今回は、板橋区の海老山坂について取り上げてみたいと思います。
場所については、東武東上線・中板橋駅から南へ徒歩4分ほどのところにあります。

海老山坂( NO.392)1+
写真1

坂下あたりから坂上方向を見てみたものです。 (写真1)
ここはかなり緩い傾斜の坂道なので、写真1だけでは坂道になってるのかさえちとわかりにくいかもですね。

ちなみにここには坂名の由来が書かれているような坂の碑はありませんでした。
ただですね、このブログもリンクしてくれている「東京23区の坂道」さんのサイトには、この坂道の名前の由来についてふれていて、川越街道の上板橋宿に入るとすぐにある緩やかな坂が海老山坂で、この辺りの山を海老山と呼び、海老については、飢餓に備えた稗蔵(ひえぐら)があり、そのヒエが訛ってエビと呼ばれるようになったからということだそうです。

海老山坂( NO.392)2+
写真2

中腹あたりから坂上方向をみてみたものです。 (写真2)
ここも傾斜は緩く、ここから坂上までは同じような傾斜具合で商店と住宅が混ざったような街並みが続いていましたね。

なお、この道は旧川越街道で、上記で上板橋宿がでてきたとおり、この道沿いは昔、小規模ではあったらしいですけど、宿場町として知られていたみたいですね。
そして、前回取り上げた長命寺坂(NO.391)も旧川越街道沿いの坂道ということで、今昔マップで明治42年の地図をみてみると、たしかに一本の道でつながっていて、徒歩でいえば4分くらいの距離感ですかね。

海老山坂( NO.392)3+
写真3

最後は、写真2の中央左側にもちらりと入口が見えていた豊敬稲荷神社です。 (写真3)
ちなみに、板橋区観光協会のHPにこの神社について説明があり、そのまま抜粋するとですね、
『かつて仲宿の氏神だった稲荷社はいつしか人々に忘れられていましたが、昭和の初めごろ、近くに住む福本芳太郎が神示を得て私財を投じ、現在地に地所を求め社を建設することになりました。地元の人々は芳太郎氏の心意気に打たれ、境内地の造成に勤労奉仕して報いました。』
とありました。

「私財を投じ、現在地に地所を求め社を建設」ということは、土地も芳太郎氏が個人で買い、そして建てたということなんですかね。
考えてみれば、なかなかすごい話ですね。

ということで、けっこう前の写真での紹介となりましたが、今回はこんな感じです。

地図
板橋区弥生町

関連リンク:
→ 豊敬稲荷神社|見る|ぶらり、いたばし 板橋区観光協会
→ 長命寺坂(NO.391)/ 板橋区南常盤 - 東京坂道さんぽ