まずは、つい最近、トラベルジェイピーの記事にて『六本木の隠れ花見スポット「桜坂」と旧霊南坂教会痕跡めぐり』と題して、2つ+αの坂道を取り上げてみましたので、よかったらどうぞ。
今回は桜の時期はもう終わってしまいましたが、そうじゃない時期でも読めるようなネタも取り上げたので、そのあたりの補足もかねてです。
なお、今回の記事で取り上げた坂道は過去にブログでも取り上げているのですが、詳しく調べていくと、以前に取り上げた鼓坂 (NO.115)についてだけ、当時の仮説が違う可能性がでてきたので、そのあたりを取り上げるために今回のようなタイトルにしました。
まず、以前の鼓坂 (NO.115)のブログエントリーでは、現在の霊南坂教会の北側を東西に走っている坂道が鼓坂であるとしていたのですが、どうやらそこのところが違うかもしれないという話なのですよ。
画像1
こちらは、「雑木林の中から」というブログの記事に掲載されていた霊南坂教会工事中の案内図なるものを拝借して、北を上向きにして加工してみたものです。
要はアークヒルズが出来る前の工事案内看板ですね。
図では、ありがたいことに旧霊南坂教会と今ある霊南坂教会がふたつ書かれていて、紫の三角で囲んだあたりが、建替前の旧霊南坂教会で、丸で囲んでいるところが今現在建っている霊南坂教会ということみたいです。
そして、以前の鼓坂 (NO.115)のエントリーでは、江戸東京坂道事典という本に『鼓坂とは霊南坂教会の北わきを西へ下る坂道』と書かれていたことから、現在の霊南坂教会の北わきの道を取り上げたわけなのですよ。
でもですね・・・。
よくよく考えてみたら、僕が参考にした江戸東京坂道事典という本は、昭和46年12月に出版されたものなのですよ。そして、今の霊南坂教会ができたのが、昭和60年。。
ということは、この本で書かれている”霊南坂教会の北わき”というのは、旧霊南坂教会の北わきということになりそうですよね。
そんなわけで、かつての鼓坂は、上の地図の黄緑の位置にあった可能性がきわめて高いのでは?となったわけですね。
そしてそして、現在の地図を見てみると、霊南坂教会の南側とアークヒルズの間にも道路があり、トラベルジェイピーの記事でも取り上げた旧霊南坂教会の石碑のある場所(=上の画像の三角で囲った場所)などからも、鼓坂は見た目や高低差感などは大幅に変わったかもしれないですが、やはりここであっているという結論に達したわけなのです。
ただ、これはかなりの極論で、実は「昭和毎日:昭和の地図」なるサイトで昭和31年の古地図が見れるのですが、それで確認してみると旧霊南坂教会のあるところから西にむかって道が伸びていることから、アークヒルズで土地が改良される前は旧霊南坂教会の北脇あたりが坂上だった可能性がきわめて高いんですよね。(画像1でいえば、赤くぬられている道。)
なので、その1で取り上げた場所は間違っている可能性大ですし、今の鼓坂 (NO.115)についても昔の鼓坂と場所がかぶっている場所は、陸橋のある部分(旧霊南坂教会の石碑のある場所)より坂下側(西側、わかりやすくいえばサントリーホールの北側の道路部分)だけということになるのかもしれないですね。
写真2
ちなみに、記事が公開されてから数日後の夜に訪れてみると、鼓坂 (NO.115)沿いもライトアップされていましたよ。(写真2)
写真は坂道沿いにある陸橋からのもので、ちょうど陸橋側から坂下方向をみたものです。
なので、このあたりだけが昔の鼓坂と位置がかぶっている部分といえるかもです。
(あとは、最近気がついたんですが、どうやらトラベルジェイピーの記事は公開後でも編集部に相談すれば加筆してもOKということなので、またそのうちこのライトアップのことも加えるかも。)
写真3
最後はおまけです。(写真3)
鼓坂 (NO.115)の坂下あたりから陸橋へとつながっている階段を下から見上げると、なんと現在の霊南坂教会の十字架と月(そして桜)がうまい具合にコラボしていたのでぱちりと。(^^)
