NO.371
坂名:鉄砲坂
住所:東京都品川区北品川あたり
気がつけばけっこう長い期間、品川駅界隈の坂道を取り上げてきたわけですが、やっと最終章に入ります。
今回とりあげる坂道は、”てっぽう坂”とかつて呼ばれていた坂で、すでに無くなってしまった坂道です。
まずは、この坂道を取り上げている江戸東京坂道事典の記述によるとですね、
『嘉永二年の切絵図には品川歩行新宿から、西方御殿山の北辺に上る坂を、テッポウ坂と記載し、坂下少し北のところには「清水の井」があり。』
とありました。
なので、今回はまた品川駅の南側エリアに戻り、前に取り上げた御殿山の坂(NO.240)とすこし関連のある場所を取り上げるということになります。
また同じ本の中で他の項には、
『1853年、黒船来航に太平の眠りを破られた幕府は、品川砲台(お台場)を急造するため、この御殿山を削りとって、その土をもって台場を築いたので、御殿山は変形し、さらに明治初年の鉄道敷設のさいには、山の東部を南北に分断し、そのさい、鉄砲坂下の有名な清水の井も埋められてしまった。今の京浜電鉄北品川駅がそのあたりである。』
とも書かれていました。
写真1
そこでふぬふぬと軽く調べて(ここだけですよ)、現地に行ってみるとなんかそれらしき痕跡があったというわけです。(写真1)
写真1の案内板には、
『磯の清水:江戸時代、北品川宿畑地内(現在の北品川駅付近)に昔から磯の清水と呼ばれる名水の出る清水井がありました。宿内の半数以上の家でこの井戸の水を飲料にしていました。干魃の折にも涸れることがなかったといいます。このことから、この横町を清水横町と呼んでいました。』
と書かれてありました。
そういうわけで、このあたりが史実によれば清水井があった場所ということみたいなので、かつての鉄砲坂の坂下もこのあたりだったということになりますかね。
写真2
とりあえずまわりを見渡してみました。(写真2)
写真1の位置より東側の方向にこんな感じで京急の踏切がありました。
いちおうこの踏切をわたり、奥へと歩いていくと、かつての東海道(今は旧東海道と呼ばれているんですかね)があった場所に行くことができます。
写真3
また北側をみると、京急の北品川駅も目の前という場所でした。(写真3)
写真4
さらに、写真2の方向と反対の西側をみると、第一京浜道路が見えていました。
そして、御殿山と呼ばれる場所は今でもこの道路の向こう側にあるので、かつての鉄砲坂はこの方向に上る坂道だったと思われます。
地図
そこで、現在の地図(グーグルマップ)に、清水井の場所から想定した鉄砲坂の位置をのせてみることにしてみたのが上の図です。
かつての御殿山と呼ばれていた場所は、この図からも、お台場へ土を運ばれたことによる変形に加えて、今のJRの線路によって昔とはかなり違った場所になったようですね。
古地図
あと、せっかくなので、goo地図の古地図ページから拝借したものにも、清水井と鉄砲坂の位置をのせてみたものが上の古地図です。
ちなみにこの古地図を拡大して確認してみると、実は清水井と鉄砲坂のこともちゃんと記載してありましたよ。
なのでこの古地図からも現在の御殿山とかつての御殿山はえらく違うものになっているということが確認できたので、個人的は大満足です。
写真5
そして、最後は、現在の御殿山と呼ばれている場所の頂上近くから、京浜急行側(かつての鉄砲坂の坂下方向ですね)を眺めてみたのが、写真5です。
どうですかね、なにか想像できましたかね。
ということで、今回はこんな感じです。
地図:品川区北品川1あたり
関連リンク:
坂名:鉄砲坂
住所:東京都品川区北品川あたり
気がつけばけっこう長い期間、品川駅界隈の坂道を取り上げてきたわけですが、やっと最終章に入ります。
今回とりあげる坂道は、”てっぽう坂”とかつて呼ばれていた坂で、すでに無くなってしまった坂道です。
まずは、この坂道を取り上げている江戸東京坂道事典の記述によるとですね、
『嘉永二年の切絵図には品川歩行新宿から、西方御殿山の北辺に上る坂を、テッポウ坂と記載し、坂下少し北のところには「清水の井」があり。』
とありました。
なので、今回はまた品川駅の南側エリアに戻り、前に取り上げた御殿山の坂(NO.240)とすこし関連のある場所を取り上げるということになります。
また同じ本の中で他の項には、
『1853年、黒船来航に太平の眠りを破られた幕府は、品川砲台(お台場)を急造するため、この御殿山を削りとって、その土をもって台場を築いたので、御殿山は変形し、さらに明治初年の鉄道敷設のさいには、山の東部を南北に分断し、そのさい、鉄砲坂下の有名な清水の井も埋められてしまった。今の京浜電鉄北品川駅がそのあたりである。』
とも書かれていました。
写真1
そこでふぬふぬと軽く調べて(ここだけですよ)、現地に行ってみるとなんかそれらしき痕跡があったというわけです。(写真1)
写真1の案内板には、
『磯の清水:江戸時代、北品川宿畑地内(現在の北品川駅付近)に昔から磯の清水と呼ばれる名水の出る清水井がありました。宿内の半数以上の家でこの井戸の水を飲料にしていました。干魃の折にも涸れることがなかったといいます。このことから、この横町を清水横町と呼んでいました。』
と書かれてありました。
そういうわけで、このあたりが史実によれば清水井があった場所ということみたいなので、かつての鉄砲坂の坂下もこのあたりだったということになりますかね。
写真2
とりあえずまわりを見渡してみました。(写真2)
写真1の位置より東側の方向にこんな感じで京急の踏切がありました。
いちおうこの踏切をわたり、奥へと歩いていくと、かつての東海道(今は旧東海道と呼ばれているんですかね)があった場所に行くことができます。
写真3
また北側をみると、京急の北品川駅も目の前という場所でした。(写真3)
写真4
さらに、写真2の方向と反対の西側をみると、第一京浜道路が見えていました。
そして、御殿山と呼ばれる場所は今でもこの道路の向こう側にあるので、かつての鉄砲坂はこの方向に上る坂道だったと思われます。
地図
そこで、現在の地図(グーグルマップ)に、清水井の場所から想定した鉄砲坂の位置をのせてみることにしてみたのが上の図です。
かつての御殿山と呼ばれていた場所は、この図からも、お台場へ土を運ばれたことによる変形に加えて、今のJRの線路によって昔とはかなり違った場所になったようですね。
古地図
あと、せっかくなので、goo地図の古地図ページから拝借したものにも、清水井と鉄砲坂の位置をのせてみたものが上の古地図です。
ちなみにこの古地図を拡大して確認してみると、実は清水井と鉄砲坂のこともちゃんと記載してありましたよ。
なのでこの古地図からも現在の御殿山とかつての御殿山はえらく違うものになっているということが確認できたので、個人的は大満足です。
写真5
そして、最後は、現在の御殿山と呼ばれている場所の頂上近くから、京浜急行側(かつての鉄砲坂の坂下方向ですね)を眺めてみたのが、写真5です。
どうですかね、なにか想像できましたかね。
ということで、今回はこんな感じです。
地図:品川区北品川1あたり
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