今年もこの日がやってきました。
しかも25年という節目ですね。
ただ、そうはいってもこのブログではなにか特別なことをするわけでなく、例年通り、年始に地元の震災遺構の旅(散歩?めぐり?)をしてきました。
ちなみに昨年の12月には、"体感 首都直下地震ウイーク”と称して、NHKテレビさんが12月1日から8日までの期間に、東京で大きな直下型の地震が起きた場合を想定した衝撃的な内容も含むドキュメンタリーとドラマが放送されました。
(公式ホームページ→NHK「体感 首都直下地震ウイーク」)
(なお、みていない方を対象にNHKのオンデマンドでも、見逃し配信をやっているようです。→NHKスペシャル 体感 首都直下地震)
そんな流れもあって、今年は原点回帰して神戸の「人と防災未来センター」でかなりひさびさに入場料を払って施設を見学してきました。
これは、NHKスペシャルをみた直後ということもあり、もしかしたらこれまでとはすこし違った視点で展示物などを見られるかもしれないと思ったからです。
あとは、「人と防災未来センター」の1階で震災25年特別展示が開催されていることも理由のひとつでしたかね。

写真1
「人と防災未来センター」の敷地内には、昨年は気が付かなかったモニュメント(震災遺構?)を見つけました。(写真1)
それが写真1に写っている2つです。
人と防災未来センターの建物の海側にありました。なぜ気が付かなったんだろうと思いだしてみると、昨年は施設の山側からやってきて帰りも同じ方向で帰ったからだったようです。

写真2
写真1の左側には「阪神高速道路コンクリート橋脚の被害」と説明板に書かれたモニュメントが置かれていました。(写真2)
これはまさに阪神高速道路コンクリート橋脚の被害を後世に伝えるために設置された震災遺構のようでした。
説明によるとこれは阪神高速3号神戸線の橋脚らしく、2次災害防止のためにコンクリートで柱の周囲を補強した部分を4分割したしたその4分の1になったものを保存展示しているとのことでした。(写真2でいうと左側の背の高い部分がもとからあった柱で、右の低い部分が2次災害防止のためにあとから補強された部分みたいです。)

写真3
写真1の右側には、「神戸の河辺・鎮魂と復興のベンチ」というモニュメントが設置されていました。(写真3)
これは、1927年頃に神戸市長田区の若松市場の防火壁としてつくられ、先の戦争での空襲や地震でも残ったという「神戸の壁」と名付けられた防火壁の基礎の一部をベンチの背もたれとして造形したモニュメントとのこと。
現地では恐れ多くて座ることができませんでしたが、これは震災遺構でもありアート作品ということにもなるベンチなんでしょうね。

写真4
そして、「人と防災未来センター」の中に入り1階のホールで開催されている震災25年特別展示も見てきました。(写真4)
写真4は展示会場の様子ですね。
過去の衝撃的な写真などもありましたが、個人的には、同じく展示されていた「GISで見直す被災地図」という震災当時の被災状況を記録した地図が気になりました。写真は今回載せませんけど、もしかしたらそのうちネットでも公開される可能性もあるかもしれませんね。(なお写真4の左側にその地図がちらりとみえていたりします。)

写真5
過去の衝撃的な写真でいえば、西宮市の仁川地区での地すべりがおこった直後の写真は個人的には印象的でした。(写真5)
これは2018年に「仁川百合野町地区・地すべり資料館」を訪れた記憶も重なっていたからかもしれませんが。
なお、今回見ることができた特別展示は無料で、youtubeのサンテレビチャンネルで、特別展示のことを紹介しているニュース動画が公開されていましたので、遠くていけないという方はこちらをみると雰囲気だけわかると思います。(→ 動画はこちら)

写真6
今年は中の展示も見てきました。(写真6)
いろいろ新しい気づきもありましたが、今回は写真6にもあるとおり、アスベスト問題のパネルを3階の震災の記憶フロアで見た時はあせりましたね。
震災当時はまったく気にしていなかったのですが、今考えると怖いですね。しかも当時僕はマスクをしていた覚えがないので、どれくらい有害物質を吸ってしまったのだろうと思うと怖くなってしまいました。

写真7
同じく3階の震災の記憶フロアに展示されていたものです。(写真7)
知っている方もいるかもしれないですが、これはマグニチュードの大きさを模型で表現したものとのこと。
一番上の大きいのがM9で、下のは左側からM8、M7.3、M7.0、M6.3,M6.0という具合になっていました。
M7.3が阪神淡路大震災クラスの地震ということだそうです。
そう考えるとM9は恐ろしい大きさですね。実際に起こらないことを祈るばかりです。