ということで、今回はこんな感じです。
地図:港区赤坂1
今回は桜の時期はもう終わってしまいましたが、そうじゃない時期でも読めるようなネタも取り上げたので、そのあたりの補足もかねてです。
なお、今回の記事で取り上げた坂道は過去にブログでも取り上げているのですが、詳しく調べていくと、以前に取り上げた鼓坂 (NO.115)についてだけ、当時の仮説が違う可能性がでてきたので、そのあたりを取り上げるために今回のようなタイトルにしました。
まず、以前の鼓坂 (NO.115)のブログエントリーでは、現在の霊南坂教会の北側を東西に走っている坂道が鼓坂であるとしていたのですが、どうやらそこのところが違うかもしれないという話なのですよ。
画像1
こちらは、「雑木林の中から」というブログの記事に掲載されていた霊南坂教会工事中の案内図なるものを拝借して、北を上向きにして加工してみたものです。
要はアークヒルズが出来る前の工事案内看板ですね。
図では、ありがたいことに旧霊南坂教会と今ある霊南坂教会がふたつ書かれていて、紫の三角で囲んだあたりが、建替前の旧霊南坂教会で、丸で囲んでいるところが今現在建っている霊南坂教会ということみたいです。
そして、以前の鼓坂 (NO.115)のエントリーでは、江戸東京坂道事典という本に『鼓坂とは霊南坂教会の北わきを西へ下る坂道』と書かれていたことから、現在の霊南坂教会の北わきの道を取り上げたわけなのですよ。
でもですね・・・。
よくよく考えてみたら、僕が参考にした江戸東京坂道事典という本は、昭和46年12月に出版されたものなのですよ。そして、今の霊南坂教会ができたのが、昭和60年。。
ということは、この本で書かれている”霊南坂教会の北わき”というのは、旧霊南坂教会の北わきということになりそうですよね。
そんなわけで、かつての鼓坂は、上の地図の黄緑の位置にあった可能性がきわめて高いのでは?となったわけですね。
そしてそして、現在の地図を見てみると、霊南坂教会の南側とアークヒルズの間にも道路があり、トラベルジェイピーの記事でも取り上げた旧霊南坂教会の石碑のある場所(=上の画像の三角で囲った場所)などからも、鼓坂は見た目や高低差感などは大幅に変わったかもしれないですが、やはりここであっているという結論に達したわけなのです。
ただ、これはかなりの極論で、実は「昭和毎日:昭和の地図」なるサイトで昭和31年の古地図が見れるのですが、それで確認してみると旧霊南坂教会のあるところから西にむかって道が伸びていることから、アークヒルズで土地が改良される前は旧霊南坂教会の北脇あたりが坂上だった可能性がきわめて高いんですよね。(画像1でいえば、赤くぬられている道。)
なので、その1で取り上げた場所は間違っている可能性大ですし、今の鼓坂 (NO.115)についても昔の鼓坂と場所がかぶっている場所は、陸橋のある部分(旧霊南坂教会の石碑のある場所)より坂下側(西側、わかりやすくいえばサントリーホールの北側の道路部分)だけということになるのかもしれないですね。
写真2
ちなみに、記事が公開されてから数日後の夜に訪れてみると、鼓坂 (NO.115)沿いもライトアップされていましたよ。(写真2)
写真は坂道沿いにある陸橋からのもので、ちょうど陸橋側から坂下方向をみたものです。
なので、このあたりだけが昔の鼓坂と位置がかぶっている部分といえるかもです。
(あとは、最近気がついたんですが、どうやらトラベルジェイピーの記事は公開後でも編集部に相談すれば加筆してもOKということなので、またそのうちこのライトアップのことも加えるかも。)
写真3
最後はおまけです。(写真3)
鼓坂 (NO.115)の坂下あたりから陸橋へとつながっている階段を下から見上げると、なんと現在の霊南坂教会の十字架と月(そして桜)がうまい具合にコラボしていたのでぱちりと。(^^)
ということで、今回はこんな感じです。
地図:港区赤坂1