NO.264
坂名:新茶屋坂
住所:東京都目黒区三田
しんちゃや坂と呼ぶそうです。
場所は、前回取り上げた茶屋坂(NO.263)の坂上と途中でつながっていて、北西側を目黒川まで下っている坂道です。
写真1
まずは坂下あたりからの坂上方向の眺めです。(写真1)
この辺はほぼ平坦といっていい場所でしたが、ちょうど目黒川と交差しているあたりのため、とりあえずぱちりと一枚。
写真2
写真1でも見えていましたが、右側には目黒清掃工場があり、その煙突がやはり印象的だったので、きちんとのせてみることにしました。(写真2)
こうしてみるとかなり大きい煙突ということがわかりやすんじゃないですかね。
写真3
こちらは、目黒川ですが、写真2の右側方向、つまり目黒駅方向をみたものですね。(写真3)
ちなみに奥に見えている橋のあたりの左側には目黒エコプラザという公共施設があって、かの有名な目黒のさんま祭もあのあたりで毎年開催されているようですね。
写真4
再び坂道にもどり、傾斜がすこしでてきたあたりから、坂上方向を見てみたものです。(写真4)
この坂は、やはり、”新”とつくことからも新しめな印象が坂道のいたるところでみられ、その典型がこの広い道幅だったですかね。
そして、右側の清掃工場の緑が元気に坂道上までせり出していて、なかなかいい感じに。
写真5
こちらは、坂道をすこし上がり、さらに坂上方向を眺めてみたものです。(写真5)
このあたりが今回の坂の中腹あたりになりそうですかね。
やはりこのあたりもつくりが新しい感じでした。
勾配具合も歩いている分にはなかなかだったのですが、いかんせん直線距離が長い坂なので、写真ではちょっとわかりにくいですかね。
あとは、写真4とは逆側になる左側の防衛省の敷地内の緑のボリュームが今度はなかなかのものでした。
写真6
だいたい同じ位置より坂下方向をみてみたものです。(写真6)
やはりここでは例の煙突ですかね。
写真7
もうすこし坂をのぼり、再び坂上方向をみてみました。(写真7)
まず一番に気をつけるところといえば、左側に見えているバス亭ですかね。
なんとここのバス亭名は「茶屋坂」というそうなのですよ。
新茶屋坂にある茶屋坂というバス亭ですね。(笑)
ただ、実は茶屋坂にかつてあったあの富士見茶屋はおそらくこの右側に見えているマンションのあるあたりにあった可能性も否定できないので、一概には笑えないところでもあるんですけどね。
あとはこれまでと同じような景色に見えますが、実はすこし坂上のほうの雰囲気が違っているのですよ。(覚えておいてくださいね。)
写真8
そして、これですよ。(写真8)
写真7の右側の道路沿いのマンションの端っこ、坂上側あたりにもちらりと写っているのですが、「茶屋坂隧道」という案内板がそこにあったのですよ。
いつものように抜粋するとですね、
『三田用水は寛文4(1664)年,飲用の上水としてつくられ,玉川上水から北沢で分水し,三田村を通り白金,芝へ流れていた。享保7(1722)年この上水が廃止になったとき,目黒の4か村をはじめ14か村はこれを農業用水として利用することを関東郡代に願い出て,享保10年に三田用水となった。農耕,製粉・精米の水車などに用いられた用水も,明治以降は工業用水やビール工場の用水など,用途を変更し利用されてきたが,やがてそれも不用となり、昭和50年にその流れを完全に止め,約300年にわたる歴史の幕を閉じた。茶屋坂隧道は,昭和5年に新茶屋坂通りを開通させるため,三田用水の下を開削してできた全長10mほどのコンクリート造りのトンネルで,平成15年に道路拡幅に伴い撤去された。』
とありました。
そうだったんですね。
昔は、このあたりは写真8の案内板の写真にもあるとおり、トンネルだったようですね。
そして、それが”茶屋坂隧道”と呼ばれていたということみたいですね。
要は、かつてあった三田用水の流れをそこなわないように、その下にトンネルを掘ってこの新茶屋坂がつくられたということなのですな。
写真9
次は、さらに坂を上り、坂下方向を見てみたものです。(写真9)
