンクリという正反対の素材が見えて、なかなか印象的でしたね。
右側は私有地みたいでしたけど、すごい量の樹木でしたね。
左側はやすらぎ聖地霊園の駐車場のようで、それもあってか頑丈なコンクリの擁壁になっているのかもしれないですね。
なお、今昔マップで古地図を確認してみると、掲載されている一番古い明治39年の地図にも今と同じ場所に道路の記載があったので、ここもけっこう古くからある坂道のようですね。
(補足:明治39年といえば、江戸時代からみたら新しいでしょうと思われる方もいるかもしれないですけど、郊外の道はたいてい、これより最近に開発されているパタンが多いと思われるので、明治39年時点で今と同じ場所に道があれば、そこから昔(もしかしたら江戸時代から?)も道があったのではないかと推測して書いていますので、あしからず。)

写真2
一気に坂上あたりまできて、坂下方向を見てみました。 (写真2)
両側の樹木の元気良さもあって、思っていたよりは景色は開けて見えなかったですけど、この高低差ならば、すぐそばを走る関越自動車道がなかった頃なら、もっと開けた感じだったんでしょうね。
ちなみにここには坂名の由来が書かれているような坂の碑はなかったのですが、新座市による新座市史に堀之内坂のことが記載されていました。
ただ由来については、どこにも記載がなく、なぜ” 堀之内”なのかはわかりませんでしたね。
単純に考えれば、このあたりは新座市堀ノ内なので地名由来なのかもしれないですね。
なお「堀之内」を辞書で調べてみると「中世の土豪武士の館址」とあり、そういう意味では、関越自動車道をはさんだすぐそばには中世に創建したといわれている片山氷川神社もあるので、このあたりに土豪武士が住んでいたからとか、そういう可能性もありますけど、やはりこれも妄想レベルの話になってしまいますね。
ということで、けっこう前の写真での紹介となりましたが、今回はこんな感じです。
地図
新座市堀ノ内
関連リンク:
→ 観音坂【NO.422】/埼玉県新座市片山 - 東京坂道さんぽ