昨日公開した横町坂( NO.401)について調べものをしているときに、生成AI のgoogle bardが日本語も一昨日から使えるようになったらしいということでニュースになっていたので、試しに使ってみたところ、なかなか興味深い感じになったので、今回はそのことについてSNS気分で取り上げておこうと思います。

まず、このブログでもたびたびお世話になっている「江戸東京坂道事典」という昭和時代に出版された坂道の由来やら歴史などを掲載している辞書(?)のような本があるんですけど、その本には横町坂( NO.401)に関しての説明もあり、その中で、
『江戸時代、ここは御持筒組(鉄砲組)の組屋敷の横丁で、「府内備考」の小日向水道町書上には「一坂登り凡二十六間程、幅凡一間程、右は町内横町福勝寺前より御持筒組屋舗へ出候横町にこれあせり候」とある。 』
という古い言葉を引用している一文があったんですよ。

そこで今回は、Bing AIに加えて一昨日に日本語も使えるようになった google bardも使ってみようと思いたち、 「一坂登り凡二十六間程、幅凡一間程、右は町内横町福勝寺前より御持筒組屋舗へ出候横町にこれあせり候」という一文を現代語に訳してみて、と、それぞれに訪ねてみることにしました。

結果、なかなか興味深い回答がきましね。

まずBing AIの回答は、
『「一坂登り凡二十六間程、幅凡一間程、右は町内横町福勝寺前より御持筒組屋舗へ出候横町にこれあせり候」は、江戸時代の文献『御府内備考』に書かれた文章です。現代語訳すると、「一つの坂を登って約26間(約47メートル)ほど、幅は約1間(約1.8メートル)ほど、右側は町の中の横町で福勝寺の前から御持筒組の屋敷に出る道になっている横町があります」という意味です。 』
でした。

そして、google bardの回答は、
『「一坂登り凡二十六間程、幅凡一間程、右は町内横町福勝寺前より御持筒組屋舗へ出候横町にこれあせり候」は、江戸時代の文書の一部で、現代語に訳すと「坂を登って約26メートル、幅は約1メートルです。右側は町内の横町で、福勝寺の前から御持筒組屋舗に出ています。」となります。御持筒組屋舗とは、火縄銃の弾丸である御持筒を製造・販売していた店です。 』
ときました。

なるほど。
google bardの「御持筒組屋舗とは、火縄銃の弾丸である御持筒を製造・販売していた店です。」
という回答は気が利いてますね。
ただ昔の坂道の道幅については、google bardには1メートルとありますが、これはさすがに1間(約1.8メートル)の間違いでしょうね。
空間的にみても1mの道幅は狭すぎますしね。
そして同じく26間(約47メートル)を26メートルとしている記載もですね。

そんなわけで、2つの生成AIに同じ質問をして比べてみたわけですけど、 Bing AIについては、参考にしたサイトの参照リンクもすぐでてくるので検証もしやすいのですが、google bardのほうは、すぐにはでてこないので、最初の質問をうまくしないとでてこないのかもしれず、いまのところはBing AIと比較しながらとかがありな方法かもなあと使ってみて思いました。

なお、Bing AIについては、このブログで以前に「 Bing Copilot のAIに、坂道について聞いてみた。」という記事でさらりと触れてますので、気になる方は最後に記事へのリンクもありますのでよかったら。

google bardとBing AIを坂道散歩のお供として使えるか比べてみた。1 +
写真1

最後は、横町坂( NO.401)の坂上あたりに隣接していた福勝寺の本殿の様子など。 (写真1)
横町坂( NO.401)からも見えていたので、撮っておいたものですね。
ただこの本殿、福勝寺自体は前にも書いたとおり慶長8年(1603)創建とかなり古いんですけど、その後、何度か火災や戦争の空襲で消失したため、このようなコンクリートの外観の本殿となったみたいですね。

そんなわけで今回は、 横町坂( NO.401)の記事作成のときに実は一緒に書いていたものを、これは長くなりそうだし、記事的にも分離したほうがわかりやすいだろうと思い、別枠公開ということにしてみたので、内容的には横町坂( NO.401) の続きとも言えそうですね。
そういう意味では、タイトルもちょっとおおげさにしすぎたかもしれないですね。(汗)

ということで、今回はこんな感じです。

関連リンク:
→ 横町坂( NO.401)/文京区小日向 - 東京坂道さんぽ
→  Bing Copilot のAIに、坂道について聞いてみた。 - 東京坂道さんぽ
→ 御府内備考について - 東京都公文書館