今回は、板橋区にある「だらだら坂」について取り上げてみたいと思います。
場所は、東京メトロ・小竹向原駅から南に徒歩1分ほどの場所にあり、向原ゴルフセンターと板橋区立向原小学校の間にある坂道です。

写真1
まずは坂下あたりの様子など。 (写真1)
この背後に東京メトロ・小竹向原駅の駅入口があるので、駅前といってもいいかもしれないですけど、風景的には住宅街でしたね。
そんなこともあり、ちょっと気になったので(最近ふと思いつき取り入れた(^^))まちづくり的視点で、このあたりをみてみるとですね、都市計画の用途地域は準工業地域だったので、昔は町工場なんかがけっこうあったんですかね。

写真2
坂の中腹あたりから坂上方向を見てみました。 (写真2)
右側には向原ゴルフセンターの背の高いネットが印象的でしたね。
ちなみに、まちづくり的視点の続きですけど、このあたりから都市計画の用途地域は第1種中高層住居専用地域になっていましたね。
なので、見方によれば、昔はよく言われた坂下の下町と坂上の山の手という地域の色みたいなものが、今は街並みだけではわからないけれど、この用途地域にはなんとなく残っているのかもしれないなあと思ってみたり。
なお、このブログでこのことにふれている記事「坂道と下町と山の手」 をだいぶまえに書いていますので、気になる方はよかったら(この記事の最後にリンクあります)。

写真3
さらに坂を上り、坂上あたりが見えるところまでやってきました。 (写真3)
左側は板橋区立向原小学校の柵が続き一風変わった風景にも見えましたね。
なおこのカーブ具合は、やはり昔からある道のような形だと思いますね。
いちおう今昔マップを見てみても、公開されている分で一番古い明治49年の地図にもこの道は記載があるので、予想通りかなり古い道だと思われます。
あと、ここには坂名の由来が書かれているような坂の碑はありませんでしたが、(このブログもリンクしてくれている)「東京23区の坂道」さんのサイトで、この坂道の名前の由来についてふれていて、それによるといたばしまち博友の会発行の『郷土 板橋の坂道』にて記載があるようで、そのまま抜粋させてもらうとですね、
『だらだらと長いのでこの名が付いた。この道は台橋道といわれ、北に行けば石神井川の台橋を渡り川越通りに出る。南は江古田通りに出る。』
とありました。
ちなみにさきほどの今昔マップでもここは古くからある坂道のはずなので、ちょっと気になり、Bing AIに『「だらだら」という言葉はいつから使われている言葉ですか?』と聞いてみたところ、『「だらだら」という言葉は、「たらたら」という言葉を強調したもので、液体が少しずつ落ちるさまを表す語として生まれました。語源は「垂れる(たれる)」だという説があります。最初に使われたのは江戸時代の日葡辞書(1603‐04年)だとされています。』と答えてくれましたね(いちおう Bing AIでは、参考にしたサイトも提示してくれるので、チェックしてみたところ、みなきちんとしたサイトでだいたい内容はあってそうでしたね)。
そんなわけで、「だらだら坂」いう名前もけっこう古くから呼ばれていた可能性もありそうですが、実際のところはどうなんでしょうね。
ということで、けっこう前の写真での紹介となりましたが、今回はこんな感じです。
地図
板橋区向原
関連リンク:
→ 坂道と下町と山の手 - 東京坂道さんぽ
場所は、東京メトロ・小竹向原駅から南に徒歩1分ほどの場所にあり、向原ゴルフセンターと板橋区立向原小学校の間にある坂道です。

写真1
まずは坂下あたりの様子など。 (写真1)
この背後に東京メトロ・小竹向原駅の駅入口があるので、駅前といってもいいかもしれないですけど、風景的には住宅街でしたね。
そんなこともあり、ちょっと気になったので(最近ふと思いつき取り入れた(^^))まちづくり的視点で、このあたりをみてみるとですね、都市計画の用途地域は準工業地域だったので、昔は町工場なんかがけっこうあったんですかね。

写真2
坂の中腹あたりから坂上方向を見てみました。 (写真2)
右側には向原ゴルフセンターの背の高いネットが印象的でしたね。
ちなみに、まちづくり的視点の続きですけど、このあたりから都市計画の用途地域は第1種中高層住居専用地域になっていましたね。
なので、見方によれば、昔はよく言われた坂下の下町と坂上の山の手という地域の色みたいなものが、今は街並みだけではわからないけれど、この用途地域にはなんとなく残っているのかもしれないなあと思ってみたり。
なお、このブログでこのことにふれている記事「坂道と下町と山の手」 をだいぶまえに書いていますので、気になる方はよかったら(この記事の最後にリンクあります)。

写真3
さらに坂を上り、坂上あたりが見えるところまでやってきました。 (写真3)
左側は板橋区立向原小学校の柵が続き一風変わった風景にも見えましたね。
なおこのカーブ具合は、やはり昔からある道のような形だと思いますね。
いちおう今昔マップを見てみても、公開されている分で一番古い明治49年の地図にもこの道は記載があるので、予想通りかなり古い道だと思われます。
あと、ここには坂名の由来が書かれているような坂の碑はありませんでしたが、(このブログもリンクしてくれている)「東京23区の坂道」さんのサイトで、この坂道の名前の由来についてふれていて、それによるといたばしまち博友の会発行の『郷土 板橋の坂道』にて記載があるようで、そのまま抜粋させてもらうとですね、
『だらだらと長いのでこの名が付いた。この道は台橋道といわれ、北に行けば石神井川の台橋を渡り川越通りに出る。南は江古田通りに出る。』
とありました。
ちなみにさきほどの今昔マップでもここは古くからある坂道のはずなので、ちょっと気になり、Bing AIに『「だらだら」という言葉はいつから使われている言葉ですか?』と聞いてみたところ、『「だらだら」という言葉は、「たらたら」という言葉を強調したもので、液体が少しずつ落ちるさまを表す語として生まれました。語源は「垂れる(たれる)」だという説があります。最初に使われたのは江戸時代の日葡辞書(1603‐04年)だとされています。』と答えてくれましたね(いちおう Bing AIでは、参考にしたサイトも提示してくれるので、チェックしてみたところ、みなきちんとしたサイトでだいたい内容はあってそうでしたね)。
そんなわけで、「だらだら坂」いう名前もけっこう古くから呼ばれていた可能性もありそうですが、実際のところはどうなんでしょうね。
ということで、けっこう前の写真での紹介となりましたが、今回はこんな感じです。
地図
板橋区向原
関連リンク:
→ 坂道と下町と山の手 - 東京坂道さんぽ