今回は、文京区の油坂について取り上げてみたいと思います。
場所は、東京メトロ丸の内線・御茶ノ水駅から西へ徒歩4分ほどのところにあり、順天堂大学に隣接している坂道です。
なお、この東隣りの道は富士見坂 (NO.13)となっています。

写真1
まずは坂下あたりの様子です。 (写真1)
きつくもなく緩くもなくという勾配の坂道でしたね。
両側は順天堂大学の敷地でした。
なお、この写真を撮ったときは、まだ古い校舎が残っていたり、工事中の場所があったりしました。 (特に左側は、今は空地広場ができていてこの写真のときとはだいぶ違っているようなので、今回、記事にしようか迷ったのですが、取り上げるべき坂道はまだまだあり、これはこれで当時の風景を残している写真でもあるし、やはり歩いたところは多少古い写真でも公開することにしました。)

写真2
一気に坂上あたりまできて、坂下方向を見てみました。 (写真2)
まっすぐなようでなんとなく曲がっているのは昔の道っぽいですね。
坂下は神田川なんですけど、順天堂大学の歩道橋があって、ここからだとあんまり、その雰囲気は感じられなかったですね。
ちなみにここには、坂名の由来が書かれた案内板があり、そのまま抜粋するとですね、
『この坂は、油坂または揚場坂と呼ばれている。『新撰東京名所図会』(明治40年<1907>)には「元町一丁目と東竹町辺の間を南に下る坂」を油坂と呼ぶとあるが、その名の起こりは詳らかではない。この坂の別名である「揚場坂」については、文政9年(1826)に江戸の町々から幕府に提出された書上をもとに作られた『御府内備考』に、「揚場坂という里俗地名は本郷元町近辺にはないが、物揚場が神田川のお茶の水河岸にあるため、この揚場道坂を他所の者が揚場坂と唱えた」ということが記されている。これにしたがうと、物揚場(船で運ばれてきた諸物資を揚げおろしする場所)に通じる揚場道坂が、のちに「揚場坂」と呼ばれるようになったものと考えられる。 』
とありました。
別名の揚場坂の説明は充実してますけど、肝心の「油坂」のほうの由来は定かではないんですね。
なお、あくまでこれは妄想レベルの話ですけど、福井県大野市と岐阜県郡上市を結ぶ峠である油坂峠の名前の由来が急で標高差が約420mの峠道のため旅人が油汗を流してのぼったことによるということから、この坂も昔はもっと急だったとか、そういうことなんでしょうかね。
それとも油を売る店があったとか、わかりませんけど。
ということで、けっこう前の写真での紹介となりましたが、今回はこんな感じです。
地図
文京区本郷
関連リンク:
→ 富士見坂 (NO.13) /文京区本郷2丁目 - 東京坂道さんぽ
場所は、東京メトロ丸の内線・御茶ノ水駅から西へ徒歩4分ほどのところにあり、順天堂大学に隣接している坂道です。
なお、この東隣りの道は富士見坂 (NO.13)となっています。

写真1
まずは坂下あたりの様子です。 (写真1)
きつくもなく緩くもなくという勾配の坂道でしたね。
両側は順天堂大学の敷地でした。
なお、この写真を撮ったときは、まだ古い校舎が残っていたり、工事中の場所があったりしました。 (特に左側は、今は空地広場ができていてこの写真のときとはだいぶ違っているようなので、今回、記事にしようか迷ったのですが、取り上げるべき坂道はまだまだあり、これはこれで当時の風景を残している写真でもあるし、やはり歩いたところは多少古い写真でも公開することにしました。)

写真2
一気に坂上あたりまできて、坂下方向を見てみました。 (写真2)
まっすぐなようでなんとなく曲がっているのは昔の道っぽいですね。
坂下は神田川なんですけど、順天堂大学の歩道橋があって、ここからだとあんまり、その雰囲気は感じられなかったですね。
ちなみにここには、坂名の由来が書かれた案内板があり、そのまま抜粋するとですね、
『この坂は、油坂または揚場坂と呼ばれている。『新撰東京名所図会』(明治40年<1907>)には「元町一丁目と東竹町辺の間を南に下る坂」を油坂と呼ぶとあるが、その名の起こりは詳らかではない。この坂の別名である「揚場坂」については、文政9年(1826)に江戸の町々から幕府に提出された書上をもとに作られた『御府内備考』に、「揚場坂という里俗地名は本郷元町近辺にはないが、物揚場が神田川のお茶の水河岸にあるため、この揚場道坂を他所の者が揚場坂と唱えた」ということが記されている。これにしたがうと、物揚場(船で運ばれてきた諸物資を揚げおろしする場所)に通じる揚場道坂が、のちに「揚場坂」と呼ばれるようになったものと考えられる。 』
とありました。
別名の揚場坂の説明は充実してますけど、肝心の「油坂」のほうの由来は定かではないんですね。
なお、あくまでこれは妄想レベルの話ですけど、福井県大野市と岐阜県郡上市を結ぶ峠である油坂峠の名前の由来が急で標高差が約420mの峠道のため旅人が油汗を流してのぼったことによるということから、この坂も昔はもっと急だったとか、そういうことなんでしょうかね。
それとも油を売る店があったとか、わかりませんけど。
ということで、けっこう前の写真での紹介となりましたが、今回はこんな感じです。
地図
文京区本郷
関連リンク:
→ 富士見坂 (NO.13) /文京区本郷2丁目 - 東京坂道さんぽ