このあたりからがらりと坂道の雰囲気が変わっていたのですが、要はこのあたりがかつてトンネルのあったあたりの場所だったようで、その名残りとして、左右の立派だけど、どこか新しい擁壁があるという不思議な雰囲気の場所になっているということなんですかね。
ちなみに、ここには、いつものような坂の碑はなかったのですが、目黒区のHPに坂の説明を記したページがあったので、それを一部抜粋しておくとですね、
『坂の中程にあるバス停に「茶屋坂」とあるが、この道は、右手奥の、3代将軍家光にまつわる「茶屋坂」に対して、昭和3年に開かれたずい道で、「新茶屋坂」と呼ばれる。坂の途中にあるトンネル上には、昭和49年に廃止されるまで、三田用水が延々300余年にわたって流れ続いていた。トンネルをくぐる辺りから、坂上にかけて左手に、うっそうと生い茂る松林は、江戸時代の目黒の姿を物語るかのように、当時の面影をしのばせていたが、ずい道は撤去され、町並みは変ってしまった。』
とのことです。
なので、この坂道は、昭和3年にできたことは確実みたいですね。
そして、昭和49年(1974年)にトンネルがなくなり景色が一変したと。。
あ、ちなみにちなみに、茶屋坂(NO.263)との位置関係ですが、地図をみると茶屋坂の坂上あたりをかつての三田用水が流れていたという位置関係なので、茶屋坂の例の清水との関係は薄そうでしたよ。
写真10
そんなこんなで、最後は、坂上あたりからの景色です。(写真10)
もしかしたら、軸線からはすこしずれていますが、富士山の方向にくだる場所にあり、この高低差からすると、昔の低いビルしかなかった当時はもしかしたら、富士山が坂の途中から見えたかもしれませんが、現在ではどうなんですかね、たぶん見えないんじゃないですかね。
あとは、1974年に一度再整備された道なのだなあと、改めて思いながらこの坂道風景をみるとなんだか奇妙な感じもしますが、別の考えでいえば、1974年に整備された道の割にはなんかきれいなのかもなあとも思うわけなのですが、どうなんでしょう。
地図:目黒区三田2-3あたり
坂名:新茶屋坂
住所:東京都目黒区三田
しんちゃや坂と呼ぶそうです。
場所は、前回取り上げた茶屋坂(NO.263)の坂上と途中でつながっていて、北西側を目黒川まで下っている坂道です。
写真1
まずは坂下あたりからの坂上方向の眺めです。(写真1)
この辺はほぼ平坦といっていい場所でしたが、ちょうど目黒川と交差しているあたりのため、とりあえずぱちりと一枚。
写真2
写真1でも見えていましたが、右側には目黒清掃工場があり、その煙突がやはり印象的だったので、きちんとのせてみることにしました。(写真2)
こうしてみるとかなり大きい煙突ということがわかりやすんじゃないですかね。
写真3
こちらは、目黒川ですが、写真2の右側方向、つまり目黒駅方向をみたものですね。(写真3)
ちなみに奥に見えている橋のあたりの左側には目黒エコプラザという公共施設があって、かの有名な目黒のさんま祭もあのあたりで毎年開催されているようですね。
写真4
再び坂道にもどり、傾斜がすこしでてきたあたりから、坂上方向を見てみたものです。(写真4)
この坂は、やはり、”新”とつくことからも新しめな印象が坂道のいたるところでみられ、その典型がこの広い道幅だったですかね。
そして、右側の清掃工場の緑が元気に坂道上までせり出していて、なかなかいい感じに。
写真5
こちらは、坂道をすこし上がり、さらに坂上方向を眺めてみたものです。(写真5)
このあたりが今回の坂の中腹あたりになりそうですかね。
やはりこのあたりもつくりが新しい感じでした。
勾配具合も歩いている分にはなかなかだったのですが、いかんせん直線距離が長い坂なので、写真ではちょっとわかりにくいですかね。
あとは、写真4とは逆側になる左側の防衛省の敷地内の緑のボリュームが今度はなかなかのものでした。
写真6
だいたい同じ位置より坂下方向をみてみたものです。(写真6)
やはりここでは例の煙突ですかね。
写真7
もうすこし坂をのぼり、再び坂上方向をみてみました。(写真7)
まず一番に気をつけるところといえば、左側に見えているバス亭ですかね。
なんとここのバス亭名は「茶屋坂」というそうなのですよ。
