今年もこの日がやってきてしまいました。
毎年言ってますが(もう諦めてこれからも何度も言わせていただこうと思います)、早いもので、もうあれから21年ですか。
そして、昨年の1月17日のブログでも「これからも今まで同様、震災遺構の旅(散歩?)を続けよう」と言ったこともあり、今年も年始に引き続きいくつかまわってきましたが、今回はその中のひとつだけを紹介してみたいと思います。
今年の年始は、久々に地元のいつもの同級生のメンツに加えて、すこし疎遠になっていた小学校から同じ学校だった近所の同級とも一緒に会うことができて、変わらないところ変わったところ、参加メンツを通じて聞く、今回はきていなかった他の同級のうわさ話などから、自分たちが過ごしてきた年月の長さを感じた年始めのなか、今年はどこをまわろうかな?と思っていたところ、ふと昨年のブログの記事で「神戸ルミナリエの悲喜こもごも。」という神戸ルミナリエに関する記事を書いたこともあり、そんなことからも神戸ルミナリエの会場のひとつでもある東山遊園地を選んでみることにしました。
ただ、東山遊園地といえば、今日の新聞やテレビなどでも報じられているとおり、午前5時から「1・17のつどい」が開かれている場所でもあり、自分の中でも心理的ハードルが高く、いつか1・17のつどいに参加して、その様子を書こうと思っていた場所でもあったのですが、今回、いろいろと調べているうちに、公園内に「慰霊と復興のモニュメント」という震災関連のモニュメントがあることを知り、20年も過ぎたことだしという心理も働いて、今回、思い切って行ってみることにしたというわけなのです。

写真1
東山遊園地の場所ですが、三宮駅からフラワーロードという大通りをすこし南下すると、神戸市役所があるのですが、今回の公園は、市役所のすぐ南側(海側)にあります。
そして、この写真ですが、これが「慰霊と復興のモニュメント」です。(写真1)
東山遊園地のフラワーロード側の公園中央あたりにあり、規模も大きめでした。
見た感じはまさに地形模型といった感じでしたが、もちろんそこにはいろいろな思いが込められているようでした。
この「慰霊と復興のモニュメント」は、地震で亡くなった方々の慰霊と、復興を願い、市民の募金によって2000年1月17日につくられたものだそうです。
またこのモニュメントを計画するにあたって、指名コンペがおこなわれ、安藤忠雄氏、植松奎二氏、楠田信吾氏、福岡道夫氏らの応募作品の中から、造形作家の楠田信吾氏の作品が選ばれたそうです。
作品名は、あとでも軽くふれますが、「COSMIC ELEMENTS」というそうです。
そして、この作品のコンセプトも神戸市の公式サイトには書かれていて、それによると、このモニュメントのコンセプトは、「地、太陽、空、水、風、石、ガラス」にわかれているそうです。
まず写真1の黒い石の説明碑の手前の正方形のタイルが敷き詰められた地面の部分が、「地」にあたるそうで、白い大地=新しく生まれる神戸の街、を意味しており、写真1の左に見えている木の部分が、「風」にあたり、草木=風の流れ、時の流れ、となり、レンガ色の地形模型の段差の部分が、「太陽」で赤い丘=生命と力の源・生命の暖かさ、永続性、を意味しているとのこと。
なるほど。

写真2
もうすこしアングルを変えて見てみました。(写真2)
この真ん中の割れ目のところは、意味のある通路になっていて、奥にある地下の瞑想空間へとつながっています。

写真3
取材当日は、写真2の通路を奥に行ってみたのですが、ご覧のとおり、年始のため入ることができませんでした。(写真3)

写真4
ただ、さっきの格子ごしに奥をみてみると、中がすこしだけ見れました。(写真4)
奥には、地下瞑想空間とよばれる震災で亡くなられた方々の名前が刻まれた空間があるようです。
今回は、見れませんでしたが、ある意味、気持ちが整理できたので、逆によかったのかもしれませんが。

