今回は、前回取り上げた与兵衛坂( NO.386)の続きのような話で、町田市の馬坂という今は無くなってしまった坂道について取り上げてみたいと思います。
写真1
こちらは以前にブログで取り上げた田苗坂(NO.385)の坂下あたりから坂上方向を見ているものです。 (写真1)
なぜ田苗坂(NO.385)の写真をあげたかというとですね、現地にあった与兵衛坂( NO.386)の坂名由来が書かれた案内板に、『与兵衛医者の家は、患者が訪れる道路から見ると崖の上にあたり、遠回りをするように少し先の馬坂と呼ばれる坂道を通らなければならず、大変不便をしていました。 』という記述がありまして、そこで馬坂の存在が明らかになるんですね。
そして、前の記事では省いてしまったのですが、与兵衛坂( NO.386)の坂名の由来が書かれた案内板には次のようなことも最後に書かれていたんですよ。
『馬坂・・・・この道の長津田よりに石井家があり、その入り口に当たるところが馬坂の登り口でしたが、隣接する田苗坂の改修(昭和30年初期)の時、拡幅の為入り口部分を交換しました。 現在は,田苗坂を20m程登ったところで右側に別れて馬坂につながっています。 』
この文で見るべきところといえば。『現在は,田苗坂を20m程登ったところで右側に別れて馬坂につながっています。』というところですかね。
なので、この記載から写真1を見ると、田苗坂(NO.385)の坂下から20mほどのところといえば、ちょうど正面のオレンジ色のカーブミラーがあるあたりで、そこから右側には写真1ではわかりにくいかもしれないですけど、小道のような坂道が見えているんですよね。
たぶんこれが馬坂の痕跡だと思います。

画像
説明だけではわかりにくいので、今昔マップの古地図を拝借して、絵図にしたものです。
右側が現在で、左側が明治39年の地図です。
黄色の線で書いているのが与兵衛坂( NO.386)で、赤色の線が田苗坂(NO.385)です。
そして、赤色の先から枝分かれして描いている青色の線が、かつての馬坂という可能性が高いかなと思います。
馬坂は『隣接する田苗坂の改修(昭和30年初期)の時、拡幅の為入り口部分を交換しました。 』と案内板にはあったので、この絵図に書いた明治39年の地図の色分けは若干違うのかもしれないですけど、与兵衛坂( NO.386)の物語は江戸時代末期の話なので、その後の時間経過を考えると馬坂の位置はだいたいこんな感じだったと思いますね。
ということで、けっこう前の写真での紹介となりましたが、今回はこんな感じです。
地図
町田市南成瀬
関連リンク:
→ 与兵衛坂( NO.386)/町田市南成瀬 - 東京坂道さんぽ
→ 田苗坂(NO.385)/町田市南成瀬 - 東京坂道さんぽ
→ 今昔マップ on the web/時系列地形図閲覧サイト|埼玉大学教育学部 谷謙二(人文地理学研究室)

写真1
こちらは以前にブログで取り上げた田苗坂(NO.385)の坂下あたりから坂上方向を見ているものです。 (写真1)
なぜ田苗坂(NO.385)の写真をあげたかというとですね、現地にあった与兵衛坂( NO.386)の坂名由来が書かれた案内板に、『与兵衛医者の家は、患者が訪れる道路から見ると崖の上にあたり、遠回りをするように少し先の馬坂と呼ばれる坂道を通らなければならず、大変不便をしていました。 』という記述がありまして、そこで馬坂の存在が明らかになるんですね。
そして、前の記事では省いてしまったのですが、与兵衛坂( NO.386)の坂名の由来が書かれた案内板には次のようなことも最後に書かれていたんですよ。
『馬坂・・・・この道の長津田よりに石井家があり、その入り口に当たるところが馬坂の登り口でしたが、隣接する田苗坂の改修(昭和30年初期)の時、拡幅の為入り口部分を交換しました。 現在は,田苗坂を20m程登ったところで右側に別れて馬坂につながっています。 』
この文で見るべきところといえば。『現在は,田苗坂を20m程登ったところで右側に別れて馬坂につながっています。』というところですかね。
なので、この記載から写真1を見ると、田苗坂(NO.385)の坂下から20mほどのところといえば、ちょうど正面のオレンジ色のカーブミラーがあるあたりで、そこから右側には写真1ではわかりにくいかもしれないですけど、小道のような坂道が見えているんですよね。
たぶんこれが馬坂の痕跡だと思います。

画像
説明だけではわかりにくいので、今昔マップの古地図を拝借して、絵図にしたものです。
右側が現在で、左側が明治39年の地図です。
黄色の線で書いているのが与兵衛坂( NO.386)で、赤色の線が田苗坂(NO.385)です。
そして、赤色の先から枝分かれして描いている青色の線が、かつての馬坂という可能性が高いかなと思います。
馬坂は『隣接する田苗坂の改修(昭和30年初期)の時、拡幅の為入り口部分を交換しました。 』と案内板にはあったので、この絵図に書いた明治39年の地図の色分けは若干違うのかもしれないですけど、与兵衛坂( NO.386)の物語は江戸時代末期の話なので、その後の時間経過を考えると馬坂の位置はだいたいこんな感じだったと思いますね。
ということで、けっこう前の写真での紹介となりましたが、今回はこんな感じです。
地図
町田市南成瀬
関連リンク:
→ 与兵衛坂( NO.386)/町田市南成瀬 - 東京坂道さんぽ
→ 田苗坂(NO.385)/町田市南成瀬 - 東京坂道さんぽ
→ 今昔マップ on the web/時系列地形図閲覧サイト|埼玉大学教育学部 谷謙二(人文地理学研究室)