この日がやってきました。
今年はコロナ禍の中での26年目ということで、いろいろ考えさせられることも多いです。
しかも例年なら年始に地元に帰省して震災遺構の旅(散歩?めぐり?)をするのですが、今年はコロナの影響もあり年末年始はずっと東京にいたので、新たに訪れた話はありません。
ただ1年前の2020年の年始には、ブログでも書いた「人と防災未来センター」を訪れたあとにぶらぶらと海岸線を西に歩いて、「みなとのもり公園」という公園まで歩いて現地も軽く見てきたので、そのときのこともまじえて今回はいつもの震災遺構の旅がわりにしたいと思います。
写真1
「みなとのもり公園」はJR三ノ宮駅からフラワーロード沿いに海方面に向かって少し歩くと東遊園地があるのですが、そのすぐ近くにあります。
みなとのもり公園は、別名で「神戸震災復興記念公園」ともいわれています。
以前はJR貨物神戸港駅があったようで、園内には関連モニュメントもありました(今回は詳しくはとりあげませんが、鉄道マニアのかたにはおすすめかも)。
なのでみなとのもり公園は震災復興記念公園という未来に向けた位置づけで特に過去の震災遺構があるわけでもないようなので、昨年のブログでは取り上げなかったとも言えます。(ただそのあたりの詳しいことはまた昼の明るい時間帯に再訪して調べてみたいと思いますけど。)
写真2
ちなみに園内の北東側の場所には写真2のような看板もあり、そこには「語り継ぎ広場」と書いてありました。
看板には「震災の経験と世界の人々の悲しみを後世に語り継ぐためにこの広場をつくり続けます」とありました。
なるほど。
今回は記事にするつもりはなかったので、この広場に関する写真はないのですが、興味深い試みであり場所かもしれないですね。
もしかしたら年々関連するなにかが追加されていくのかもしれないですが、そこのところは同じく来年以降に持ち越しということで。
写真3
園内には、「しあわせ運べるように」の石碑もありました。(写真3)
この歌は被災地で復興を願う歌としてよく歌われてきたことでも有名ですね。
今日(1月17日)、正式に神戸市の第2の市歌になったというニュースも流れていたので、こちらも取り上げておくことにしました。
地震にも 負けない
強い心をもって
亡くなった方々のぶんも
毎日を 大切に生きてゆこう
傷ついた神戸を 元の姿にもどそう
支え合う心と明日への
希望を胸に
響きわたれ ぼくたちの歌
生まれ変わる 神戸の街に
届けたい わたしたちの歌
しあわせ 運べるように
※1番のみ石碑から歌詞を引用してみました。
写真4
写真4は、園内の南東部にあるちょっとした人工高台からの景色です。
この公園は防災公園でもあるので、やはり浸水対策としてこの高台もつくられたとは思いますが、当日はこのブログらしく高台へとのぼる階段からみた景色として撮ってみました。
ちなみに、さっきの「語り継ぎ広場」は写真4でいえば、奥のほうの園内の照明で明るくなっているあたりがそうですね。
写真5
あと公園のことを書いていて、ふと思い出したことをもうひとつ。
写真5は、昨年、「人と防災未来センター」に訪れたときに撮った、当時の避難所の様子を再現した模型です。
コロナ禍の今みると信じられないような密の光景ですが、それを抜きにしても当時からこうして模型に残されるくらい避難所の環境は劣悪だったんですよね。
そういう意味でも今はコロナ対策のことも踏まえながら避難所のありかた(空間構成もふくめて)自体を大幅にアップデートしないといけないかなあと、模型の写真をみながら思いました。
おそらくなにも対策しないとまたこういう状況にこれまでの生活習慣(コロナ禍を経験するなかでいかに多くの人が密をつくりやすくそれに対して嫌悪感みたなものをいだいていない人が多いのかもしれない、と個人的には思っています)などからも慣れでこうなってしまうところも多いのかもしれないですしね。
