今回は、ひさびさに千代田区の男坂に訪れてみると、すこし変わっているところがあったので、そのときのことでも。
写真1
男坂(NO.218)の中腹の踊り場と標柱(坂の碑)です。 (写真1)
こちらが、以前にきたときと変わっていましたね。
違いについては、トラベルjp の記事「都内屈指の崖地のユニークな坂道!御茶ノ水・駿河台の男坂と女坂」に写っている男坂(NO.218)の写真と比較してみてください。
また標柱のリニューアルにともない、坂名の由来の記載内容についても変わっていましたね。
今回もそのまま抜粋するとですね、
『江戸時代以来、猿楽町と駿河台の境であるこの一帯はがけ地で、もともと通路がありませんでした。一九二四年(大正十三年)八月、震災復興事業で通路が作られました。同時期に、この坂と西側の屈曲した坂の二本が作られました。直線的に上る坂のため「男坂」と名付けられ、西側の緩やかな坂は「女坂」と名付けられました。 』
とありました。
ちなみに、大正13年の震災復興事業で通路が作られたとありますが、今昔マップの昭和5年の地図には、男坂の階段らしき通路の記載は見当たりませんでしたね。
昔は学校なりの私有地とかだったんですかね。
わかりませんけど。
写真2
最後は、男坂(NO.218)の坂上からの眺めでも。 (写真2)
いつもながら、こんな都心部でのこの高低差には感心してしまいますね。
ということで、今回はこんな感じです。
地図
千代田区猿楽町
関連リンク:
→ 男坂(NO.218) /千代田区猿楽町 - 東京坂道さんぽ
→ 女坂(NO.283)その2 / 千代田区神田駿河台 - 東京坂道さんぽ
写真1
男坂(NO.218)の中腹の踊り場と標柱(坂の碑)です。 (写真1)
こちらが、以前にきたときと変わっていましたね。
違いについては、トラベルjp の記事「都内屈指の崖地のユニークな坂道!御茶ノ水・駿河台の男坂と女坂」に写っている男坂(NO.218)の写真と比較してみてください。
また標柱のリニューアルにともない、坂名の由来の記載内容についても変わっていましたね。
今回もそのまま抜粋するとですね、
『江戸時代以来、猿楽町と駿河台の境であるこの一帯はがけ地で、もともと通路がありませんでした。一九二四年(大正十三年)八月、震災復興事業で通路が作られました。同時期に、この坂と西側の屈曲した坂の二本が作られました。直線的に上る坂のため「男坂」と名付けられ、西側の緩やかな坂は「女坂」と名付けられました。 』
とありました。
ちなみに、大正13年の震災復興事業で通路が作られたとありますが、今昔マップの昭和5年の地図には、男坂の階段らしき通路の記載は見当たりませんでしたね。
昔は学校なりの私有地とかだったんですかね。
わかりませんけど。
写真2
最後は、男坂(NO.218)の坂上からの眺めでも。 (写真2)
いつもながら、こんな都心部でのこの高低差には感心してしまいますね。
ということで、今回はこんな感じです。
地図
千代田区猿楽町
関連リンク:
→ 男坂(NO.218) /千代田区猿楽町 - 東京坂道さんぽ
→ 女坂(NO.283)その2 / 千代田区神田駿河台 - 東京坂道さんぽ