今回は、港区の魚籃(ぎょらん)坂について取り上げてみたいと思います。
場所は、伊皿子坂(NO.406)の坂上から北へすぐのところにあり、最寄り駅でいえば東京メトロ南北線・白金高輪駅から北東に徒歩3分ほどです。

魚籃坂( NO.407)1+
写真1

まずは坂上あたりからの眺めなど。 (写真1)
写真1の背後に伊皿子坂(NO.406)があるという立地具合でしたね。

高低差はかなりありますが、真っ直ぐな坂道なので、ここからでも坂下あたりの様子は見えましたね。

また広域的な話ですけど、この道路の軸線が神宮外苑のイチョウ並木通りや青山霊園内の道と同じように北西側から南東側に向いているのが気になりましたね。
そういう意味では、あとで地図をみてもらうとわかりやすいですが、伊皿子坂(NO.406)すなわち潮見坂の軸線とも一緒なので、そのあたりのことも含めて、神宮外苑+ 青山霊園+ 魚籃坂( NO.407)+ 伊皿子坂(NO.406)の軸線関係についていつか調べてみようかなと思ってみたり。

あとは写真1でも見えているとおり、ここにも坂名の由来が書かている坂の碑があり、そのまま抜粋するとですね、『坂の中腹に魚籃観音を安置した寺があるために名づけられた。 』とありました。

魚籃坂( NO.407)2+
写真2

こちらが、坂道の由来にもなった魚籃観音を安置している寺である魚籃寺ですね。
今も坂道の中腹にありました。 (写真2)
魚籃観音自体は、幸運にも当日、実物を目にすることができましたけど、予想していたよりも小ぶりなところが印象的でしたね。

魚籃坂( NO.407)4
画像

ちなみに、ここは江戸名所図会の「魚籃観音堂」で当時の様子が描かれていますね。
なお江戸時代の古地図をみると、右下の道路は魚籃坂のようなのですが、絵のほうでは坂道のようには見えないですね。
これもデフォルメなんですかね。
でも門の形は今とそれほど変わらないようにも見えるところがなんともですね。

魚籃坂( NO.407)3+
写真3

坂下あたりからの様子です。 (写真3)
まっすぐといえばそうなのですけど、やはり江戸時代からある道というか坂道ということもあるのか、どこか微妙に曲がっているようにも見えましたね。

ちなみに今はその痕跡も残っていないですけど、昔、ここを都電が走っていたらしく港区のHP( No.271 魚籃坂下へ)にて、都電も写っている昭和44年の坂道写真が公開されていましたね。(気になる方はこの記事の最後にリンクしていますので、よかったら。)

あとは文化・芸能面でいえば、牧野信一という小説家が「魚籃坂にて」(1933(昭和8)年発行)というこのあたりの当時のことを書いているエッセイがあったり、カーネーションというバンドによる「魚籃坂横断」という曲があるようですね。
そして最近出版(2022年10月ですね)されたタモリさんの坂道本「お江戸・東京 坂タモリ 港区編」でも、ここはおすすめの坂道のひとつとして取り上げられていましたね。

ということで、けっこう前の写真での紹介となりましたが、今回はこんな感じです。

地図
港区三田+ 高輪

関連リンク:
→ 伊皿子坂(NO.406)/港区三田+ 高輪 /別名は潮見坂 - 東京坂道さんぽ
→ 港区ホームページ/魚籃坂
→ 港区ホームページ/No.271 魚籃坂下へ
→ 浄土宗 三田山 魚籃寺 | 港区にある浄土宗のお寺です
→ 牧野信一 魚籃坂にて 青空文庫
→ 「魚籃坂横断」カーネーション spotify
→ お江戸・東京 坂タモリ 港区編 / amazon