今回は品川区のゼームス坂を取り上げてみたいと思います。
場所は、JR大井町駅の北東側に位置し、駅から徒歩で3分ほどのところにあります。

ゼームス坂(NO.416)1+
写真1

坂上あたりの様子です。 (写真1)
傾斜が緩やかなのでわかりにくいですけど、坂下方向を見ているものです。
ここは、通り名が「ゼームス坂通り」と名付けられていて、 JR大井町駅前にはゼームス坂上交差点があり、ちかくには通り名の書かれた標識もありましたね。
なので、地域でもかなり認知度の高い坂道だとも思われます。

そして、この写真1のすぐそば(左後ろあたり)には、坂名の由来が書かれている坂の碑があり、そのまま抜粋させていただくとですね、
『もとは浅間坂と呼ばれ、かなり急な坂でした。片側は切り落としになっていて、崖の向こうには品川の海が間近に迫って見えたそうです。明治時代、この坂の途中に英国人J・M・ゼームスが住んでいたことから、ゼームス坂と呼ばれるようになりました。』
とありました。

「崖の向こうには品川の海が間近に迫って見えたそうです」とあったので、今昔マップで古地図をみてみると、公開されいる分で一番古い明治42年の地図にもいまとほぼ同じ位置に坂道の記載があるのですが、品川の海のほうは今の第一京浜(正確には第一京浜よりすこし東にある旧東海道)より東側は海になっていたので、昔は記述のとおりこの坂道からも海が見えたんでしょうね。

ゼームス坂(NO.416)2+
写真2

中腹あたりからさらに坂下方向見てみました。 (写真2)
このあたりから若干傾斜がついてくる感じでしたね。

ゼームス坂(NO.416)3+
写真3

最後は坂下あたりから、坂上方向を見てみたものです。 (写真3)
このあたりだと傾斜具合わかりやすかったですね。

なお、写真3のすぐ右側にある三越ゼームス坂マンションのあるあたりにJ・M・ゼームス氏の家があったそうですね。

あとは上記の坂道の説明で、ではなぜ英国人J・M・ゼームスの名前が坂名にまでなったのだろうと思いちらちらと調べてみると、品川区のHPに「ゼームス坂」のいわれのことが触れられていて、かなり参考になったので、そちらのほうも一部抜粋させていただくとですね、
『ゼームスが現在の品川区南品川に住むようになった時期については、明治20年代と言われています。ゼームス邸は当時、「浅間坂」と呼ばれた坂下に向かって、左手の小高い丘の上にありました。林に囲まれた広い敷地の中に、洋館が建てられていました。この坂は急傾斜で地元の人々はたいへん苦労していました。ゼームスは住民の不便を少しでも和らげようと、私財を投じて緩やかな坂に改修しました。この坂はいつとはなしに、親しみと感謝を込め「ゼームス坂」と呼ばれるようになりました。』
とありましたね。

そういうことだったんですね。
ただ道路に関わる地形を自費で変えてしまったという点では、目黒駅の権之助坂のほうでは江戸時代に似たようなことをして捕まった日本人もいたので (でもまあこれは江戸城を守る観点からだったらしいですけど)、気になる点ではありますけど、これも時代によりけりなんでしょうね。
とにかく、そういう歴史も含めての坂名ということで、なるほどなあと。

ということで、けっこう前の写真での紹介となりましたが、今回はこんな感じです。

地図:品川区南品川


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