今回は、文京区の大日坂について取り上げてみたいと思います。
ちなみにこのあたりの坂道を取り上げるのは、ブログを開始した当初(荒木坂 (NO.32) など)以来ひさびさになりますかね。
場所は、東京メトロ有楽町線・江戸川橋駅から北へ徒歩2分ほどのところにあります。

写真1
まずは坂下あたりの様子など。 (写真1)
住宅街にある坂道で、高低差もあり、カーブ具合の形状も印象的でしたね。
あと、この背後すぐそばには妙足院というお寺があり、なんと境内に大日坂の坂名の由来が書かれている案内看板がありまして(境内にあるのは珍しいパタンですね)、そのまま抜粋するとですね、
『坂の名の由来は、坂の途中に大日堂があったことから呼ばれるようになったものであろう。堂のあるこの寺は天台宗で、覚王山妙足院と号し、開祖は浩善尼上人(紀州家の奥女)で、堂廟の創立は寛文二年(一六六二)といわれている。その後何度かは火災にあったので、堂は現在に至っていないが、坂の北の方の道造りは妙足院で施工したと伝えられる。小日向の名の由来については、古く鶴高日向という人の領地だったが絶家した後、「古日向があと」といっていたものが、いつか「こひなた」と呼ばれるようになったのであろうと、『御府内備考』では述べている。 』とありました。
かつてあった大日堂が坂名の由来なんですね。

写真2
さらに上り、中腹あたりまできて、坂下方向を見てみました。 (写真2)
カーブ具合がやっぱりいいですね。
あとは写真2でも見えているとおり、なんとここにも坂名の由来が書かれた案内板(こちらは文京区によるもの)があり、そのまま抜粋させてもらうとですね、
『「・・・・坂のなかばに大日の堂あればかくよべり」(改撰江戸志)
この「大日堂」とは 寛文年中(1661〜73)に創建された 天台宗覚王山妙足院の大日堂のことである。坂名はこのことに由来するが,別名「八幡坂」については 現在小日向神社に合祀されている 田中八幡神社 があったことによる。
この一円は 寺町の感のする所である。
この町に遊びくらして三年居き
寺の墓やぶ深くなりたち 折口信夫(筆名・釈超空 1887-1953) 』
とありました。
こちらのほうがわかりやすいですかね。
なお、最後の3行は、民俗学者、国文学者である折口信夫によるものらしく、釈超空は折口信夫が詩人活動する上での今でいうペンネームみたいなものですね。

写真3
最後は、写真2とだいたい同じ場所から、坂上あたりをみてみたものです。 (写真3)
こうみると坂下から中腹あたりまでが、傾斜がきつめのようでしたね。
ちなみに今回の坂道、江戸時代の切絵図(古地図ですね)にも「大日坂」とはっきり書かれていて、かつてあった大日堂のところには「大日如来明息寺」と書かれていましたね。
なので、ここはやはり江戸時代から存在する歴史ある坂道のようですね。
ということで、けっこう前の写真での紹介となりましたが、今回はこんな感じです。
地図
文京区小日向
関連リンク:
→ 覺王山長善寺 妙足院(通称:大日堂・大日様) | 天台宗東京教区 公式サイト
→ 荒木坂 (NO.32) /文京区小日向1丁目 - 東京坂道さんぽ
ちなみにこのあたりの坂道を取り上げるのは、ブログを開始した当初(荒木坂 (NO.32) など)以来ひさびさになりますかね。
場所は、東京メトロ有楽町線・江戸川橋駅から北へ徒歩2分ほどのところにあります。

写真1
まずは坂下あたりの様子など。 (写真1)
住宅街にある坂道で、高低差もあり、カーブ具合の形状も印象的でしたね。
あと、この背後すぐそばには妙足院というお寺があり、なんと境内に大日坂の坂名の由来が書かれている案内看板がありまして(境内にあるのは珍しいパタンですね)、そのまま抜粋するとですね、
『坂の名の由来は、坂の途中に大日堂があったことから呼ばれるようになったものであろう。堂のあるこの寺は天台宗で、覚王山妙足院と号し、開祖は浩善尼上人(紀州家の奥女)で、堂廟の創立は寛文二年(一六六二)といわれている。その後何度かは火災にあったので、堂は現在に至っていないが、坂の北の方の道造りは妙足院で施工したと伝えられる。小日向の名の由来については、古く鶴高日向という人の領地だったが絶家した後、「古日向があと」といっていたものが、いつか「こひなた」と呼ばれるようになったのであろうと、『御府内備考』では述べている。 』とありました。
かつてあった大日堂が坂名の由来なんですね。

写真2
さらに上り、中腹あたりまできて、坂下方向を見てみました。 (写真2)
カーブ具合がやっぱりいいですね。
あとは写真2でも見えているとおり、なんとここにも坂名の由来が書かれた案内板(こちらは文京区によるもの)があり、そのまま抜粋させてもらうとですね、
『「・・・・坂のなかばに大日の堂あればかくよべり」(改撰江戸志)
この「大日堂」とは 寛文年中(1661〜73)に創建された 天台宗覚王山妙足院の大日堂のことである。坂名はこのことに由来するが,別名「八幡坂」については 現在小日向神社に合祀されている 田中八幡神社 があったことによる。
この一円は 寺町の感のする所である。
この町に遊びくらして三年居き
寺の墓やぶ深くなりたち 折口信夫(筆名・釈超空 1887-1953) 』
とありました。
こちらのほうがわかりやすいですかね。
なお、最後の3行は、民俗学者、国文学者である折口信夫によるものらしく、釈超空は折口信夫が詩人活動する上での今でいうペンネームみたいなものですね。

写真3
最後は、写真2とだいたい同じ場所から、坂上あたりをみてみたものです。 (写真3)
こうみると坂下から中腹あたりまでが、傾斜がきつめのようでしたね。
ちなみに今回の坂道、江戸時代の切絵図(古地図ですね)にも「大日坂」とはっきり書かれていて、かつてあった大日堂のところには「大日如来明息寺」と書かれていましたね。
なので、ここはやはり江戸時代から存在する歴史ある坂道のようですね。
ということで、けっこう前の写真での紹介となりましたが、今回はこんな感じです。
地図
文京区小日向
関連リンク:
→ 覺王山長善寺 妙足院(通称:大日堂・大日様) | 天台宗東京教区 公式サイト
→ 荒木坂 (NO.32) /文京区小日向1丁目 - 東京坂道さんぽ