今回は、文京区の善光寺坂について取り上げてみたいと思います。
場所は、前回取り上げた六角坂( NO.410)の坂下から北へ徒歩1分、かなり前に取り上げた三百坂 (NO.34)からなら西へ徒歩5分ほどのところにあります。
最寄り駅ならば、東京メトロ・後楽園駅ですかね。

[坂下あたりの様子]


善光寺坂( NO.411)1+
写真1

まずは坂下あたりの様子など。 (写真1)
ここはけっこう長い坂道でトータルでみると高低差もかなりある坂道でしたね。
この坂下あたりは昔、職工たちなんかが住むエリアだったらしく、そういう意味では坂上あたりに神社・仏閣があるエリアということで、かつてよくあった山の手と下町という地域文化の違いが最近(といっても「江戸・東京坂道事典によると明治時代あたりのことですが)」)まで残っていたようですね。

[中腹あたりの様子と街の構造]


善光寺坂( NO.411)2+
写真2

さらに坂道を上り、坂上方向をみてみました。 (写真2)
このあたりからだんだんと雰囲気が変わり、奥には善光寺の山門も見えていました。

このなんとなくカーブしている具合は古い道なんだろうなあと思い、江戸時代の古地図(江戸切絵図)を確認してみると、やはり昔からあるようで形状もほとんど今と同じようでしたね。

善光寺坂( NO.411)3+
写真3

すこし坂道を上り、今度は坂下方向をみてみました。 (写真3)
ここでふと気になり、現在の都市計画の用途地域をみてみると、ちょうど僕が立っている場所から坂下側が準工業地域、背後が第一種中高層住居専用地域になっていましたね。
坂下は工業の利便を図る地域、坂上は住居の環境を保護するための地域。
”準”やら”中高層”がついているので、純粋な住宅地や工業地域ではないのですが、それでもやはりここは、昔の山の手と下町という地域文化の違いが、ひっそりと(?)現代の都市計画にも反映されているように思えましたね。

[善光寺の山門と坂名の由来について]


善光寺坂( NO.411)4+
写真4

写真3の背後にあった善光寺の山門です。 (写真4)

そして、このすぐそばには、坂名の由来が書かれている案内板があったので、いつものように抜粋させていただくとですね、
『坂の途中に善光寺があるので、寺の名をとって坂名とした。善光寺は慶長7年(1602)の創建と伝えられ、伝通院(徳川将軍家の苦提寺)の塔頭で、縁受院と称した。明治17年(1881)に善光寺と改称し、信州の善光寺の分院となった。したがって明治時代の新しい坂名である。坂上の歩道のまん中に椋の老木がある。古来、この木には坂の北側にある稲荷に祀られている、澤蔵司(たくぞうす)の魂が宿るといわれている。なお、坂上の慈眼院の境内には礫川や小石川の地名に因む松尾芭蕉の句碑が建立されている。
“一しぐれ  操や降りて 小石川” はせを(芭蕉)
また、この界限には幸田露伴(1867〜1947)・徳田秋声(1871〜1913)や島木赤彦(1876〜1926)、古泉千樫(1886~1927)ら文人、歌人が住み活躍した。 』
とありました。
なるほど。

ちなみに、善光寺については、文京区のHPに善光寺の由来が書かれていたので、補足がてら一部抜粋させていただくとですね、
『月参堂 善光寺は傳通院の塔頭寺院として、元々は縁受院と称した。慶長七年(1602年)、徳川家康公の生母 於大の方の念持仏を御安置し開創。念持仏とは、日頃より親しくお参りが出来るよう御安置をする御像を言い、於大の方は「阿弥陀如来・観音菩薩・勢至菩薩」の三尊像を念持仏として、肌身離さず拝んでいた。於大の方は、家康公とご自身の現世・後世安楽を願い、この念持仏に手を合わせていたと伝わる。』
とあり、その後、明治期に入り「月参堂 縁受院 善光寺」と名をあらため、今日に至るとあったので、この坂道自体は古地図にも記載があったとおりですが、案内板の説明には明治時代の新しい坂名とあるように、どうやら江戸時代は無名坂だったようですね。
なかなかややこしいですね。

あと坂名の説明にもあるようにこの界隈には文人、歌人が多く住んでいたそうで、説明以外のひとたちには夏目漱石や永井荷風もいたそうですよ。

[タモリさんもおすすめの坂道]


善光寺坂( NO.411)5+
写真5

最後は善光寺のあたりからさらに坂上方向をみたものです。 (写真5)
このあたりは落ち着いた雰囲気でした。
微妙にカーブしているのもいいですね。
(なお坂道自体はもうすこし続いているようですが、なぜかこれより上の写真がみあたらない(もしくは取り忘れた?)ので、今回はこれが最後の写真です。またそのうち再訪すると思うので、その他の写真はしばしお待ちください。)

そしてこの奥には、坂名の説明にもあった澤蔵司(たくぞうす)の魂が宿るといわれている椋の老木があります。
江戸名所図会「無量山境内大絵図」でも描かれている老木だそうです。
ただこの老木、歩道のまん中にあることもあり、交通のさまたげになっているということで、過去にたびたび取り除き作業をしたそうですが、そのたびにけが人やら変な事故が起こることから、結局いまもそのままになっているとか。

あとは、今回の坂上の西側すぐの場所には徳川将軍家の菩提寺として有名な伝通院(傳通院)もありますね。

ちなみにこの坂道は、けっこう前にでているタモリさんの坂道本「タモリのTOKYO坂道美学入門 」でもおすすめの坂道として取り上げられていましたよ。

ということで、けっこう前の写真での紹介となりましたが、今回はこんな感じです。

地図
文京区小石川 

関連リンク:
→ 六角坂( NO.410)/文京区小石川 - 東京坂道さんぽ
→ 三百坂 (NO.34) /文京区小石川3丁目 - 東京坂道さんぽ
→ 坂上と坂下における社会文化の差  - 東京坂道さんぽ
→ 文京区 善光寺(ぜんこうじ)
→ 文京区 傳通院(でんづういん)
→ 永井荷風 伝通院 青空文庫