今回は、目黒区にある柿の木坂を取り上げてみたいと思います。

場所は、東急東横線・都立大学駅から徒歩で1、2分のところにある目黒通り沿いを北東に上っている坂道です。

柿の木坂(NO.374)1
写真1

まずは坂上あたりからの風景など。 (写真1)
目黒通り沿いの坂道ということもあり、交通量の多い坂道でした。
風景的には、高低差もあり、道路沿いには銀杏並木もあり、訪れたときはちょうどいい見頃の時期でもありましたね。
そして、この坂道は富士山方向に軸線は向いているんですけど、現地で調べた限りはまわりの建物などがあって富士山は見えそうになかったですし、実際見えなかったですね。
もしかしたら昔は見えたのかもしれないですけどね。

また、このすぐ右側には日本ではじめて設立されたインテリアデザインの専門学校であるICSカレッジオブアーツの校舎も隣接していましたね。

柿の木坂(NO.374)2
写真2

坂を下り、中腹辺りから坂下方向を見てみたものです。 (写真2)
坂道の途中には、東急東横線の線路が横切っていました。

あとは、写真2の中央左側にも見えているとおり、「柿の木坂」と書かれた案内標識があり、この案内標識には坂名の由来も書かれているようなんですけど、劣化やいたずら書きのため全部は読めませんでした。

ただですね、目黒区の公式HPに柿の木坂の坂名の由来についての記載があったんですよ、なので、そのまま抜粋させていただくとですね、
『昔、このあたりの農民は、朝早く起きて、野菜などを手車に積んで市中に売りに出かけていた。途中、坂が多いので、3人、4人と組を作って出かけ、大きな坂にくると、組同志で順々に車を坂の上まで押し上げて登った。1台押し上げては、また坂の下の次の車をみんなで押した。
これを見ていた子供たちは、坂の上に押し上げられた人のいない車の中から柿を抜きとっては逃げ、農家の人を困らせていた。そんなことが繰り返されているうちに、だれというとなく「柿ぬき坂」と呼び、それがなまって「柿の木坂」となったのだという。』
とあり、また別の説として、
『このあたりは柿の木が多く、特に坂のそばに、ひときわ大きな柿の木があったことから、柿の木坂と呼ばれるようになったのだという。』
とあったり、
『このあたり一帯は、人家が少なく、夕暮れになると人の往来がぱったり途絶え、さびしい坂だったので、みんながこの坂をかけ抜けて通ったという。そんなことから「かけ抜け坂」となり、なまって「柿の木坂」になったという。』
とあったりしました。

ちなみに、坂道本の江戸東京坂道事典では”柿ぬき坂”説、山野さんの「江戸の坂」では”大きな柿の木”説が有力と説いていましたね。

柿の木坂(NO.374)3
写真3

東急東横線の線路下あたりから、坂上方向をみてみました。 (写真3)
こうみると高低差もあって、銀杏並木も印象的な坂道でしたね。

柿の木坂(NO.374)4
写真4

現在の柿の木坂の坂下あたりの様子など。 (写真4)
ここから都立大学駅はすぐでしたね。

柿の木坂(NO.374)5
画像

こちらは今昔マップから拝借した地図をいつものように絵図にしたものです。
左側が昭和4年の古地図で、柿の木坂にあたる部分は赤い線で書いています。
これをみると、どうやら今の柿の木坂の坂下あたりの道路は昭和4年より以前にはなかったみたいですね。
地図では緑の線で書いてますけど、おそらくこちらの今もある道路が旧道の可能性が高いですね。
あと地図見ると、今の都立大学駅は、昔は柿の木坂駅だったんですね。
知らなかったです。(^^)

ということで、今回はこんな感じです。

地図
目黒区柿の木坂あたり

関連リンク:
→ 目黒の坂 柿の木坂:目黒区公式ホームページ
→ 今昔マップ on the web/時系列地形図閲覧サイト|埼玉大学教育学部 谷謙二(人文地理学研究室)