今年もこの日がやってきました。
今日の1.17で23年ですか。
長いと言えばそうですしあっというまだったといえばそうとも言えますかね。
そんな中、今年も例年通り、年始に地元の震災遺構の旅(散歩?めぐり?)をしてきたわけですが、なんといってもあれから23年も経っていることですし、そろそろ今年くらいからはもうすこし肩の力を抜いた感じで書いていければなあとも考えてはいるのですが、やはり歩く場所は例年通りの地でもありますのでどうなることやら。
ちなみに場所のほうは、この数年、三宮界隈をはじめ神戸市の震災遺構をまわっていたこともあり、今年はすこし目先を変えて、西宮のほうに行ってみることにしました。
写真1
それがこちらです。(写真1)
タイトルでもすでにふれていますが「地すべり資料館」という施設です。グーグルなんかで”地すべり資料館”と検索してみるとけっこう各地に同じような名前の資料館があるようなのですが、ここの資料館は、もちろんあの阪神・淡路大震災で受けた被害に関係することを展示していることで知られています。
写真2
資料館の前にあった名称プレートもせっかくなので。(写真2)
「仁川百合野町地区」とあるのは、この資料館がある地域のことです。
この資料館のすぐ近く(東側)には関西学院大学のキャンパスがあるといえば、だいたい場所の予想がつく方も多いとは思いますが、実は大学(およびこの資料館)の西側エリアには甲山森林公園という高台につくられた記念公園があります。そして、今回の資料館はその高台の途中にある崖地(斜面)の一部に建っているんです。
そんな土地柄も重なって、この地区は震災によって起きた土砂災害の中で最も大きな被害を受けたことでも知られています。
写真3
資料館の中はこんな具合に、土砂災害について学習できるような展示物が所狭しと置いてありました。(写真3)
一通り見た感じでは、災害の教訓を学ぶだけではなく、崖地好きの人(マニア)にもおすすめな内容の展示物も多く置いてあったので、そちらのほうでも興味ある方は楽しめそうというか勉強になりそうでした。
写真4
場内には模型も置いてありました。(写真4)
要は地すべりでこの斜面にあった土砂がまるまる流れて大災害となったということです。
地すべりを起こしたのは幅約100m、長さ約100mとのことなので、これくらいになるようです。
なお、この模型は現在の様子を再現したものなので、写真中央左には地すべり資料館もきちんとありました。まさに斜面の途中にありますね。
写真5
ちなみに、資料館の窓からも地すべりが発生したという斜面が見えます。(写真5)
現在の斜面は、大規模に整備され、さらにシバザクラが植えており、現在では花の名所ともなっているそうです。
(温かい時の様子を取り上げている記事→斜面染めるシバザクラ、地すべり資料館近く 西宮)
写真6
1枚目の資料館正面写真のちょうど背後あたりに、地すべりが発生した斜面に沿って上り降りできる階段が整備されていました。(写真6)
この階段上には公園が整備されているためです。
なお写真4の模型でいえば、この階段は左端に位置しています。
写真7
写真6でふれた階段上の公園です。(写真7)
写真7でいえば、左のほうにさっきの階段があります。
やはり、模型で見たとおり、かなりの規模の斜面ですね。
写真8
さらに上に向かう階段もありました。(写真8)
場所でいえば、写真7の右側にあり、写真8は資料館の高さレベルから見たものです。
写真4の模型でいえば、この階段は一番右端に位置しています。
写真9
そして、写真8の階段を頂上まで上りきると、こんな景色が広がっていました。(写真9)
悲しい記憶が残る斜面の向こうには西宮の街並みが見えていました。
写真10
こちらは、写真8の階段でいえば、ちょうど階段下にあたるレベルでもあり、資料館の高さレベルからさらに崖というか斜面下を見たものです。(写真10)
写真10中央右あたりに資料館の建物も見えていますよね。
