今回は、目黒区碑文谷のどぜむ坂を歩いたときのことでも。

場所は、東急東横線・都立大学駅からなら徒歩7、8分のところにあり、坂上あたりは環七通りと交差していて、そこから北東に下っている坂道です。

どぜむ坂(NO.375)1
写真1

坂上あたりから坂下方向を見てみたものです。 (写真1)
写真1の背後には前回取り上げた柿の木坂(NO.374)の坂上が対していて、ここは目黒通りでもあるので、道幅も広くて、車の量も多かったですね。

どぜむ坂(NO.375)2
写真2

こちらは同じく坂上からのものですけど、写真1では高低差感がわかりにくかったので、坂上あたりから望遠を利かして坂下方向を撮ってみたものです。 (写真2)
こうしてみるとけっこう高低差ありましたね。

ただ、今昔マップの古地図なんかを見てみると、昔はもうすこし幅の狭い道路みたいでしたね。

どぜむ坂(NO.375)3
写真3

坂の中腹あたりまできて、坂上方向をみてみました。 (写真3)
この時間は左側の車線が渋滞していたので、こちら側を歩いて撮ってみました。

ちなみに、この写真でも渋滞している左車線の向こうのスーパー・オオゼキの前に実は小さく写っているんですけど(ただ当日は気が付かなくて、あとでみたら写っていたと感じです(汗) )、ここにも坂の由来が書かれた案内板がありました。
なので説明の内容については、メモしていないのでわからないと言いたいところですけど、それでは寂しいということで、このブログも紹介リンクしてくださっている「東京23区の坂道」さんのサイトに案内板に書かれている内容が掲載されていたので、そのまま抜粋させていただくとですね、
『坂名の”どぜむ”は堂前(どうぜん)の意味で、昔このあたりの道端にお堂があったことから、”どぜむ”と呼ぶようになったといわれる。また、この土地の”土左衛門”なる人がひらいた坂なので”どざえもん坂”、それがなまって、”どぜも坂””どぜむ坂”と呼ばれるようになったともいわれている。』
とのこと。
なるほど。
それにしても「どざえもん坂」と呼ばれて時期もあったとは興味深いですね。
(一瞬、”ドラえもん坂”と脳内空耳していまいましたよ。(^^))

あと、写真3の右側に写っているガラス張りの建物なんですけど、こちらはマツダの目黒碑文谷店で、設計はサポーズデザインオフィスが担当されているということなどから、建築系の専門誌などでも紹介されていましたね。

どぜむ坂(NO.375)4
写真4

坂下あたりからの様子です。 (写真4)
道路沿いには銀杏が植えられていて、ちょうど見頃の時期でしたね。

なお、江戸東京坂道事典によると、幕末の安政ごろは、このあたりに茶店や団子屋が並んでいて、今の都心方面に向かう人たちの休憩スポットとして、かなりにぎわっていたそうですよ。

どぜむ坂(NO.375)5
写真5

最後は、坂下あたりからさらに坂下方向を見てみたものです。 (写真5)
もうこのあたりからは平坦な道のですけど、どぜむ坂といえば、この道路右側に見えているイオンスタイル碑文谷(昔はダイエーでしたね)を思い浮かべる地元の方も多いとは思いますけど、上記の休憩スポットの史実からしてもここにこういう飲食もできるスーパーがあるというのは、なにか歴史的にそういう空気感みたいなものがあるのかなあ、なんて妄想してしまったのですが、どうなんでしょうね。

ということで、今回はこんな感じです。

地図
目黒区碑文谷

関連リンク:
→ 柿の木坂(NO.374)/ 目黒区柿の木坂 - 東京坂道さんぽ