前の記事で、国立競技場のことをすこし取り上げたので、今度はすこしまえに、実際に国立競技場周辺をぶらりとしたときに気になった場所(および高低差のある場所=階段)があったので、ちょっとその話でも。

写真1
国立競技場の近くの明治公園をぶらぶらしていると、公園に隣接した国立競技場の柵に、写真1のような掲示物が張ってあるのを見つけたのですよ。(写真1)
掲示物には、「国立競技場地区埋蔵文化財発掘調査工事のお知らせ」と書いてありました。
なんだなんだと、遺跡でもあるのか?と詳しく読んでみるもあまりわからず。
(ただ後ですこし調べてみたらすこしは分かったんですがそのことはのちほど。)
そんなわけで、現地ではわけがわからないので、まずは遺跡の近くに行ってみるかと思い、そばまできてみると周辺案内地図があったので見てみるとですね。

写真2
こんな案内地図だったのですよ。(写真2)
あれ?
明治公園て、あの国立競技場の南側に隣接しているだだっ広いあの、フリマなんかがよく開催されている公園のことだけだと思っていたんですが、なんと国立競技場の西側のちょっと不思議な雰囲気の公園と東京体育館がある敷地も、実はこの案合図をみる限りでは同じ明治公園ということみたいなのですよ。
(それで帰ってから、気になったので軽く調べてみたら、東京都建設局の案内サイトにもきちんと公園案内図が書かれたサイトがありました。ということは、この明治公園も世田谷の駒沢公園と同じようなコンセプトで公園内に競技場がつくられたと考えていいのですかね。)
いやはや、なんともびっくりというか鈍感というか(汗)、今頃こんなことを知りましたよ。。
なんかそうみると明治公園て奇妙な敷地の形していたんですね。

写真3
ちなみに写真1ででてきた遺跡の場所は、東京体育館から国立競技場へ歩道橋が延びているあたりの西側にあるみたいで、写真3でいえば、ちょうど正面の階段(歩道橋の人工的なものに見えますがいちおう地形を生かした階段のようでした)の向こうあたりにあるようです。

写真4
写真3の背後には、地図のとおり東京体育館が、外苑西通りの向こうに見えていました。(写真4)
なので、むこうの場所も明治公園ということになるので、このような立派な歩道橋でつながっていると考えてよさそうですね。

写真5
また公園内には、写真5のように柵に囲われた謎の巨石が唐突にいくつも置いてあったのですが、これはやはり始めに出てきた遺跡と関係あるかないのか。。(写真5)
ちなみに、この遺跡の話、帰ってから軽く調べてみたところ、「旧街道をロードバイクで!ゼロからの挑戦」さんのブログで、現地の様子を写真もまじえてあげてくれていましたよ。
見た感じではけっこう本格的でした。
これどうするんでしょうかね。。
あとは、発掘調査をしている施工会社のサイトにもちょこっと、このことに触れているページがありましたよ。
とにかくサイトに書いてあった一文、「調査エリアには、明治神宮外苑競技場造営に伴い移転した立法寺(杉並区和田)や江戸幕府家臣の屋敷があった場所も含まれており、当時のものとみられる埋蔵物等が発掘されています。埋蔵文化財は地域の歴史や文化の成り立ちを理解する上で、欠くことの出来ない重要な歴史的遺産です。」という言葉は重いかもですね。
ということで、予定ではここから階段の話をしようかと思っていたのですが、前置きだけでけっこう長くなってしまいましたので、今回はとりあえずこんな感じです。
地図
新宿区霞ヶ丘町10-1

写真1
国立競技場の近くの明治公園をぶらぶらしていると、公園に隣接した国立競技場の柵に、写真1のような掲示物が張ってあるのを見つけたのですよ。(写真1)
掲示物には、「国立競技場地区埋蔵文化財発掘調査工事のお知らせ」と書いてありました。
なんだなんだと、遺跡でもあるのか?と詳しく読んでみるもあまりわからず。
(ただ後ですこし調べてみたらすこしは分かったんですがそのことはのちほど。)
そんなわけで、現地ではわけがわからないので、まずは遺跡の近くに行ってみるかと思い、そばまできてみると周辺案内地図があったので見てみるとですね。

写真2
こんな案内地図だったのですよ。(写真2)
あれ?
明治公園て、あの国立競技場の南側に隣接しているだだっ広いあの、フリマなんかがよく開催されている公園のことだけだと思っていたんですが、なんと国立競技場の西側のちょっと不思議な雰囲気の公園と東京体育館がある敷地も、実はこの案合図をみる限りでは同じ明治公園ということみたいなのですよ。
(それで帰ってから、気になったので軽く調べてみたら、東京都建設局の案内サイトにもきちんと公園案内図が書かれたサイトがありました。ということは、この明治公園も世田谷の駒沢公園と同じようなコンセプトで公園内に競技場がつくられたと考えていいのですかね。)
いやはや、なんともびっくりというか鈍感というか(汗)、今頃こんなことを知りましたよ。。
なんかそうみると明治公園て奇妙な敷地の形していたんですね。

写真3
ちなみに写真1ででてきた遺跡の場所は、東京体育館から国立競技場へ歩道橋が延びているあたりの西側にあるみたいで、写真3でいえば、ちょうど正面の階段(歩道橋の人工的なものに見えますがいちおう地形を生かした階段のようでした)の向こうあたりにあるようです。

写真4
写真3の背後には、地図のとおり東京体育館が、外苑西通りの向こうに見えていました。(写真4)
なので、むこうの場所も明治公園ということになるので、このような立派な歩道橋でつながっていると考えてよさそうですね。

写真5
また公園内には、写真5のように柵に囲われた謎の巨石が唐突にいくつも置いてあったのですが、これはやはり始めに出てきた遺跡と関係あるかないのか。。(写真5)
ちなみに、この遺跡の話、帰ってから軽く調べてみたところ、「旧街道をロードバイクで!ゼロからの挑戦」さんのブログで、現地の様子を写真もまじえてあげてくれていましたよ。
見た感じではけっこう本格的でした。
これどうするんでしょうかね。。
あとは、発掘調査をしている施工会社のサイトにもちょこっと、このことに触れているページがありましたよ。
とにかくサイトに書いてあった一文、「調査エリアには、明治神宮外苑競技場造営に伴い移転した立法寺(杉並区和田)や江戸幕府家臣の屋敷があった場所も含まれており、当時のものとみられる埋蔵物等が発掘されています。埋蔵文化財は地域の歴史や文化の成り立ちを理解する上で、欠くことの出来ない重要な歴史的遺産です。」という言葉は重いかもですね。
ということで、予定ではここから階段の話をしようかと思っていたのですが、前置きだけでけっこう長くなってしまいましたので、今回はとりあえずこんな感じです。
地図
新宿区霞ヶ丘町10-1
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