写真5
こちらは、写真2でも見えていたさっきの通路の上、要はモニュメントの頂上あたりの様子です。(写真5)
正面に見えているガラスの部分ですが、これはコンセプトの「ガラス」にあたり、未来を映し出す、ということを意味しているようです。

写真6
また、写真5にもちらりと見えていますが、モニュメント作成者の名前などもきちんと残されいました。(写真6)

写真7
さらにアングルを変え、写真1と写真2の中央右あたりに見えていた滝のように水の流れている場所がよくみえるところにきてみました。(写真7)
位置的には、ちょうど写真2の背後ということになりますかね。
ここは、作品コンセプトでいえば、「水」にあたり、落水=水は新しい命の象徴。復興へのエネルギー、という意味を込められており、その上にある黒い石にも「石」、地球上の物質の象徴=巨石を宙に浮かせる事で人間と自然の儀式的な舞台装置となる、という意味が込められているそうです。
そうですか、意味的にはこの黒い石は浮いているということになっているのですね。
たしかにこのくらい遠目でみるとそう見えなくもないかもです。

写真8
こちらは、写真7の場所から奥のほうへ少し歩き、振り返ってモニュメントを見てみたものです。
なので、先の滝の部分は右側に見えていますよね。(写真8)
また奥には神戸市役所の高層ビルも見えていました。
偶然なのかどうかわかりませんが、軸線がちょうどあっているのはやはり狙ってなのですかね?

写真9
そして、最後にこちらです。(写真9)
位置的は、写真8の中央左あたりにもちらりと見えていますが、これが、「1.17希望の灯り」です。
うしろにコンセプトの太陽にあたる地形模型のような段々が見えていることもあり、これも慰霊と復興のモニュメントと一体に考えてもよいかなと思い、今回、紹介してみることにしました。
これについては、自分で説明してもよいのですが、写真左側の銀色のほうにこの1.17希望の灯りについての説明が書いてありましたので、最後にそのまま抜粋させていただいて、今年はおわりたいと思います。
『 1.17希望の灯り
この碑文には、阪神淡路大震災で奪われたすべてのいのちと
生かされた私たちの思いが凝縮されています。
あの震災から15年、街の復興は進みましたが・・・
愛する家族を、友人を、仲間を奪われた方々のこころの傷はまだ癒えてはいません・・・
マグニチュード7.3を記録したあの大地震の時、
私たちはかけがえのない「いのち」を失うと同時に
国籍や宗教、肩書きなどの違いを超えて、家族や隣人、地域で
お互いに心を結び助け合いました。
電気もガスも水道もない中、手をたずさえて支えあったあの「こころ」は
まさに暗闇を照らす小さな灯火だったのです。
被災地の公園や街角、学校や会社には、亡くなられた方々の「生きた証」として
多くの「慰霊碑」・「追悼碑」・「モニュメント」がつくられています。
これらは失われた多くのいのちを、「個人の死」・「一人の死」としてではなく
「みんなの死」として受け止めた被災した方々のごく自然の営みでした。
ここに点されている灯りは、2000年1月17日午前5時46分
被災10市10町と全国47都道府県から届けていただいた種火をひとつにして、
「生きている証」として点しました。
2010年1月17日記す
1.17 Flame of Hope
5.46am, 17th January 1995
The Great Hanshin Earthquake
This earthquake took many things,
Lives, Jobs, Communities, Our Cityscape, Our Memories,
These things appear safe , permanent,
Even moments before, we cannot know
This earthquake left many things behind,
Kindness, Compassion, Human Bonds, Friendship
This flame links the lives which were taken away,
With our thoughts, the survivors.
Inscribed by Masami Horiuchi
』

