今回は、町田市にある堂之坂について取り上げてみたいと思います。
場所は、堂之坂公苑のすぐ北側に隣接しており、最寄り駅でいえばJR横浜線・成瀬駅から東へ徒歩6分ほどのところにある坂道です。

写真1
坂上あたりからの様子です。 (写真1)
短い坂道でしたね。
右側が堂之坂公苑なる庭園風の施設が隣接していました。

写真2
中腹あたりから坂下あたりを見たものです。 (写真2)
右側の堂之坂公苑はもちろん、左側は邸宅で、坂下あたりも集合住宅の庭が接しているためか緑の多い坂道でしたね。
ちなみに、ここには坂名の由来が書かれているような案内板はありませんでしたが、町田市による調査資料によると、かつて坂道の途中の道端にお堂があり、ここを訪れた旅人が旅の安全を祈ったことから、いつしか堂ノ坂と呼ばれるようになったからだそうです。

写真3
最後は写真1のすぐ右側にあった堂之坂公苑の入り口です。 (写真3)
立派な作りの門でしたね。
なお堂之坂公苑については町田市のHPに説明があり、そのまま抜粋するとですね、
『江戸時代には旗本の穀倉があったところで、その穀倉は明治になって江戸屋敷消滅後に井戸氏の妻と子息が余生を送った住まいとされています。』
とありました。
ちなみに、今昔マップの古地図を見てみると、公開されている中で一番古い明治39年の地図にもこの道路の記載はあったので、堂之坂公苑が江戸時代には旗本の穀倉があったところという史実と照らし合わせると、もしかしたらこの坂道も江戸時代からあったかもしれないですね。
ということで、けっこう前の写真での紹介となりましたが、今回はこんな感じです。
地図
町田市南成瀬
関連リンク:
→ 堂之坂公苑/町田市ホームページ
場所は、堂之坂公苑のすぐ北側に隣接しており、最寄り駅でいえばJR横浜線・成瀬駅から東へ徒歩6分ほどのところにある坂道です。

写真1
坂上あたりからの様子です。 (写真1)
短い坂道でしたね。
右側が堂之坂公苑なる庭園風の施設が隣接していました。

写真2
中腹あたりから坂下あたりを見たものです。 (写真2)
右側の堂之坂公苑はもちろん、左側は邸宅で、坂下あたりも集合住宅の庭が接しているためか緑の多い坂道でしたね。
ちなみに、ここには坂名の由来が書かれているような案内板はありませんでしたが、町田市による調査資料によると、かつて坂道の途中の道端にお堂があり、ここを訪れた旅人が旅の安全を祈ったことから、いつしか堂ノ坂と呼ばれるようになったからだそうです。

写真3
最後は写真1のすぐ右側にあった堂之坂公苑の入り口です。 (写真3)
立派な作りの門でしたね。
なお堂之坂公苑については町田市のHPに説明があり、そのまま抜粋するとですね、
『江戸時代には旗本の穀倉があったところで、その穀倉は明治になって江戸屋敷消滅後に井戸氏の妻と子息が余生を送った住まいとされています。』
とありました。
ちなみに、今昔マップの古地図を見てみると、公開されている中で一番古い明治39年の地図にもこの道路の記載はあったので、堂之坂公苑が江戸時代には旗本の穀倉があったところという史実と照らし合わせると、もしかしたらこの坂道も江戸時代からあったかもしれないですね。
ということで、けっこう前の写真での紹介となりましたが、今回はこんな感じです。
地図
町田市南成瀬
関連リンク:
→ 堂之坂公苑/町田市ホームページ