先日、たびねすに「衣紋坂」の記事を寄稿したのですが、今後も記事公開を続けていくと、ブログで取り上げた坂道以外の場所についてもけっこうな数になりそうなので、今回から以前のみちくさ学会の時にしたように通常のブログ記事の中でお知らせする形とすることにしました。
中身はあまり変わらないかもしれないですが(笑)、坂道記事に関しては補足事項があれば、その2、その3みたいにしていつもどおりに追加していければなとも思っています。(今回はその可能性大なので。)
そんなわけで、今回はブログでも取り上げる機会がなかなかとれなかった、横浜市の坂道をやっと取材して、たびねすの記事を通じて取り上げることができましたので、よかったらどうぞ。
衣紋坂の由来については、記事にある通りなのですが、事前の調査で過去の絵図をいくつかみつけることができたので、おいおいこのブログにて紹介していこうかなと思っています。(ほんとうはたびねすの記事で一緒に紹介できればわかりやすくていいのですが、それができない規定なので。)
それにしても、あの関内に坂道があったことは、実は今年になって知り、どのタイミングで取り上げようなかなと思っていたのですが、ちょうど先月記録的な長雨で都内は雨ばかり続いたこともあり、それでは夏だし海も近い横浜に行こうという感じでした。
ところが、いざ調べだすと、坂道界隈だけで、かなりの数の歴史的建造物やら関内自体の史実にたくさんぶつかり、まさに関内の地霊を調べるという具合になってしまいました。
でもまあ、そのおかげで、関内あたりにはかなり土地勘できました。(笑)
しかも、あのあたりは見ておくべき近代建築がたくさんあることに加えて、ライトアップイベントやらアートイベントで訪れることもなにかと多い場所だったので、土地勘どころか愛着さえ沸いてくる感じでしたかね。
とにかくあの港町にも坂道とアートがあるということで、なんというか気持的なものではありますが精神的な軸ができ、自分としてはちょっとうれしい発見だったかもです。
ということで、今回は長くなりそうなので、いったんこれくらいにして、また次回以降に周辺の建築物やら衣紋坂自体のことについても取り上げようかなと思っていますので、しばしお待ちください。
地図:横浜市中区真砂町1あたり
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中身はあまり変わらないかもしれないですが(笑)、坂道記事に関しては補足事項があれば、その2、その3みたいにしていつもどおりに追加していければなとも思っています。(今回はその可能性大なので。)
そんなわけで、今回はブログでも取り上げる機会がなかなかとれなかった、横浜市の坂道をやっと取材して、たびねすの記事を通じて取り上げることができましたので、よかったらどうぞ。
衣紋坂の由来については、記事にある通りなのですが、事前の調査で過去の絵図をいくつかみつけることができたので、おいおいこのブログにて紹介していこうかなと思っています。(ほんとうはたびねすの記事で一緒に紹介できればわかりやすくていいのですが、それができない規定なので。)
それにしても、あの関内に坂道があったことは、実は今年になって知り、どのタイミングで取り上げようなかなと思っていたのですが、ちょうど先月記録的な長雨で都内は雨ばかり続いたこともあり、それでは夏だし海も近い横浜に行こうという感じでした。
ところが、いざ調べだすと、坂道界隈だけで、かなりの数の歴史的建造物やら関内自体の史実にたくさんぶつかり、まさに関内の地霊を調べるという具合になってしまいました。
でもまあ、そのおかげで、関内あたりにはかなり土地勘できました。(笑)
しかも、あのあたりは見ておくべき近代建築がたくさんあることに加えて、ライトアップイベントやらアートイベントで訪れることもなにかと多い場所だったので、土地勘どころか愛着さえ沸いてくる感じでしたかね。
とにかくあの港町にも坂道とアートがあるということで、なんというか気持的なものではありますが精神的な軸ができ、自分としてはちょっとうれしい発見だったかもです。
ということで、今回は長くなりそうなので、いったんこれくらいにして、また次回以降に周辺の建築物やら衣紋坂自体のことについても取り上げようかなと思っていますので、しばしお待ちください。
地図:横浜市中区真砂町1あたり
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