「どう坂」と呼ぶそうです。
場所は羽村市とあきる野市の間を流れている多摩川に架かっている羽村大橋からほど近い場所にあります。
最寄り駅はJR青梅線の羽村駅ですね。
なお羽村大橋や多摩川対岸のあきる野市の坂道については、前回の記事「江里坂(NO.340)、比丘尼坂(NO.341)、折立坂(NO.342) /あきる野市」で紹介していますので、そちらをどうぞ。
と、昔の感じではじめてみましたが、今回の坂道はトラベルjpの取材ついでに歩いた坂道です。

写真1
では坂道のほうに移りまして、こちらは堂坂の坂上あたりの風景です。(写真1)
左側の車が走っている道は奥多摩街道で、このあたりの主要な道路ということもあり車通りは多めでしたね。
坂上あたりには、坂の碑のようなものはないので、そのまます素通りしてしまいそうな道でした。

写真2
坂道を下っていき、ほぼ坂下あたりまでくると、写真2のような階段とスロープがありました。
なかなかおもしろいつくりだったので、ぱちりと。
階段上に設けられた庇もおもしろいですね。

写真3
せっかくなので、階段の写真をもう一枚。(写真3)
どうやらこの階段は、地上部の奥多摩街道の下に通された地下通路のようでした。
しかも名前もあって「川崎地下歩道」とありました。
こんなのんびりしたところに、こんな立派な地下通路があるのにはすこしびっくりしましたね。
ちなみに、この堂坂は、川崎街道(ただし川崎宿に通じる街道とは関係なさそうだと思います)とも呼ばれているので、この地下通路の名前はそこからきている可能性が高いと思いますね。

写真4
そして、こちらは坂下あたりからの景色です。(写真4)
坂道的には短めの距離ですかね。
あとは、このそばに坂名の由来などが書かれた案内看板があったので、すこし抜粋しておくとですね、
『この坂を下りる途中の左側あたりに薬師堂がありました。そのためにこの坂は堂坂とよばれたようです。承応2年(1653)に玉川上水の工事が始まると、その敷地にあたったために、薬師堂は上の台地に移されました。現在、薬師堂は川崎の宗禅寺の境内に移築されて、多くの人々に信仰されています。(略)』
とありました。
なるほど。
なお宗禅寺は、現在も近くにあって堂坂からなら徒歩で6分くらいの場所にありますね。
ちなみに、この堂坂は、トラベルjpの記事「雄大な多摩川と羽村大橋の景色!あきる野市・江里坂と界隈坂道巡り」の最後のほうでも取り上げた多摩川の渡しを使う人が通る道だったことで、地域でも重要な道であり坂道だったようです。
だから川崎街道という名前もつけられているのかもしれないですね。

写真5
そして、堂坂のさらに坂下方向に歩くと橋が架かっています。(写真5)
名前も坂道にちなんでか「堂橋」と名付けられています。
もうおわかりかと思いますけど、この橋は玉川上水を渡るためのものですね。
ようは写真4でいえば、左側すぐの場所を玉川上水が流れているんですよ。
なので案内看板にあった堂坂の坂名の由来ともなった薬師堂はこの橋の左側のどこかにあったとみるべきかもですね。

写真6
最後は橋からみた玉川上水です。(写真6)
この右側を堂坂は玉川上水と並行して上っている地形具合になっています。
このあたりは上流だからなのか、両岸が緑に覆われていてなかなかでしたね。
なお、玉川上水の詳しいことはここではこれ以上書きませんけど、昨日放送されたブラタモリの「江戸の水〜江戸の水が東京を潤す?〜」の回で、この堂坂近くにある羽村取水堰をはじめ玉川上水全般のことが取り上げられていましたので、気になる方はそちらを参考にしてみるといいかもしれないですね。
ということで、今回はこんな感じです。
地図
羽村市川崎4
場所は羽村市とあきる野市の間を流れている多摩川に架かっている羽村大橋からほど近い場所にあります。
最寄り駅はJR青梅線の羽村駅ですね。
なお羽村大橋や多摩川対岸のあきる野市の坂道については、前回の記事「江里坂(NO.340)、比丘尼坂(NO.341)、折立坂(NO.342) /あきる野市」で紹介していますので、そちらをどうぞ。
と、昔の感じではじめてみましたが、今回の坂道はトラベルjpの取材ついでに歩いた坂道です。

写真1
では坂道のほうに移りまして、こちらは堂坂の坂上あたりの風景です。(写真1)
左側の車が走っている道は奥多摩街道で、このあたりの主要な道路ということもあり車通りは多めでしたね。
坂上あたりには、坂の碑のようなものはないので、そのまます素通りしてしまいそうな道でした。

写真2
坂道を下っていき、ほぼ坂下あたりまでくると、写真2のような階段とスロープがありました。
なかなかおもしろいつくりだったので、ぱちりと。
階段上に設けられた庇もおもしろいですね。

写真3
せっかくなので、階段の写真をもう一枚。(写真3)
どうやらこの階段は、地上部の奥多摩街道の下に通された地下通路のようでした。
しかも名前もあって「川崎地下歩道」とありました。
こんなのんびりしたところに、こんな立派な地下通路があるのにはすこしびっくりしましたね。
ちなみに、この堂坂は、川崎街道(ただし川崎宿に通じる街道とは関係なさそうだと思います)とも呼ばれているので、この地下通路の名前はそこからきている可能性が高いと思いますね。

写真4
そして、こちらは坂下あたりからの景色です。(写真4)
坂道的には短めの距離ですかね。
あとは、このそばに坂名の由来などが書かれた案内看板があったので、すこし抜粋しておくとですね、
『この坂を下りる途中の左側あたりに薬師堂がありました。そのためにこの坂は堂坂とよばれたようです。承応2年(1653)に玉川上水の工事が始まると、その敷地にあたったために、薬師堂は上の台地に移されました。現在、薬師堂は川崎の宗禅寺の境内に移築されて、多くの人々に信仰されています。(略)』
とありました。
なるほど。
なお宗禅寺は、現在も近くにあって堂坂からなら徒歩で6分くらいの場所にありますね。
ちなみに、この堂坂は、トラベルjpの記事「雄大な多摩川と羽村大橋の景色!あきる野市・江里坂と界隈坂道巡り」の最後のほうでも取り上げた多摩川の渡しを使う人が通る道だったことで、地域でも重要な道であり坂道だったようです。
だから川崎街道という名前もつけられているのかもしれないですね。

写真5
そして、堂坂のさらに坂下方向に歩くと橋が架かっています。(写真5)
名前も坂道にちなんでか「堂橋」と名付けられています。
もうおわかりかと思いますけど、この橋は玉川上水を渡るためのものですね。
ようは写真4でいえば、左側すぐの場所を玉川上水が流れているんですよ。
なので案内看板にあった堂坂の坂名の由来ともなった薬師堂はこの橋の左側のどこかにあったとみるべきかもですね。

写真6
最後は橋からみた玉川上水です。(写真6)
この右側を堂坂は玉川上水と並行して上っている地形具合になっています。
このあたりは上流だからなのか、両岸が緑に覆われていてなかなかでしたね。
なお、玉川上水の詳しいことはここではこれ以上書きませんけど、昨日放送されたブラタモリの「江戸の水〜江戸の水が東京を潤す?〜」の回で、この堂坂近くにある羽村取水堰をはじめ玉川上水全般のことが取り上げられていましたので、気になる方はそちらを参考にしてみるといいかもしれないですね。
ということで、今回はこんな感じです。
地図
羽村市川崎4