いなり坂と呼ぶそうです。
場所は、鸛の巣坂 (NO.363) の坂下から南東へ徒歩で1分ほどの場所にあります。

写真1
坂下あたりから坂上方向を見てみたものです。(写真1)
ここも坂上まで一直線の形をしており、高低差もけっこうありました。
ちなみに、ここにも写真1でちらりと見えているとおり、坂名の由来が書かれた坂の碑があり、
『坂上の上池台五丁目十四番の南側角地に、玉倉稲荷という上谷戸(かみやと)の稲荷神社がまつってあるので稲荷坂と名づけられたという。この坂道は耕地整理により出来たといわれている。』
とありました。
「上池台五丁目十四番の南側角地にあるという玉倉稲荷」とあったのですが、現地ではどうせかつてあった稲荷だろうなあ、なんて勝手に決め込んでしまい、そのままスルーしてしまったのですが、なんと、帰ってから知らべてみると、今も実在する稲荷だったんですよ。(汗)
(しかもyoutubeに稲荷の動画をあげてくださっているかたなんかもいたりして。)
ちなみに、玉倉稲荷の場所は、上池台5丁目14番の南西側の角地にあるようですね。
今回は、写真撮れませんでしたが、また行く機会でもあれば撮りたいと思います。(ペコリ)
あとこの坂道は、江戸東京坂道事典でも取り上げられていたので、すこし気になって今昔マップで1896〜1909年代の古地図をみてみると、たしかに昔の道路は形も位置も今とすこし違っていて、今の坂道は耕地整理により出来たというのも納得できましたね。

写真2
坂上あたりにある坂の碑のある場所から、坂下方向を見てみました。(写真2)
かなりの高低差でしたね。
写真2の左側には稲荷坂と名前がつけられた稲荷坂公園もあって、園内にはベンチもあったのでひと休憩くらいはできそうでしたね。
それにしてもこの背後のすこし離れた場所に坂名の由来にもなった玉倉稲荷が実際にあったとはミスりましたね。
ただまあこの日は、写真2みてもわかると思いますけど、暗くなりだしていたので、そこで急いでいたところもあるんですけどね。
ということで、今回はこんな感じです。
地図
大田区上池台
関連リンク:
→ 大田区ホームページ:稲荷坂(上池台)
→ 鸛の巣坂 (NO.363) /大田区上池台 - 東京坂道さんぽ
→ 今昔マップ on the web/時系列地形図閲覧サイト|埼玉大学教育学部 谷謙二(人文地理学研究室)
場所は、鸛の巣坂 (NO.363) の坂下から南東へ徒歩で1分ほどの場所にあります。

写真1
坂下あたりから坂上方向を見てみたものです。(写真1)
ここも坂上まで一直線の形をしており、高低差もけっこうありました。
ちなみに、ここにも写真1でちらりと見えているとおり、坂名の由来が書かれた坂の碑があり、
『坂上の上池台五丁目十四番の南側角地に、玉倉稲荷という上谷戸(かみやと)の稲荷神社がまつってあるので稲荷坂と名づけられたという。この坂道は耕地整理により出来たといわれている。』
とありました。
「上池台五丁目十四番の南側角地にあるという玉倉稲荷」とあったのですが、現地ではどうせかつてあった稲荷だろうなあ、なんて勝手に決め込んでしまい、そのままスルーしてしまったのですが、なんと、帰ってから知らべてみると、今も実在する稲荷だったんですよ。(汗)
(しかもyoutubeに稲荷の動画をあげてくださっているかたなんかもいたりして。)
ちなみに、玉倉稲荷の場所は、上池台5丁目14番の南西側の角地にあるようですね。
今回は、写真撮れませんでしたが、また行く機会でもあれば撮りたいと思います。(ペコリ)
あとこの坂道は、江戸東京坂道事典でも取り上げられていたので、すこし気になって今昔マップで1896〜1909年代の古地図をみてみると、たしかに昔の道路は形も位置も今とすこし違っていて、今の坂道は耕地整理により出来たというのも納得できましたね。

写真2
坂上あたりにある坂の碑のある場所から、坂下方向を見てみました。(写真2)
かなりの高低差でしたね。
写真2の左側には稲荷坂と名前がつけられた稲荷坂公園もあって、園内にはベンチもあったのでひと休憩くらいはできそうでしたね。
それにしてもこの背後のすこし離れた場所に坂名の由来にもなった玉倉稲荷が実際にあったとはミスりましたね。
ただまあこの日は、写真2みてもわかると思いますけど、暗くなりだしていたので、そこで急いでいたところもあるんですけどね。
ということで、今回はこんな感じです。
地図
大田区上池台
関連リンク:
→ 大田区ホームページ:稲荷坂(上池台)
→ 鸛の巣坂 (NO.363) /大田区上池台 - 東京坂道さんぽ
→ 今昔マップ on the web/時系列地形図閲覧サイト|埼玉大学教育学部 谷謙二(人文地理学研究室)