今回は、文京区の服部坂( NO.400)について取り上げてみたいと思います。
場所は、前に取り上げた大日坂( NO.398)から東へ徒歩3分のところにあり、最寄り駅でいえば、東京メトロ有楽町線・江戸川橋駅から北東へ徒歩3分ほどのところにあります。

写真1
まずは坂下あたりの様子でも。 (写真1)
まっすぐな坂道で、高低差もけっこうありました。
goo地図にある江戸切絵図(古地図)をみても、坂名の記載があり、ここは昔からこのような直線の坂道みたいでしたね。
ちなみにこのすぐそばには、坂名の由来が書かれている案内看板があり、そのまま抜粋させてもらうとですね、
『坂の上には江戸時代、服部権太夫の屋敷があり、それで「服部坂」と呼ばれた。服部氏屋敷跡には、明治2年(1869)に 小日向神社が移された。永井荷風は眺望のよいところとして、『日和下駄』に「金剛寺坂荒木坂服部坂大日坂等はみな斉しく 小石川より牛込赤城番町辺を見渡すによい。・・・」と書いている。坂下にある旧文京区立第五中学校はもと黒田小学校といい、永井荷風も通学した学校である。戦災で廃校となった。 』
とありました。
なお、旧文京区立第五中学校があったところは、今は坂下の西側にある文京区福祉センターになっていますね。
ということは、永井荷風にとって、服部坂( NO.400)は慣れ親しんだマイ坂道と言ってもいいような感じだったんでしょうね。
自著でも書くくらいですから。

写真2
一気に坂上あたりまできて、坂下方向をみてみました。 (写真2)
高低差がかなりあるので、眺望具合もいいですね。
永井荷風が生きていた頃は、今より高い建物もなかったでしょうから、もっと景色も開けてたんでしょうね。

写真3
写真2のすぐ右側には、小日向神社の鳥居がありました。 (写真3)
この奥に本殿がありましたね。
由来説明によれば、ここに坂名の由来ともなった服部氏屋敷があったんでしょうね。
ということで、けっこう前の写真での紹介となりましたが、今回はこんな感じです。
地図
文京区小日向
関連リンク:
→ 文京区 小日向神社(こびなたじんじゃ)八幡さま
→ 大日坂( NO.398)/ 文京区小日向 - 東京坂道さんぽ
→ 永井荷風 日和下駄 一名 東京散策記 青空文庫
場所は、前に取り上げた大日坂( NO.398)から東へ徒歩3分のところにあり、最寄り駅でいえば、東京メトロ有楽町線・江戸川橋駅から北東へ徒歩3分ほどのところにあります。

写真1
まずは坂下あたりの様子でも。 (写真1)
まっすぐな坂道で、高低差もけっこうありました。
goo地図にある江戸切絵図(古地図)をみても、坂名の記載があり、ここは昔からこのような直線の坂道みたいでしたね。
ちなみにこのすぐそばには、坂名の由来が書かれている案内看板があり、そのまま抜粋させてもらうとですね、
『坂の上には江戸時代、服部権太夫の屋敷があり、それで「服部坂」と呼ばれた。服部氏屋敷跡には、明治2年(1869)に 小日向神社が移された。永井荷風は眺望のよいところとして、『日和下駄』に「金剛寺坂荒木坂服部坂大日坂等はみな斉しく 小石川より牛込赤城番町辺を見渡すによい。・・・」と書いている。坂下にある旧文京区立第五中学校はもと黒田小学校といい、永井荷風も通学した学校である。戦災で廃校となった。 』
とありました。
なお、旧文京区立第五中学校があったところは、今は坂下の西側にある文京区福祉センターになっていますね。
ということは、永井荷風にとって、服部坂( NO.400)は慣れ親しんだマイ坂道と言ってもいいような感じだったんでしょうね。
自著でも書くくらいですから。

写真2
一気に坂上あたりまできて、坂下方向をみてみました。 (写真2)
高低差がかなりあるので、眺望具合もいいですね。
永井荷風が生きていた頃は、今より高い建物もなかったでしょうから、もっと景色も開けてたんでしょうね。

写真3
写真2のすぐ右側には、小日向神社の鳥居がありました。 (写真3)
この奥に本殿がありましたね。
由来説明によれば、ここに坂名の由来ともなった服部氏屋敷があったんでしょうね。
ということで、けっこう前の写真での紹介となりましたが、今回はこんな感じです。
地図
文京区小日向
関連リンク:
→ 文京区 小日向神社(こびなたじんじゃ)八幡さま
→ 大日坂( NO.398)/ 文京区小日向 - 東京坂道さんぽ
→ 永井荷風 日和下駄 一名 東京散策記 青空文庫