トラベルジェイピーの記事(ジブリ映画「耳をすませば」の聖地、聖蹟桜ヶ丘のいろは坂を歩いてみよう)にて、いろは坂を取り上げたわけですが、今回はいろは坂の中でもちょっと気になっていた階段を写真自体はけっこう前(2017年の1月頃)になりますが、当時の写真を交えながらすこしばかりこまかく取り上げてみます。

なお、いろは坂(NO.296)その1にあたるブログの記事はこちらです。
→(いろは坂(NO.296)
書いた時はお知らせがてらの記事だったのでナンバリングしていませんが、坂上の洋菓子店の写真など、今思えば貴重な写真も載せているので、ここにて再度。

いろは坂(NO.296)その2-1
写真1

こちらは映画「耳すませば」の劇中で、月島雫が自分で創作した物語を創造しながら一気に階段を駆け下りるシーンで登場する階段でもあり、現実のいろは坂でいえば、坂上あたりにある階段ですね。(写真1)
地図を見てもらうと一番わかりやすいのですが、いろは坂は京王の聖蹟桜ヶ丘駅の方向から北側のかなりの高低差のある台地に上る坂道のため、途中は急カーブの折り返しの道が連続していて(これを「つづら折り」やら「ヘアピンカーブ」と言います)、そのため、ヘアピンカーブをそのまま歩くとたいへんなので、横切る形で階段がつくられています。
それがこれですね。
時期がよければ緑に囲まれて気持ちいいんでしょうね。

いろは坂(NO.296)その2-2
写真2

ちなみに、写真1の背後を見下ろすとこんな感じでした。(写真2)
まあこれがヘアピンカーブのひとつですね。
いろは坂ではこういうわかりやすい急カーブの場所が2箇所みられます。

いろは坂(NO.296)その2-3
写真3

写真1の場所から階段ではなく、道路のほうをすこし坂上に歩き、坂下方向を見たものです。(写真3)
写真1でいえば、右側方向に歩いていったものですね。
なので、左側には坂下の聖蹟桜ヶ丘駅界隈の高層ビルも見えていたりします。

この部分だけ切り取ってみてもいい感じの坂道でしたね。

いろは坂(NO.296)その2-4
写真4

写真3からほんのすこしだけ坂を上ってみたものです。(写真4)
ちょうど急カーブの真ん中あたりから見たものなので、坂上と坂下に向かう道の両方が見えていましたね。
もうすこし広角のレンズがあれば全景撮れたかもですが、それでもなんとかこの急カーブを伝えることはできたかなと。(笑)
なので、写真1の階段は、この奥を左側から右側へと上っているというわけですね。

いろは坂(NO.296)その2-5
写真5

さらに坂を上り、坂上方向を見たものです。(写真5)
写真4からはほんのすこし移動した場所からですね。
もうこのあたりは坂上と言っていい場所なので、右側には丘の上の住宅がいくつか見えていましたね。

いろは坂(NO.296)その2-6
写真6

こちらはさらに坂を上り、坂上あたりからの景色です。(写真6)
単純に、坂道の景色がいい感じだったので、載せておきました。

いろは坂(NO.296)その2-7
写真7

そして、やっとここですね。(写真7)
写真1の階段の最上部でもある場所です。
左側の道を下って行くと、写真6の景色が味わえるという場所ですね。

今更ですが写真見ながら気がついたのは、バイク走行禁止標識ですかね。
やはりツーリング気分で走る人も多いのかな。

いろは坂(NO.296)その2-8
写真8

そんなわけでトラベルジェイピーの記事にも載せた坂上からの写真を再び。(写真8)
まあいろいろと妄想してみてくださいな。(笑)

いろは坂(NO.296)その2-9
写真9

おまけですが、階段の途中からのものです。(写真9)
坂上の家もなかなかおしゃれな雰囲気をかもしだしていて、階段下から上って行くときはなかなかの高揚感だったかもですね。
坂下からはけっこうな距離でバテバテでしたけど、この景色みるとなにか上にありそうということで元気でたので、歩いた当時はこの写真を撮ったのだと思います。

いろは坂(NO.296)その2-10
写真10

トラベルジェイピーの記事でもでてきましたけど、映画で同級生の杉村が月島雫に告白した神社のモデルになったと言われる金比羅宮の境内ですね。(写真10)
けっこう映画の描写そのままのところもあっていろいろ妄想が広がりました。(笑)

あ、そうそう。記事では書いておかなかったですが、このあたりにはかつて砦があり、新田義貞軍と北条泰家軍の戦いがあった場所とも言われているそうです。(金比羅宮の案内看板に書いてありました。)
それで、気になりちょっと調べてみたらありましたよ。

いろは坂(NO.296)その2-11
画像11

それがこちらですね。
江戸名所図会3巻に掲載されている「関戸天守台」という絵ですね。
「江戸・東京デジタルミュージアム」という東京都のサイトで紹介されていたのですが、そのページの解説によるとですね、
『元弘3年(1333)、新田義貞が鎌倉幕府を攻めた「関戸の戦い」と呼ばれる戦いにおいて、このあたり一帯は戦場となり、義貞軍が北条泰家軍を敗走させた後、本陣をここに置いたと伝えられています。これが「関戸天守台」という名前の由来で、現在の多摩市桜ヶ丘にある金比羅宮(琴平社)あたりが「天守台」と呼ばれ、一帯の山を「城山」とも呼んでいます。多摩川に面し、武蔵野台地を一望できる景勝の地でもありました。』
とあるのですよ。
なるほど、そういうことだったのかという感じでしたね。
記事では、「天守台(関戸城跡)」としても取り上げていますが、実はこのブログでも関連して過去記事で取り上げています。
→「聖蹟桜ヶ丘の天守台(関戸城跡)の階段と坂道

おそらく絵にある階段が、ブログの記事「「聖蹟桜ヶ丘の天守台(関戸城跡)の階段と坂道」」で取り上げた階段の可能性が高いですが、もしかしたら今回取り上げた階段という可能性もあるのですよ。
あとはもう、この金比羅宮との位置関係と奥に広がる景色などから調べていくしかないですが、ちょっとこの絵だけはわかりかねるというのが現在の状況といえるかもです。
ただ、金比羅宮の境内にあった案内文には、境内に「物見の松」といわれる老木があったとも書かれていて、絵を見ると巨木が階段上にも見られるので、もしかしたらもしかするかもしれませんし、奥に描かれている川らしきものが多摩川かもしれないですが真相は定かではありません。

ということで、今回はこんな感じですが、それにしてもおもしろい史実に出会ったかもですね。

地図
多摩市桜ケ丘