なので震災当日は、右側の崖上から左側の崖下に向かって土砂が流れたということのようです。
写真11
こちらは、写真10中央左にもちらりと見えていた住宅と橋です。(写真11)
地すべりを起こした斜面の一番最下部にあたる場所ともいえます。
ちなみに、上部から流れてきた土砂はかなりの量だったらしく、写真左側の茶色の住宅(これは頑丈なつくりだったため、土砂に耐え、当時のままだそうです)の一階部分が埋まるくらいのところまで土砂はきていたそうです。(資料館で教えてもらいました。)
そして、その右側の更地あたりには学生も多く住んでいたアパートがあったそうです。(結果はおそらく・・・。)
写真12
写真11手前の橋から左側を見たものです。(写真12)
こじんまりとした川に見えますが、上流に近いエリアなのでこんな雰囲気なのです。
名前は仁川といいます。
奥のほうには甲山森林公園があり、そちらがさらに上流ということになります。
写真13
この地では、地すべりにより家屋13戸が押しつぶされ、住民34名が死亡したこともあり、慰霊碑も建立されていました。(写真13)
「阪神大震災地すべり犠牲者慰霊碑」というそうです。
場所で言えば、資料館の東側(斜面下側)でもあり、写真10の崖地が見えるポイントにあります。
写真14
このまま終わるのはちと気が進まないので、最後はおまけです。(写真14)
地すべり資料館の南側の道はけっこういい感じの坂道になっていたのですよ。
資料館のそばということで別枠で紹介しようかとも思いましたが、こちらにて取り上げておくことにしました。
坂下奥の街並みと傾斜具合がかなり印象的な坂道でしたかね。
ということで、今年はこんな感じです。
これまでと違って緩急を織り交ぜた感じになりましたが、来年以降も引き続き震災遺構の旅(散歩?)については続けていきたいとは思っていますので、よろしくお願いします。
リンク:
仁川百合野町地区地すべり資料館(公式HP)
ウィキペディア(仁川百合野町地すべり資料館)
今日の1.17で23年ですか。
長いと言えばそうですしあっというまだったといえばそうとも言えますかね。
そんな中、今年も例年通り、年始に地元の震災遺構の旅(散歩?めぐり?)をしてきたわけですが、なんといってもあれから23年も経っていることですし、そろそろ今年くらいからはもうすこし肩の力を抜いた感じで書いていければなあとも考えてはいるのですが、やはり歩く場所は例年通りの地でもありますのでどうなることやら。
ちなみに場所のほうは、この数年、三宮界隈をはじめ神戸市の震災遺構をまわっていたこともあり、今年はすこし目先を変えて、西宮のほうに行ってみることにしました。
写真1
それがこちらです。(写真1)
タイトルでもすでにふれていますが「地すべり資料館」という施設です。グーグルなんかで”地すべり資料館”と検索してみるとけっこう各地に同じような名前の資料館があるようなのですが、ここの資料館は、もちろんあの阪神・淡路大震災で受けた被害に関係することを展示していることで知られています。
写真2
資料館の前にあった名称プレートもせっかくなので。(写真2)
「仁川百合野町地区」とあるのは、この資料館がある地域のことです。
この資料館のすぐ近く(東側)には関西学院大学のキャンパスがあるといえば、だいたい場所の予想がつく方も多いとは思いますが、実は大学(およびこの資料館)の西側エリアには甲山森林公園という高台につくられた記念公園があります。そして、今回の資料館はその高台の途中にある崖地(斜面)の一部に建っているんです。
そんな土地柄も重なって、この地区は震災によって起きた土砂災害の中で最も大きな被害を受けたことでも知られています。
写真3
資料館の中はこんな具合に、土砂災害について学習できるような展示物が所狭しと置いてありました。(写真3)
一通り見た感じでは、災害の教訓を学ぶだけではなく、崖地好きの人(マニア)にもおすすめな内容の展示物も多く置いてあったので、そちらのほうでも興味ある方は楽しめそうというか勉強になりそうでした。
