今回は、ゼームス坂(NO.416)の坂下あたりにある高村智恵子記念詩碑に立ち寄ってみると、周辺にもいい階段や坂道があったので、そのときのことでも。

高村智恵子記念詩碑への階段1+
写真1

まずは、ゼームス坂(NO.416)にも面している三越ゼームス坂マンションの北隣にあった階段でも。(写真1)
この階段上に高村智恵子記念詩碑があるんですけど、この階段自体もなかなか興味深い雰囲気でしたね。

高村智恵子記念詩碑への階段2+
写真2

階段上には、高村智恵子記念詩碑がありました。 (写真2)
高村光太郎の妻であり、詩集『智恵子抄』で知られる高村智恵子がこの地で亡くなったことから設置されたそうで、正面の石碑の大きさは、高村智恵子の背丈にあわせているそうです。

石碑には、高村光太郎の「レモン哀歌」の詩が刻まれていました。
『そんなにもあなたはレモンを待つてゐた
かなしく白くあかるい死の床で 
私の手からとつた一つのレモンを 
あなたのきれいな歯ががりりと噛んだ 
トパアズいろの香気が立つ 
その数滴の天のものなるレモンの汁は 
ぱつとあなたの意識を正常にした
あなたの青く澄んだ眼がかすかに笑ふ
わたしの手を握るあなたの力の健康さよ
あなたの咽喉に嵐はあるが
かういふ命の瀬戸ぎはに
智恵子はもとの智恵子となり
生涯の愛を一瞬にかたむけた
それからひと時
昔山巓でしたやうな深呼吸を一つして
あなたの機関ははそれなり止まつた
写真の前に挿した桜の花かげに
すずしく光るレモンを今日も置かう 』
ここもいつなくなってもおかしくなさそうなので、そのまま抜粋させていただきました。

このブログは文学ブログではないので(そこまで言い切るのもあれですけど、笑)、これ以上深掘りはしませんけど、気になる方は、この詩から高村光太郎について知るのもいいかもしれないですね。

ちなみに、高村智恵子はこの地にかつてあったゼームス坂病院で亡くなったとのことですが、これを坂道視点で見れば、”ゼームス坂”という名前がついた病院が昭和13年、彼女が亡くなったときにあったということでもありますよね。
そういう意味では、病院名が今のゼームス坂の昔の坂名である浅間坂でないところ(たとえば浅間坂病院とか)も興味深いですね。

高村智恵子記念詩碑への階段3+
写真3

最後は、階段上から石碑と階段を一緒にぱちりと。 (写真3)
階段風景にもどこか風情がありますね。

ということで、けっこう前の写真での紹介となりましたが、今回はこんな感じです。

地図
品川区南品川

関連リンク:
→ ゼームス坂(NO.416)/品川区南品川  - 東京坂道さんぽ
→ 高村 智恵子 品川人物伝 第13回|品川区 
→ 智恵子抄 レモン哀歌 | 青空朗読