さんべ坂と呼ぶそうです。
場所は、東京メトロ永田町駅からすぐの場所にあり、坂上は国道246号と接しており、そこから衆参の議員会館の方へと下っている坂道です。

三べ坂(NO.281)1
写真1

まずは坂上からのものなど。(写真1)
ちょうどこの後ろが、東京メトロ永田町駅が地下にある国道246号という場所ですね。
このあたりは比較的ゆるやかに下っている感じでしたかね。

三べ坂(NO.281)2
写真2

ちょうど写真1の右側には参議院議長公邸が隣接しているのですが、そこの出入り口あたりに、こんな感じで「華族女学校跡」なる石碑もありました。(写真2)
これは、かつて華族女学校がこの地にあったことからということみたいですね。
ちなみに、この碑、ちょっと調べてみたら戦時中の昭和18年に建てられた碑とのことみたいです。なので、戦災で燃えたり壊れたりしないように、こんな大きな石を削って、石碑にしたのかなあと思ってみたり。

三べ坂(NO.281)3
写真3

一気に坂を下り、坂の中腹あたりまでやってきて、坂下方向を眺めてみたものです。(写真3)
この坂道のビューポイントはこのあたりですかね。
これまでにも何回かここを通っていますけど、議員会館が整然と並んでいる様やらこの高低差感、ヌケ感にいつも「ほほー」と思ってしまう感じですね。

三べ坂(NO.281)4
写真4

ほぼ同じ位置ですが、すこしばかり下って、今度は坂上方向を見てみたものです。(写真4)
こちら側は、両側の立派な擁壁が印象的でしたかね。
こっちからだと意外と高低差感あるように見えていました。

あと、写真4の右側にちらりと見えていますけど、ここにも坂の碑があったのですが、雨風にさらされて文字が見えなかったのですよ。。
なので、坂の碑に書かれていたことを抜粋してくれている東京23区の坂道さんのサイトを参考にさせていただくとですね(平成5年くらいの内容ですが)、
『この坂を三べ坂といいます。「新撰東京名所図会」には「華族女学校前より南の方に下る坂を、世俗三べ坂という。昔時、岡部筑前守・安部摂津守・渡辺丹後守の三邸ありし故に名づくといふ」とあります。また、坂上の西側一帯は松平出羽守の屋敷で、松平家が赤坂門の水番役をかねていたところから、門前の坂は、水坂ともよばれていました。』
とのこと。

「水坂」なんて別名もあったんですね。
なるほど。


三べ坂(NO.281)5
写真5

もうすこし、坂を下り、坂下方向を見てみました。(写真5)
ここからだと、衆参の議員会館もかなり近いですね。
あと、昔はこの坂の左側、今はフェンスになっているところは、いい感じのかつての大蔵大臣公邸の名残りの赤レンガの塀が残っていたんですが、なくなってしまいましたね。。
なんというか大臣公邸のものなので、かなり気合い入れてつくられたはずの塀なので、ちょっともったいなかったかなあと今さらながら思っているのですが。

三べ坂(NO.281)6
写真6

写真5の位置からほんの少し下って、坂上方向を見てみたものです。(写真6)
こちら側から見るとここも高低差感ありますね。

あとはこの右側に赤レンガがあればさぞかし印象的な景色だったろうなあと思ってみたりもしますが、それはさておき、ここからは、坂道の風景とともに、遠くに見える坂上のいろんなビル群が印象的だったので、写真に残しておくことにしたのですよ。

ということで今回はこんな感じです。

(ひとこと)今回撮った写真は、たびねすの記事「メトロ永田町駅の富士見坂と赤プリ跡地界隈史跡めぐり」の回で取材した時のものばかりです。なので、時期的にはその頃(2016年12月)の写真です。

地図
千代田区永田町2-17あたり