西新宿を歩いていて前から気になっていた場所なのですが、すこし前にやっとミラーレスカメラをかかえながら、このあたりをぶらぶらする機会があり、撮影もできたので、せっかくなのでとりあげておきたいと思います。

写真1
それがこちらですね。(写真1)
なにやらピラミッド形のオブジェと案内板が見えていますが、ここはなんと西新宿の新宿エルタワーの敷地内であり、そばには東京モード学園のあの高層の包帯ビルのそばに、こんなものがぽつねんとあったのですよ。
これに気がついたのはずいぶんまえだったのですが、今回はカメラをかかえていたので、記事にするためにもぱちりと一枚、というわけだったのです。

写真2
遠目からのものです。(写真2)
これなら位置関係もわかりやすいかもですね。
新宿エルタワーの敷地内の西側あたりから新宿駅方向に撮っているものです。
こうしてバックに東京モード学園の高層ビルが見えているとなんか不思議な感じがして気になっていたのですよ。
あ、そうそう。
肝心のこの場所は、「策の井(むちのい)」と呼ばれているそうです。

写真3
こちらが、案内板のアップですね。(写真3)
せっかくなので、内容を抜粋させていただくとですね、
『当敷地内に存した「策の井」は江戸時代より名井として知られ、天和年間(一六八一〜一六八三)に出版された戸田茂睡の「紫の一本」(むらさきのひともと)に「策の井は四谷伊賀の先にあり、いま尾張摂津下屋敷内にあり、東照公鷹野に成らせられし時、ここに名水あるよしきこし召し、おたづねなされ、水を召し上られ、御鷹の策のよごれをお洗われたる故、この名ありという」と書かれている。この地は尾張摂津下屋敷であった所であり、また、享保年間(一七一六〜一七三五)に出版された「江戸砂子」(えどすなご)という本にも同主旨の文章が見られ「策の井」が名水とうたわれた。』
とのこと。
いろいろ書かれていますが、どうやらこのあたりから、いまでいうおいしい水が湧き出ていたみたいですね。
なんか信じられない感じですねえ。
なお、一般社団法人新宿観光振興協会のサイトにも策の井が取り上げられていまして、それによると、ここの井戸が『策の井』といわれるようになったのは、徳川家康が鷹狩りの帰途、汚れた「策」を洗ったという伝承からの説が有力みたいですね。
鷹狩りといえば、目黒区の茶屋坂(NO.263)のことが思い浮かびますかね。
なので、はじめは、将軍が、鷹狩りをした後に、茶屋坂(NO.263)のお茶屋で休憩して、ここで策を洗ったかもということで、実は話がつながっていたのです!・・・という予想をたてたわけですが、どうやら茶屋坂(NO.263)については、3代将軍家光や8代将軍吉宗が鷹狩りをするときによく通った場所であり、今回の策の井のほうは家康なので、時代が違うようですね。
ただ、この西新宿がかつて、淀橋浄水場であったり(いまは給水場もあったかな、たしかブラタモリでも取り上げられていたと思います)、このすぐ西側(西新宿の西端)には、十二社熊野神社(ブログでも過去にとりあげています)があり、浮世絵にも描かれているような池や滝があったり、今回のおいしい水がでていたという策の井なる井戸の痕跡があるなど、今となっては目に見える形としてはわかりにくいものが多いですが、なにかと水にまつわる場所が多い場所だったのだなあということを再確認できた今回の散歩だったかもです。
地図
新宿区西新宿1-6-1

写真1
それがこちらですね。(写真1)
なにやらピラミッド形のオブジェと案内板が見えていますが、ここはなんと西新宿の新宿エルタワーの敷地内であり、そばには東京モード学園のあの高層の包帯ビルのそばに、こんなものがぽつねんとあったのですよ。
これに気がついたのはずいぶんまえだったのですが、今回はカメラをかかえていたので、記事にするためにもぱちりと一枚、というわけだったのです。

写真2
遠目からのものです。(写真2)
これなら位置関係もわかりやすいかもですね。
新宿エルタワーの敷地内の西側あたりから新宿駅方向に撮っているものです。
こうしてバックに東京モード学園の高層ビルが見えているとなんか不思議な感じがして気になっていたのですよ。
あ、そうそう。
肝心のこの場所は、「策の井(むちのい)」と呼ばれているそうです。

写真3
こちらが、案内板のアップですね。(写真3)
せっかくなので、内容を抜粋させていただくとですね、
『当敷地内に存した「策の井」は江戸時代より名井として知られ、天和年間(一六八一〜一六八三)に出版された戸田茂睡の「紫の一本」(むらさきのひともと)に「策の井は四谷伊賀の先にあり、いま尾張摂津下屋敷内にあり、東照公鷹野に成らせられし時、ここに名水あるよしきこし召し、おたづねなされ、水を召し上られ、御鷹の策のよごれをお洗われたる故、この名ありという」と書かれている。この地は尾張摂津下屋敷であった所であり、また、享保年間(一七一六〜一七三五)に出版された「江戸砂子」(えどすなご)という本にも同主旨の文章が見られ「策の井」が名水とうたわれた。』
とのこと。
いろいろ書かれていますが、どうやらこのあたりから、いまでいうおいしい水が湧き出ていたみたいですね。
なんか信じられない感じですねえ。
なお、一般社団法人新宿観光振興協会のサイトにも策の井が取り上げられていまして、それによると、ここの井戸が『策の井』といわれるようになったのは、徳川家康が鷹狩りの帰途、汚れた「策」を洗ったという伝承からの説が有力みたいですね。
鷹狩りといえば、目黒区の茶屋坂(NO.263)のことが思い浮かびますかね。
なので、はじめは、将軍が、鷹狩りをした後に、茶屋坂(NO.263)のお茶屋で休憩して、ここで策を洗ったかもということで、実は話がつながっていたのです!・・・という予想をたてたわけですが、どうやら茶屋坂(NO.263)については、3代将軍家光や8代将軍吉宗が鷹狩りをするときによく通った場所であり、今回の策の井のほうは家康なので、時代が違うようですね。
ただ、この西新宿がかつて、淀橋浄水場であったり(いまは給水場もあったかな、たしかブラタモリでも取り上げられていたと思います)、このすぐ西側(西新宿の西端)には、十二社熊野神社(ブログでも過去にとりあげています)があり、浮世絵にも描かれているような池や滝があったり、今回のおいしい水がでていたという策の井なる井戸の痕跡があるなど、今となっては目に見える形としてはわかりにくいものが多いですが、なにかと水にまつわる場所が多い場所だったのだなあということを再確認できた今回の散歩だったかもです。
地図
新宿区西新宿1-6-1