写真8
施設内の展示物はかなりのボリュームだったので、外にでるとあたりは暗くなっていました。(写真8)
写真8はライトアップされた人と防災未来センターの建物です。
どうやら期間限定のイベントらしいので、記念に載せておきました。
ということで、今年も例年どおり1.17の日に記事を公開してみました。
来年以降も震災遺構の旅(散歩?)は続けていきたいと(今のところ)思っていますので、よろしくお願いします。
しかも25年という節目ですね。
ただ、そうはいってもこのブログではなにか特別なことをするわけでなく、例年通り、年始に地元の震災遺構の旅(散歩?めぐり?)をしてきました。
ちなみに昨年の12月には、"体感 首都直下地震ウイーク”と称して、NHKテレビさんが12月1日から8日までの期間に、東京で大きな直下型の地震が起きた場合を想定した衝撃的な内容も含むドキュメンタリーとドラマが放送されました。
(公式ホームページ→NHK「体感 首都直下地震ウイーク」)
(なお、みていない方を対象にNHKのオンデマンドでも、見逃し配信をやっているようです。→NHKスペシャル 体感 首都直下地震)
そんな流れもあって、今年は原点回帰して神戸の「人と防災未来センター」でかなりひさびさに入場料を払って施設を見学してきました。
これは、NHKスペシャルをみた直後ということもあり、もしかしたらこれまでとはすこし違った視点で展示物などを見られるかもしれないと思ったからです。
あとは、「人と防災未来センター」の1階で震災25年特別展示が開催されていることも理由のひとつでしたかね。

写真1
「人と防災未来センター」の敷地内には、昨年は気が付かなかったモニュメント(震災遺構?)を見つけました。(写真1)
それが写真1に写っている2つです。
人と防災未来センターの建物の海側にありました。なぜ気が付かなったんだろうと思いだしてみると、昨年は施設の山側からやってきて帰りも同じ方向で帰ったからだったようです。

写真2
写真1の左側には「阪神高速道路コンクリート橋脚の被害」と説明板に書かれたモニュメントが置かれていました。(写真2)
これはまさに阪神高速道路コンクリート橋脚の被害を後世に伝えるために設置された震災遺構のようでした。
説明によるとこれは阪神高速3号神戸線の橋脚らしく、2次災害防止のためにコンクリートで柱の周囲を補強した部分を4分割したしたその4分の1になったものを保存展示しているとのことでした。(写真2でいうと左側の背の高い部分がもとからあった柱で、右の低い部分が2次災害防止のためにあとから補強された部分みたいです。)

写真3
写真1の右側には、「神戸の河辺・鎮魂と復興のベンチ」というモニュメントが設置されていました。(写真3)
これは、1927年頃に神戸市長田区の若松市場の防火壁としてつくられ、先の戦争での空襲や地震でも残ったという「神戸の壁」と名付けられた防火壁の基礎の一部をベンチの背もたれとして造形したモニュメントとのこと。
現地では恐れ多くて座ることができませんでしたが、これは震災遺構でもありアート作品ということにもなるベンチなんでしょうね。

写真4
そして、「人と防災未来センター」の中に入り1階のホールで開催されている震災25年特別展示も見てきました。(写真4)
写真4は展示会場の様子ですね。
過去の衝撃的な写真などもありましたが、個人的には、同じく展示されていた「GISで見直す被災地図」という震災当時の被災状況を記録した地図が気になりました。写真は今回載せませんけど、もしかしたらそのうちネットでも公開される可能性もあるかもしれませんね。(なお写真4の左側にその地図がちらりとみえていたりします。)

写真5
過去の衝撃的な写真でいえば、西宮市の仁川地区での地すべりがおこった直後の写真は個人的には印象的でした。(写真5)
これは2018年に「仁川百合野町地区・地すべり資料館」を訪れた記憶も重なっていたからかもしれませんが。
なお、今回見ることができた特別展示は無料で、youtubeのサンテレビチャンネルで、特別展示のことを紹介しているニュース動画が公開されていましたので、遠くていけないという方はこちらをみると雰囲気だけわかると思います。(→ 動画はこちら)

写真6
今年は中の展示も見てきました。(写真6)
いろいろ新しい気づきもありましたが、今回は写真6にもあるとおり、アスベスト問題のパネルを3階の震災の記憶フロアで見た時はあせりましたね。
震災当時はまったく気にしていなかったのですが、今考えると怖いですね。しかも当時僕はマスクをしていた覚えがないので、どれくらい有害物質を吸ってしまったのだろうと思うと怖くなってしまいました。

写真7
同じく3階の震災の記憶フロアに展示されていたものです。(写真7)
知っている方もいるかもしれないですが、これはマグニチュードの大きさを模型で表現したものとのこと。
一番上の大きいのがM9で、下のは左側からM8、M7.3、M7.0、M6.3,M6.0という具合になっていました。
M7.3が阪神淡路大震災クラスの地震ということだそうです。
そう考えるとM9は恐ろしい大きさですね。実際に起こらないことを祈るばかりです。

写真8
施設内の展示物はかなりのボリュームだったので、外にでるとあたりは暗くなっていました。(写真8)
写真8はライトアップされた人と防災未来センターの建物です。
どうやら期間限定のイベントらしいので、記念に載せておきました。
ということで、今年も例年どおり1.17の日に記事を公開してみました。
来年以降も震災遺構の旅(散歩?)は続けていきたいと(今のところ)思っていますので、よろしくお願いします。