またまた今回も世田谷の坂道から話をそらして場所飛びます。(笑)

写真1
まずはいきなりの写真です。(写真1)
これみて、ああここねと!と思う方も多いと思いますが、このブログでは初登場の群馬県の浅間山というか、そのふもとというか、軽井沢から近い場所というか、そんな場所に、昨年の秋に友人と行った時に、撮ってみたものです。
このあたりは鬼押出し園と呼ばれている有料エリアなわけなのですが、さすがに浅間山の頂上もすぐ近くに見れるほどの場所というだけあって、山道だらけ、すなわち写真1のような坂道だらけの場所だったのですよ。
そして、道の両側には、1783年の浅間山の噴火の際に流れ出た溶岩が風化して形成されたという、岩だらけの変わった景色が広がっていました。
あと、坂道の右側に赤い建物が見えていますが、こちらが上野の東叡山寛永寺の別院で、昭和33年に噴火犠牲者の方々の冥福を祈って建立された浅間山観音堂とのこと。
しかも、ここ、今回は取り上げませんけど、ちょっとした展望台の役割も果たしている場所だったりするのですよ。

写真2
こちらは、写真1の位置からもうすこし坂道を上って、坂下方向を見てみたものです。(写真2)
なんというか、ここでは坂道自体を見るというよりは、やはりまわりの圧倒的な自然風景を見てしまいましたかね。
ちなみに写真の感じだとすごくわかりにくいのですが、この鬼押出し園のあるあたりの標高は1325mということで、けっこうな高さの場所にいたりします。

写真3
また園内を歩いていると、こんな具合に、「お休み処」とゆるい感じの案内板がありますが、どうみても、火山が噴火した時に火山灰から身を守るための緊急避難用のシェルターがいたるところにありました。(写真3)
実は、僕がここを訪れた時は、あの御岳山での噴火が起きてからそれほど期間が経っていない時だったので、こういうシェルターをみつけるたびに目がとまってしまったというわけなのですよ。
あとは、中に傘が置いてあったのもなかなか印象的だったかもです。

写真4
こちらは、写真2でも道の右側(画面中央あたり)の遠くになにげに見えていた、園内では一番標高が低いであろう入口あたりにあったレストランやら展望台がある施設で、公式サイトによると鬼めしセンターという名称とのこと。(写真4)
ただ、ここはwikipediaの説明によると、岩窟ホールとも呼ばれているらしく、ここの設計は建築家の池原義郎氏によるものらしいです。(このことは、帰ってから知りました。。もし前もって知っていれば、中の写真も撮っておいたんですけどね。まあこれはいつになるかわかりませんが、次回の楽しみということで・・・。)

写真5
最後は、なんとなく坂道とまわりの景色がいい感じで混ざっている場所があったので、思わずぱちりと。(写真5)
やはり、景色の独特な綺麗さの中に(これだけ異質なものが騒然とあるにもかかわらずです)、なにか噴火災害の暗い歴史みたいなものが紛れ込み、歩いていてもなんともいえない気持ちになってしまいましたかね。
ということで、今回はさらりとこんな感じです。
地図
群馬県吾妻郡嬬恋村

写真1
まずはいきなりの写真です。(写真1)
これみて、ああここねと!と思う方も多いと思いますが、このブログでは初登場の群馬県の浅間山というか、そのふもとというか、軽井沢から近い場所というか、そんな場所に、昨年の秋に友人と行った時に、撮ってみたものです。
このあたりは鬼押出し園と呼ばれている有料エリアなわけなのですが、さすがに浅間山の頂上もすぐ近くに見れるほどの場所というだけあって、山道だらけ、すなわち写真1のような坂道だらけの場所だったのですよ。
そして、道の両側には、1783年の浅間山の噴火の際に流れ出た溶岩が風化して形成されたという、岩だらけの変わった景色が広がっていました。
あと、坂道の右側に赤い建物が見えていますが、こちらが上野の東叡山寛永寺の別院で、昭和33年に噴火犠牲者の方々の冥福を祈って建立された浅間山観音堂とのこと。
しかも、ここ、今回は取り上げませんけど、ちょっとした展望台の役割も果たしている場所だったりするのですよ。

写真2
こちらは、写真1の位置からもうすこし坂道を上って、坂下方向を見てみたものです。(写真2)
なんというか、ここでは坂道自体を見るというよりは、やはりまわりの圧倒的な自然風景を見てしまいましたかね。
ちなみに写真の感じだとすごくわかりにくいのですが、この鬼押出し園のあるあたりの標高は1325mということで、けっこうな高さの場所にいたりします。

写真3
また園内を歩いていると、こんな具合に、「お休み処」とゆるい感じの案内板がありますが、どうみても、火山が噴火した時に火山灰から身を守るための緊急避難用のシェルターがいたるところにありました。(写真3)
実は、僕がここを訪れた時は、あの御岳山での噴火が起きてからそれほど期間が経っていない時だったので、こういうシェルターをみつけるたびに目がとまってしまったというわけなのですよ。
あとは、中に傘が置いてあったのもなかなか印象的だったかもです。

写真4
こちらは、写真2でも道の右側(画面中央あたり)の遠くになにげに見えていた、園内では一番標高が低いであろう入口あたりにあったレストランやら展望台がある施設で、公式サイトによると鬼めしセンターという名称とのこと。(写真4)
ただ、ここはwikipediaの説明によると、岩窟ホールとも呼ばれているらしく、ここの設計は建築家の池原義郎氏によるものらしいです。(このことは、帰ってから知りました。。もし前もって知っていれば、中の写真も撮っておいたんですけどね。まあこれはいつになるかわかりませんが、次回の楽しみということで・・・。)

写真5
最後は、なんとなく坂道とまわりの景色がいい感じで混ざっている場所があったので、思わずぱちりと。(写真5)
やはり、景色の独特な綺麗さの中に(これだけ異質なものが騒然とあるにもかかわらずです)、なにか噴火災害の暗い歴史みたいなものが紛れ込み、歩いていてもなんともいえない気持ちになってしまいましたかね。
ということで、今回はさらりとこんな感じです。
地図
群馬県吾妻郡嬬恋村
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