千年後まで伝えたい〜震災遺構「神戸の壁」
最後は、昨年のブログでも取り上げたモニュメント「神戸の河辺・鎮魂と復興のベンチ」(昨年の記事でいうと写真3です)に関係するニュースがおととい公開されていたので時間が経たないうちに紹介しておきます。
「神戸の河辺・鎮魂と復興のベンチ」というモニュメントとは、(昨年のブログをそのまま引用しますが)1927年頃に神戸市長田区の若松市場の防火壁としてつくられ、先の戦争での空襲や地震でも残ったという「神戸の壁」と名付けられた防火壁の基礎の一部をベンチの背もたれとして造形したモニュメントのことです。
ちなみに上の動画は、その「神戸の壁」について取り上げていて、「神戸の河辺・鎮魂と復興のベンチ」の制作に関わった三原泰治さんも出演されている読売テレビの番組で放送されたものがそのままyoutubeの番組公式チャンネルで公開されていたので、貼り付けてみました。
この震災遺構は現在、淡路島にある北淡震災記念公園で展示されているようで、僕としてもおいそれと気軽にいける場所ではないので、動画では現地の映像まで公開してくれていて感嘆しました。
またそのうち実物もみてみたいなあと妄想しつつ。
ということで、コロナの影響もあり新たな場所に訪れることはできませんでしたが、とりあえず例年どおり1.17の日に記事は公開することができました。
あと今年はコロナのおかげというか自分の中で環境(問題?)に対する意識がこれまでになく高くなるなか、以前から薄々気がついてはいたことなのですが、地震も環境問題と密接に関係しているのではないかと思うようになり(感じたことはまたそのうちおいおい書くと思いますが)、そういう意味では今後はそういう視点も持ちながら地震のこと防災のことも考えていきたいなあと思っています。
そして来年以降も震災遺構の旅(散歩?)は続けていきたいと思っていますのでよろしくお願いします。
今年はコロナ禍の中での26年目ということで、いろいろ考えさせられることも多いです。
しかも例年なら年始に地元に帰省して震災遺構の旅(散歩?めぐり?)をするのですが、今年はコロナの影響もあり年末年始はずっと東京にいたので、新たに訪れた話はありません。
ただ1年前の2020年の年始には、ブログでも書いた「人と防災未来センター」を訪れたあとにぶらぶらと海岸線を西に歩いて、「みなとのもり公園」という公園まで歩いて現地も軽く見てきたので、そのときのこともまじえて今回はいつもの震災遺構の旅がわりにしたいと思います。
写真1
「みなとのもり公園」はJR三ノ宮駅からフラワーロード沿いに海方面に向かって少し歩くと東遊園地があるのですが、そのすぐ近くにあります。
みなとのもり公園は、別名で「神戸震災復興記念公園」ともいわれています。
以前はJR貨物神戸港駅があったようで、園内には関連モニュメントもありました(今回は詳しくはとりあげませんが、鉄道マニアのかたにはおすすめかも)。
なのでみなとのもり公園は震災復興記念公園という未来に向けた位置づけで特に過去の震災遺構があるわけでもないようなので、昨年のブログでは取り上げなかったとも言えます。(ただそのあたりの詳しいことはまた昼の明るい時間帯に再訪して調べてみたいと思いますけど。)
写真2
ちなみに園内の北東側の場所には写真2のような看板もあり、そこには「語り継ぎ広場」と書いてありました。
看板には「震災の経験と世界の人々の悲しみを後世に語り継ぐためにこの広場をつくり続けます」とありました。
なるほど。
今回は記事にするつもりはなかったので、この広場に関する写真はないのですが、興味深い試みであり場所かもしれないですね。
もしかしたら年々関連するなにかが追加されていくのかもしれないですが、そこのところは同じく来年以降に持ち越しということで。
写真3