新茶屋坂にある茶屋坂というバス亭ですね。(笑)
ただ、実は茶屋坂にかつてあったあの富士見茶屋はおそらくこの右側に見えているマンションのあるあたりにあった可能性も否定できないので、一概には笑えないところでもあるんですけどね。
あとはこれまでと同じような景色に見えますが、実はすこし坂上のほうの雰囲気が違っているのですよ。(覚えておいてくださいね。)
写真8
そして、これですよ。(写真8)
写真7の右側の道路沿いのマンションの端っこ、坂上側あたりにもちらりと写っているのですが、「茶屋坂隧道」という案内板がそこにあったのですよ。
いつものように抜粋するとですね、
『三田用水は寛文4(1664)年,飲用の上水としてつくられ,玉川上水から北沢で分水し,三田村を通り白金,芝へ流れていた。享保7(1722)年この上水が廃止になったとき,目黒の4か村をはじめ14か村はこれを農業用水として利用することを関東郡代に願い出て,享保10年に三田用水となった。農耕,製粉・精米の水車などに用いられた用水も,明治以降は工業用水やビール工場の用水など,用途を変更し利用されてきたが,やがてそれも不用となり、昭和50年にその流れを完全に止め,約300年にわたる歴史の幕を閉じた。茶屋坂隧道は,昭和5年に新茶屋坂通りを開通させるため,三田用水の下を開削してできた全長10mほどのコンクリート造りのトンネルで,平成15年に道路拡幅に伴い撤去された。』
とありました。
そうだったんですね。
昔は、このあたりは写真8の案内板の写真にもあるとおり、トンネルだったようですね。
そして、それが”茶屋坂隧道”と呼ばれていたということみたいですね。
要は、かつてあった三田用水の流れをそこなわないように、その下にトンネルを掘ってこの新茶屋坂がつくられたということなのですな。
写真9
次は、さらに坂を上り、坂下方向を見てみたものです。(写真9)
このあたりからがらりと坂道の雰囲気が変わっていたのですが、要はこのあたりがかつてトンネルのあったあたりの場所だったようで、その名残りとして、左右の立派だけど、どこか新しい擁壁があるという不思議な雰囲気の場所になっているということなんですかね。
ちなみに、ここには、いつものような坂の碑はなかったのですが、目黒区のHPに坂の説明を記したページがあったので、それを一部抜粋しておくとですね、
『坂の中程にあるバス停に「茶屋坂」とあるが、この道は、右手奥の、3代将軍家光にまつわる「茶屋坂」に対して、昭和3年に開かれたずい道で、「新茶屋坂」と呼ばれる。坂の途中にあるトンネル上には、昭和49年に廃止されるまで、三田用水が延々300余年にわたって流れ続いていた。トンネルをくぐる辺りから、坂上にかけて左手に、うっそうと生い茂る松林は、江戸時代の目黒の姿を物語るかのように、当時の面影をしのばせていたが、ずい道は撤去され、町並みは変ってしまった。』
とのことです。
なので、この坂道は、昭和3年にできたことは確実みたいですね。
そして、昭和49年(1974年)にトンネルがなくなり景色が一変したと。。
あ、ちなみにちなみに、茶屋坂(NO.263)との位置関係ですが、地図をみると茶屋坂の坂上あたりをかつての三田用水が流れていたという位置関係なので、茶屋坂の例の清水との関係は薄そうでしたよ。
写真10
そんなこんなで、最後は、坂上あたりからの景色です。(写真10)
もしかしたら、軸線からはすこしずれていますが、富士山の方向にくだる場所にあり、この高低差からすると、昔の低いビルしかなかった当時はもしかしたら、富士山が坂の途中から見えたかもしれませんが、現在ではどうなんですかね、たぶん見えないんじゃないですかね。
あとは、1974年に一度再整備された道なのだなあと、改めて思いながらこの坂道風景をみるとなんだか奇妙な感じもしますが、別の考えでいえば、1974年に整備された道の割にはなんかきれいなのかもなあとも思うわけなのですが、どうなんでしょう。
地図:目黒区三田2-3あたり
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