写真10
1.17希望の灯り
1995年1月17日午前5時46分
阪神淡路大震災
震災が奪ったもの
命 仕事 団欒 街並み 思い出
・・・たった1秒先が予見できない人間の限界・・・
震災が残してくれたもの
やさしさ 思いやり 絆 仲間
この灯りは
奪われた
すべてのいのちと
生き残った
わたしたちの思いを
むすびつなぐ
地図
兵庫県神戸市中央区加納町6-4
毎年言ってますが(もう諦めてこれからも何度も言わせていただこうと思います)、早いもので、もうあれから21年ですか。
そして、昨年の1月17日のブログでも「これからも今まで同様、震災遺構の旅(散歩?)を続けよう」と言ったこともあり、今年も年始に引き続きいくつかまわってきましたが、今回はその中のひとつだけを紹介してみたいと思います。
今年の年始は、久々に地元のいつもの同級生のメンツに加えて、すこし疎遠になっていた小学校から同じ学校だった近所の同級とも一緒に会うことができて、変わらないところ変わったところ、参加メンツを通じて聞く、今回はきていなかった他の同級のうわさ話などから、自分たちが過ごしてきた年月の長さを感じた年始めのなか、今年はどこをまわろうかな?と思っていたところ、ふと昨年のブログの記事で「神戸ルミナリエの悲喜こもごも。」という神戸ルミナリエに関する記事を書いたこともあり、そんなことからも神戸ルミナリエの会場のひとつでもある東山遊園地を選んでみることにしました。
ただ、東山遊園地といえば、今日の新聞やテレビなどでも報じられているとおり、午前5時から「1・17のつどい」が開かれている場所でもあり、自分の中でも心理的ハードルが高く、いつか1・17のつどいに参加して、その様子を書こうと思っていた場所でもあったのですが、今回、いろいろと調べているうちに、公園内に「慰霊と復興のモニュメント」という震災関連のモニュメントがあることを知り、20年も過ぎたことだしという心理も働いて、今回、思い切って行ってみることにしたというわけなのです。

写真1
東山遊園地の場所ですが、三宮駅からフラワーロードという大通りをすこし南下すると、神戸市役所があるのですが、今回の公園は、市役所のすぐ南側(海側)にあります。
そして、この写真ですが、これが「慰霊と復興のモニュメント」です。(写真1)
東山遊園地のフラワーロード側の公園中央あたりにあり、規模も大きめでした。
見た感じはまさに地形模型といった感じでしたが、もちろんそこにはいろいろな思いが込められているようでした。
この「慰霊と復興のモニュメント」は、地震で亡くなった方々の慰霊と、復興を願い、市民の募金によって2000年1月17日につくられたものだそうです。
またこのモニュメントを計画するにあたって、指名コンペがおこなわれ、安藤忠雄氏、植松奎二氏、楠田信吾氏、福岡道夫氏らの応募作品の中から、造形作家の楠田信吾氏の作品が選ばれたそうです。
作品名は、あとでも軽くふれますが、「COSMIC ELEMENTS」というそうです。
そして、この作品のコンセプトも神戸市の公式サイトには書かれていて、それによると、このモニュメントのコンセプトは、「地、太陽、空、水、風、石、ガラス」にわかれているそうです。
まず写真1の黒い石の説明碑の手前の正方形のタイルが敷き詰められた地面の部分が、「地」にあたるそうで、白い大地=新しく生まれる神戸の街、を意味しており、写真1の左に見えている木の部分が、「風」にあたり、草木=風の流れ、時の流れ、となり、レンガ色の地形模型の段差の部分が、「太陽」で赤い丘=生命と力の源・生命の暖かさ、永続性、を意味しているとのこと。
なるほど。

写真2
もうすこしアングルを変えて見てみました。(写真2)
この真ん中の割れ目のところは、意味のある通路になっていて、奥にある地下の瞑想空間へとつながっています。

写真3
取材当日は、写真2の通路を奥に行ってみたのですが、ご覧のとおり、年始のため入ることができませんでした。(写真3)

写真4
ただ、さっきの格子ごしに奥をみてみると、中がすこしだけ見れました。(写真4)
奥には、地下瞑想空間とよばれる震災で亡くなられた方々の名前が刻まれた空間があるようです。
今回は、見れませんでしたが、ある意味、気持ちが整理できたので、逆によかったのかもしれませんが。

