今回は、目黒区の蜀江(しょっこう)坂について取り上げてみたいと思います。
場所は前回取り上げた兵庫坂(NO.414)の北側あたりになります。

蜀江坂(NO.415)1+
写真1

こちらは、兵庫坂(NO.414)のすぐ北側を同じく西から東に下っている坂道を撮ってみたものです。 (写真1)
ブログをリンクしてもらっていることもありよく参考にさせていただいている「東京23区の坂道」の情報によればこの坂道が蜀江坂ということだったので、ここを撮ってみたんですよ。

ただですね、目黒区のHPでも蜀江坂のことは扱っていて、それによると「かつて、中根二丁目18番を西(立源寺裏)から東(呑川)に下る農道で、野良仕事の行き来に利用されていたが、昭和初期に行われた耕地整理により廃道となった坂である。」とあったんですよ。

蜀江坂(NO.415)2
画像

こちらは今昔マップから拝借したもので、左側が明治42年、右側が現在の地図です。
兵庫坂(NO.414)の記事を書いているときにみたときは、右側の現在の地図に「蜀江坂(整農地理により廃道)」と書いてあったので(ちと小さすぎて見にくいですね)、あれれと思っていたのですが、昔の地図と見比べてみると、これで納得がいきましたね。
この絵図では赤線で囲んでいるのが「立源寺」で、これは今も昔もあって、そこから北東に伸びている黄色の線で描いた部分がかつての蜀江坂ということみたいですね。
目黒区のHPの説明にあった「中根二丁目18番を西(立源寺裏)から東(呑川)に下る農道」とも合致してますよね。

今はもう存在しない坂道として、かつての詳しい場所までわかってしまったのはなかなか珍しいパタンかもですよ。

ちなみに、蜀江坂の坂名の由来についても目黒区のHPには書かれていて、そのまま抜粋させていたただくとですね、
『坂の名は、「衾村々誌」によると、1365年、世田谷城主の吉良治家が、わが子祖朝の若死にを悼んで東岡寺(東光寺)を建立したとき、蜀江の錦、七条(七条は袈裟の大きさを表す)の袈裟と土地を寄進した。蜀江坂(しょっこうざか)はこれにちなんだ名であると記している。』
とありました。
なお東光寺は、めぐろパーシモンホールのすぐ南側に今もありますね。

ということで、けっこう前の写真での紹介となりましたが、今回はこんな感じです。

地図
目黒区中根

関連リンク:
→ 今昔マップ on the web/時系列地形図閲覧サイト|埼玉大学教育学部 谷謙二(人文地理学研究室)
→ 目黒の坂 蜀江坂(しょっこうざか) :目黒区公式ホームページ
→ 兵庫坂(NO.414)/目黒区中根 - 東京坂道さんぽ