今回は、杉並区の地蔵坂について取り上げてみたいと思います。
場所は、杉並区立高円寺図書館に隣接していて、最寄り駅でいえば、東京メトロ丸ノ内線・東高円寺駅からなら北西に徒歩7分、JR高円寺駅からなら南東に徒歩10分ほどのところにある坂道です。

写真1
まずは坂下あたりの様子など。 (写真1)
住宅街にある坂道でした。
傾斜はなだらかでしたね。

写真2
坂道の中腹あたりから坂上方向を見てみたものです。 (写真2)
このあたりにくるとなだらかにカーブしていました。
この曲がり具合からすると、それなりに古くからありそうだとは思えますが、いまのところわかっているのは今昔マップの古地図で一番古い明治42年の地図に記載があるということだけですかね。
ちなみにここには、坂名の由来が書かれているような坂の碑はありませんでした。
ただ杉並区教育委員会発行「杉並の通称地名」によれば、宿鳳山高円寺に祀られている地蔵に由来すると言われているそうです。
なお宿鳳山高円寺については、前回とりあげた「宿鳳山高円寺よこの坂道」で、このお寺のこともふれていますので、気になる方はよかったら(この記事最後に記事へのリンクあります)。

写真3
坂上あたりから、坂下方向を見ているものです。 (写真3)
左側には杉並区立高円寺図書館が隣接していて、この背後は環七通りになっていて、車がひっきりなしに走っていました。
あとは高円寺図書館の敷地内には、「六つ塚跡」なる案内板が設置されていました。
一部内容を抜粋させていただくとですね、
『図書館前の路を北に60メートルほど行った辺り(名取眼科医院付近)に、かつて六基の塚があり、地元の人々はそれを「六つ塚」と呼んでいました。塚はいずれも土まんじゅうのような円墳型をしており、4基は小塚でしたが2基は高さ4メートル、直径が6メートルほどの大塚で、頂には木が生え、裾には小さな窪みがあったと伝えられています。
(略)しかし大正末年頃、塚は区画整理事業による桃園川流域低湿地埋めたてのため、崩されてしまいました。その際、塚からボロボロになった刀などが出土したといわれ、こうした出土品などから、塚は大田道灌と豊島氏との戦の死者を葬った墓ではないか、との説もありますが、真偽のほどは不明です。 』
とありました。
「図書館前の路を北に60メートルほど行った辺り」というのは、この坂道の坂上あたりになりそうでした。
大田道灌は室町時代後期の武将なので、その時代からあったということなんですかね。
そういう意味で言えば、この坂道もその頃からあった可能性もありますが、六つ塚の説明と同じく真偽のほどは不明です。
ということで、今回はこんな感じです。
地図
杉並区高円寺南
関連リンク:
→ 宿鳳山高円寺よこの坂道 / 杉並区高円寺南 - 東京坂道さんぽ
→ 139 六つ塚跡 【その他】(高円寺南2丁目36番25号)|杉並区公式ホームページ
場所は、杉並区立高円寺図書館に隣接していて、最寄り駅でいえば、東京メトロ丸ノ内線・東高円寺駅からなら北西に徒歩7分、JR高円寺駅からなら南東に徒歩10分ほどのところにある坂道です。

写真1
まずは坂下あたりの様子など。 (写真1)
住宅街にある坂道でした。
傾斜はなだらかでしたね。

写真2
坂道の中腹あたりから坂上方向を見てみたものです。 (写真2)
このあたりにくるとなだらかにカーブしていました。
この曲がり具合からすると、それなりに古くからありそうだとは思えますが、いまのところわかっているのは今昔マップの古地図で一番古い明治42年の地図に記載があるということだけですかね。
ちなみにここには、坂名の由来が書かれているような坂の碑はありませんでした。
ただ杉並区教育委員会発行「杉並の通称地名」によれば、宿鳳山高円寺に祀られている地蔵に由来すると言われているそうです。
なお宿鳳山高円寺については、前回とりあげた「宿鳳山高円寺よこの坂道」で、このお寺のこともふれていますので、気になる方はよかったら(この記事最後に記事へのリンクあります)。

写真3
坂上あたりから、坂下方向を見ているものです。 (写真3)
左側には杉並区立高円寺図書館が隣接していて、この背後は環七通りになっていて、車がひっきりなしに走っていました。
あとは高円寺図書館の敷地内には、「六つ塚跡」なる案内板が設置されていました。
一部内容を抜粋させていただくとですね、
『図書館前の路を北に60メートルほど行った辺り(名取眼科医院付近)に、かつて六基の塚があり、地元の人々はそれを「六つ塚」と呼んでいました。塚はいずれも土まんじゅうのような円墳型をしており、4基は小塚でしたが2基は高さ4メートル、直径が6メートルほどの大塚で、頂には木が生え、裾には小さな窪みがあったと伝えられています。
(略)しかし大正末年頃、塚は区画整理事業による桃園川流域低湿地埋めたてのため、崩されてしまいました。その際、塚からボロボロになった刀などが出土したといわれ、こうした出土品などから、塚は大田道灌と豊島氏との戦の死者を葬った墓ではないか、との説もありますが、真偽のほどは不明です。 』
とありました。
「図書館前の路を北に60メートルほど行った辺り」というのは、この坂道の坂上あたりになりそうでした。
大田道灌は室町時代後期の武将なので、その時代からあったということなんですかね。
そういう意味で言えば、この坂道もその頃からあった可能性もありますが、六つ塚の説明と同じく真偽のほどは不明です。
ということで、今回はこんな感じです。
地図
杉並区高円寺南
関連リンク:
→ 宿鳳山高円寺よこの坂道 / 杉並区高円寺南 - 東京坂道さんぽ
→ 139 六つ塚跡 【その他】(高円寺南2丁目36番25号)|杉並区公式ホームページ