今回は、町田市にある与兵衛(よへえ)坂を取り上げてみたいと思います。
場所は、前回取り上げた田苗坂(NO.385)の坂下から80mほど西へ歩いたところにあり、最寄り駅でいえば、東急田園都市線・つくし野駅から北へ徒歩12分ほどのところにある坂道です。

写真1
坂下あたりの様子など。 (写真1)
昔からこうなのか、はたまた住宅開発でこうなったのかはわかりませんけど、坂の碑があるあたりは平坦でしたね。
また写真1でも見えているとおりここには坂の碑と坂名の由来が書かれた案内板があり、ここも長いのでそのまま抜粋させていただくとですね、
『昔、東光寺(南成瀬8丁目)に「与兵衛」という医者がいました。
村の人々は病気にかかると必ずと言っていいほど与兵衛医者に診察を乞いました。どんな難病であっても、与兵衛医者に診てもらうと必ず全快するという評判になりました。
この話は、いつとはなしに近隣の村々にも知れ渡り、毎日毎日多くの患者が訪れ、たいへん繁盛する事になりました。
しかし、与兵衛医者の家は、患者が訪れる道路から見ると崖の上にあたり、遠回りをするように少し先の馬坂と呼ばれる坂道を通らなければならず、大変不便をしていました。
そのうち、一刻も早く診てもらいたい気持ちから、近くの崖をよじ登って診察にくる者も出るようになりました。親切で患者思いの与兵衛医者は、仕方なく自分の敷地の崖を切り取り、新たな近道を作り患者の便をはかりました。少し急な坂道でしたが、患者たちは近道を作ってもらい大喜びをしました。そこで、与兵衛の作った道を感謝を込めて「与兵衛坂」と呼びました。
これも成瀬の伝承でありますが、そう古い昔話ではなく江戸時代末期の物語と思われます。直系の実家(木目田勝美家:成瀬8-12-3)も存在しています。また、「與兵衛稲荷大明神」の木札の納められている稲荷様があり10年ほど前に新しく再建されています。
物語では「与兵」となっていますが、与兵衛が建立したと思われる稲荷様に「與兵衛稲荷大明神」の木札があることから与兵衛としました。 』
とありました。
かなり長いですね。
有名な医者の名前由来はけっこう珍しいかもですね。

写真2
写真1の奥に階段がありました。 (写真2)
奥に進むにはなかなか勇気がいる雰囲気でしたね。

写真3
最後は、階段の中腹あたりから坂下方向を見てみたものです。 (写真3)
ここでも結構な高低差でしたね。
坂名の由来の説明には、「仕方なく自分の敷地の崖を切り取り、新たな近道を作り患者の便をはかりました。少し急な坂道でしたが、患者たちは近道を作ってもらい大喜びをしました。」とあったので、当時の坂道もこんな感じだったのかもしれないですね。
なおこれより上に行くと、行き止まりで通り抜けれない私有地感のある雰囲気だったので、写真はここまでです。
ということで、けっこう前の写真での紹介となりましたが、今回はこんな感じです。
地図
町田市南成瀬
関連リンク:
→ 田苗坂(NO.385)/町田市南成瀬 - 東京坂道さんぽ
場所は、前回取り上げた田苗坂(NO.385)の坂下から80mほど西へ歩いたところにあり、最寄り駅でいえば、東急田園都市線・つくし野駅から北へ徒歩12分ほどのところにある坂道です。

写真1
坂下あたりの様子など。 (写真1)
昔からこうなのか、はたまた住宅開発でこうなったのかはわかりませんけど、坂の碑があるあたりは平坦でしたね。
また写真1でも見えているとおりここには坂の碑と坂名の由来が書かれた案内板があり、ここも長いのでそのまま抜粋させていただくとですね、
『昔、東光寺(南成瀬8丁目)に「与兵衛」という医者がいました。
村の人々は病気にかかると必ずと言っていいほど与兵衛医者に診察を乞いました。どんな難病であっても、与兵衛医者に診てもらうと必ず全快するという評判になりました。
この話は、いつとはなしに近隣の村々にも知れ渡り、毎日毎日多くの患者が訪れ、たいへん繁盛する事になりました。
しかし、与兵衛医者の家は、患者が訪れる道路から見ると崖の上にあたり、遠回りをするように少し先の馬坂と呼ばれる坂道を通らなければならず、大変不便をしていました。
そのうち、一刻も早く診てもらいたい気持ちから、近くの崖をよじ登って診察にくる者も出るようになりました。親切で患者思いの与兵衛医者は、仕方なく自分の敷地の崖を切り取り、新たな近道を作り患者の便をはかりました。少し急な坂道でしたが、患者たちは近道を作ってもらい大喜びをしました。そこで、与兵衛の作った道を感謝を込めて「与兵衛坂」と呼びました。
これも成瀬の伝承でありますが、そう古い昔話ではなく江戸時代末期の物語と思われます。直系の実家(木目田勝美家:成瀬8-12-3)も存在しています。また、「與兵衛稲荷大明神」の木札の納められている稲荷様があり10年ほど前に新しく再建されています。
物語では「与兵」となっていますが、与兵衛が建立したと思われる稲荷様に「與兵衛稲荷大明神」の木札があることから与兵衛としました。 』
とありました。
かなり長いですね。
有名な医者の名前由来はけっこう珍しいかもですね。

写真2
写真1の奥に階段がありました。 (写真2)
奥に進むにはなかなか勇気がいる雰囲気でしたね。

写真3
最後は、階段の中腹あたりから坂下方向を見てみたものです。 (写真3)
ここでも結構な高低差でしたね。
坂名の由来の説明には、「仕方なく自分の敷地の崖を切り取り、新たな近道を作り患者の便をはかりました。少し急な坂道でしたが、患者たちは近道を作ってもらい大喜びをしました。」とあったので、当時の坂道もこんな感じだったのかもしれないですね。
なおこれより上に行くと、行き止まりで通り抜けれない私有地感のある雰囲気だったので、写真はここまでです。
ということで、けっこう前の写真での紹介となりましたが、今回はこんな感じです。
地図
町田市南成瀬
関連リンク:
→ 田苗坂(NO.385)/町田市南成瀬 - 東京坂道さんぽ