園内には、「しあわせ運べるように」の石碑もありました。(写真3)
この歌は被災地で復興を願う歌としてよく歌われてきたことでも有名ですね。
今日(1月17日)、正式に神戸市の第2の市歌になったというニュースも流れていたので、こちらも取り上げておくことにしました。
地震にも 負けない
強い心をもって
亡くなった方々のぶんも
毎日を 大切に生きてゆこう
傷ついた神戸を 元の姿にもどそう
支え合う心と明日への
希望を胸に
響きわたれ ぼくたちの歌
生まれ変わる 神戸の街に
届けたい わたしたちの歌
しあわせ 運べるように
※1番のみ石碑から歌詞を引用してみました。
写真4
写真4は、園内の南東部にあるちょっとした人工高台からの景色です。
この公園は防災公園でもあるので、やはり浸水対策としてこの高台もつくられたとは思いますが、当日はこのブログらしく高台へとのぼる階段からみた景色として撮ってみました。
ちなみに、さっきの「語り継ぎ広場」は写真4でいえば、奥のほうの園内の照明で明るくなっているあたりがそうですね。
写真5
あと公園のことを書いていて、ふと思い出したことをもうひとつ。
写真5は、昨年、「人と防災未来センター」に訪れたときに撮った、当時の避難所の様子を再現した模型です。
コロナ禍の今みると信じられないような密の光景ですが、それを抜きにしても当時からこうして模型に残されるくらい避難所の環境は劣悪だったんですよね。
そういう意味でも今はコロナ対策のことも踏まえながら避難所のありかた(空間構成もふくめて)自体を大幅にアップデートしないといけないかなあと、模型の写真をみながら思いました。
おそらくなにも対策しないとまたこういう状況にこれまでの生活習慣(コロナ禍を経験するなかでいかに多くの人が密をつくりやすくそれに対して嫌悪感みたなものをいだいていない人が多いのかもしれない、と個人的には思っています)などからも慣れでこうなってしまうところも多いのかもしれないですしね。
千年後まで伝えたい〜震災遺構「神戸の壁」
最後は、昨年のブログでも取り上げたモニュメント「神戸の河辺・鎮魂と復興のベンチ」(昨年の記事でいうと写真3です)に関係するニュースがおととい公開されていたので時間が経たないうちに紹介しておきます。
「神戸の河辺・鎮魂と復興のベンチ」というモニュメントとは、(昨年のブログをそのまま引用しますが)1927年頃に神戸市長田区の若松市場の防火壁としてつくられ、先の戦争での空襲や地震でも残ったという「神戸の壁」と名付けられた防火壁の基礎の一部をベンチの背もたれとして造形したモニュメントのことです。
ちなみに上の動画は、その「神戸の壁」について取り上げていて、「神戸の河辺・鎮魂と復興のベンチ」の制作に関わった三原泰治さんも出演されている読売テレビの番組で放送されたものがそのままyoutubeの番組公式チャンネルで公開されていたので、貼り付けてみました。
この震災遺構は現在、淡路島にある北淡震災記念公園で展示されているようで、僕としてもおいそれと気軽にいける場所ではないので、動画では現地の映像まで公開してくれていて感嘆しました。
またそのうち実物もみてみたいなあと妄想しつつ。
ということで、コロナの影響もあり新たな場所に訪れることはできませんでしたが、とりあえず例年どおり1.17の日に記事は公開することができました。
あと今年はコロナのおかげというか自分の中で環境(問題?)に対する意識がこれまでになく高くなるなか、以前から薄々気がついてはいたことなのですが、地震も環境問題と密接に関係しているのではないかと思うようになり(感じたことはまたそのうちおいおい書くと思いますが)、そういう意味では今後はそういう視点も持ちながら地震のこと防災のことも考えていきたいなあと思っています。
そして来年以降も震災遺構の旅(散歩?)は続けていきたいと思っていますのでよろしくお願いします。