写真5
こちらは、写真2でも見えていたさっきの通路の上、要はモニュメントの頂上あたりの様子です。(写真5)
正面に見えているガラスの部分ですが、これはコンセプトの「ガラス」にあたり、未来を映し出す、ということを意味しているようです。

写真6
また、写真5にもちらりと見えていますが、モニュメント作成者の名前などもきちんと残されいました。(写真6)

写真7
さらにアングルを変え、写真1と写真2の中央右あたりに見えていた滝のように水の流れている場所がよくみえるところにきてみました。(写真7)
位置的には、ちょうど写真2の背後ということになりますかね。
ここは、作品コンセプトでいえば、「水」にあたり、落水=水は新しい命の象徴。復興へのエネルギー、という意味を込められており、その上にある黒い石にも「石」、地球上の物質の象徴=巨石を宙に浮かせる事で人間と自然の儀式的な舞台装置となる、という意味が込められているそうです。
そうですか、意味的にはこの黒い石は浮いているということになっているのですね。
たしかにこのくらい遠目でみるとそう見えなくもないかもです。

写真8
こちらは、写真7の場所から奥のほうへ少し歩き、振り返ってモニュメントを見てみたものです。
なので、先の滝の部分は右側に見えていますよね。(写真8)
また奥には神戸市役所の高層ビルも見えていました。
偶然なのかどうかわかりませんが、軸線がちょうどあっているのはやはり狙ってなのですかね?

写真9
そして、最後にこちらです。(写真9)
位置的は、写真8の中央左あたりにもちらりと見えていますが、これが、「1.17希望の灯り」です。
うしろにコンセプトの太陽にあたる地形模型のような段々が見えていることもあり、これも慰霊と復興のモニュメントと一体に考えてもよいかなと思い、今回、紹介してみることにしました。
これについては、自分で説明してもよいのですが、写真左側の銀色のほうにこの1.17希望の灯りについての説明が書いてありましたので、最後にそのまま抜粋させていただいて、今年はおわりたいと思います。
『 1.17希望の灯り
この碑文には、阪神淡路大震災で奪われたすべてのいのちと
生かされた私たちの思いが凝縮されています。
あの震災から15年、街の復興は進みましたが・・・
愛する家族を、友人を、仲間を奪われた方々のこころの傷はまだ癒えてはいません・・・
マグニチュード7.3を記録したあの大地震の時、
私たちはかけがえのない「いのち」を失うと同時に
国籍や宗教、肩書きなどの違いを超えて、家族や隣人、地域で
お互いに心を結び助け合いました。
電気もガスも水道もない中、手をたずさえて支えあったあの「こころ」は
まさに暗闇を照らす小さな灯火だったのです。
被災地の公園や街角、学校や会社には、亡くなられた方々の「生きた証」として
多くの「慰霊碑」・「追悼碑」・「モニュメント」がつくられています。
これらは失われた多くのいのちを、「個人の死」・「一人の死」としてではなく
「みんなの死」として受け止めた被災した方々のごく自然の営みでした。
ここに点されている灯りは、2000年1月17日午前5時46分
被災10市10町と全国47都道府県から届けていただいた種火をひとつにして、
「生きている証」として点しました。
2010年1月17日記す
1.17 Flame of Hope
5.46am, 17th January 1995
The Great Hanshin Earthquake
This earthquake took many things,
Lives, Jobs, Communities, Our Cityscape, Our Memories,
These things appear safe , permanent,
Even moments before, we cannot know
This earthquake left many things behind,
Kindness, Compassion, Human Bonds, Friendship
This flame links the lives which were taken away,
With our thoughts, the survivors.
Inscribed by Masami Horiuchi
』

写真10
1.17希望の灯り
1995年1月17日午前5時46分
阪神淡路大震災
震災が奪ったもの
命 仕事 団欒 街並み 思い出
・・・たった1秒先が予見できない人間の限界・・・
震災が残してくれたもの
やさしさ 思いやり 絆 仲間
この灯りは
奪われた
すべてのいのちと
生き残った
わたしたちの思いを
むすびつなぐ
地図
兵庫県神戸市中央区加納町6-4