写真4
場内には模型も置いてありました。(写真4)
要は地すべりでこの斜面にあった土砂がまるまる流れて大災害となったということです。
地すべりを起こしたのは幅約100m、長さ約100mとのことなので、これくらいになるようです。
なお、この模型は現在の様子を再現したものなので、写真中央左には地すべり資料館もきちんとありました。まさに斜面の途中にありますね。
写真5
ちなみに、資料館の窓からも地すべりが発生したという斜面が見えます。(写真5)
現在の斜面は、大規模に整備され、さらにシバザクラが植えており、現在では花の名所ともなっているそうです。
(温かい時の様子を取り上げている記事→斜面染めるシバザクラ、地すべり資料館近く 西宮)
写真6
1枚目の資料館正面写真のちょうど背後あたりに、地すべりが発生した斜面に沿って上り降りできる階段が整備されていました。(写真6)
この階段上には公園が整備されているためです。
なお写真4の模型でいえば、この階段は左端に位置しています。
写真7
写真6でふれた階段上の公園です。(写真7)
写真7でいえば、左のほうにさっきの階段があります。
やはり、模型で見たとおり、かなりの規模の斜面ですね。
写真8
さらに上に向かう階段もありました。(写真8)
場所でいえば、写真7の右側にあり、写真8は資料館の高さレベルから見たものです。
写真4の模型でいえば、この階段は一番右端に位置しています。
写真9
そして、写真8の階段を頂上まで上りきると、こんな景色が広がっていました。(写真9)
悲しい記憶が残る斜面の向こうには西宮の街並みが見えていました。
写真10
こちらは、写真8の階段でいえば、ちょうど階段下にあたるレベルでもあり、資料館の高さレベルからさらに崖というか斜面下を見たものです。(写真10)
写真10中央右あたりに資料館の建物も見えていますよね。
なので震災当日は、右側の崖上から左側の崖下に向かって土砂が流れたということのようです。
写真11
こちらは、写真10中央左にもちらりと見えていた住宅と橋です。(写真11)
地すべりを起こした斜面の一番最下部にあたる場所ともいえます。
ちなみに、上部から流れてきた土砂はかなりの量だったらしく、写真左側の茶色の住宅(これは頑丈なつくりだったため、土砂に耐え、当時のままだそうです)の一階部分が埋まるくらいのところまで土砂はきていたそうです。(資料館で教えてもらいました。)
そして、その右側の更地あたりには学生も多く住んでいたアパートがあったそうです。(結果はおそらく・・・。)
写真12
写真11手前の橋から左側を見たものです。(写真12)
こじんまりとした川に見えますが、上流に近いエリアなのでこんな雰囲気なのです。
名前は仁川といいます。
奥のほうには甲山森林公園があり、そちらがさらに上流ということになります。
写真13
この地では、地すべりにより家屋13戸が押しつぶされ、住民34名が死亡したこともあり、慰霊碑も建立されていました。(写真13)
「阪神大震災地すべり犠牲者慰霊碑」というそうです。
場所で言えば、資料館の東側(斜面下側)でもあり、写真10の崖地が見えるポイントにあります。
写真14
このまま終わるのはちと気が進まないので、最後はおまけです。(写真14)
地すべり資料館の南側の道はけっこういい感じの坂道になっていたのですよ。
資料館のそばということで別枠で紹介しようかとも思いましたが、こちらにて取り上げておくことにしました。
坂下奥の街並みと傾斜具合がかなり印象的な坂道でしたかね。
ということで、今年はこんな感じです。
これまでと違って緩急を織り交ぜた感じになりましたが、来年以降も引き続き震災遺構の旅(散歩?)については続けていきたいとは思っていますので、よろしくお願いします。
リンク:
仁川百合野町地区地すべり資料館(公式HP)
ウィキペディア(仁川百合野町地すべり資料館)