所在地:大田区南馬込5-6あたり
みなみ坂と呼ぶそうです。
場所は馬込坂(NO.238)の坂下あたりから東の方向に上っている坂道です。

写真1
まずは坂下より。(写真1)
この背後が馬込坂(NO.238)であり第二京浜なのですが、そこからこんな感じで上り坂となっていました。
道幅はけっこう狭めで車同士がまともにすれ違うのはけっこう厳しいかなという感じ。

写真2
さらに坂をすこし上って坂下あたりの様子も見てみました。(写真2)
さすがに坂下に面している道路は第二京浜ということもあり車がバンバン走っていましたが、この坂道に入るとかなりひっそりとした雰囲気に変わるのがなんとも興味深かったです。
あと正面の信号を抜けてそのまま直進すると、これまた前にブログでとりあげた二本木坂(NO.236)の坂下あたりに行けるという場所でもあります。
ちなみにここにも、写真2にも見えているとおり、坂の碑がありましたのでそのまま抜粋しておくとですね、
『馬込の中心にある八幡神社からみて、南側にあるので南坂といわれている。昔の坂は、道幅も狭く急な坂で、今の第ニ京浜国道の中央あたりまであったという。この坂道は西へ下って二本木を通り、池上の根方に通じた古い道である。』
とありました。
また大田区のHPにも、坂の碑よりすこし詳しい解説ありましたので、こちらも載せておきますね。
『南馬込五丁目2番の八幡神社脇を西へ行き、すぐ南へ下る坂道。坂名の由来は、馬込の氏神である八幡神社から見て南にあるため、この名となったといわれています。昔の南坂は、道幅も狭く急な坂道で、今の第2京浜国道の中央あたりまでありました。そこから西へ下って二本木(西馬込一丁目付近)を通り、旧池上村の根方(仲池上一丁目付近)に通じた古い道です。その当時、坂道の両側は高く、下る左側は雑木が繁り、右側の今ではマンションになっているあたりは竹やぶでした。耕地整理で新しい坂道は坂上を削られゆるやかとなりました。』
軽く補足しておくとですね、ここででてくる八幡神社とはちょうど坂上あたりにある馬込八幡神社のことを言っているようです。
あと「耕地整理で新しい坂道」がなんちゃらというところは、馬込坂(NO.238)なのかこの南坂のことなのか、ちょっと迷うところですね。
まあ変に周りをまわったからもしれませんが・・・。
でもこの一文だけで想像してみるとやはりこの南坂のことのような気がします。

写真3
そしてもうすこし坂を上り、道がきゅっと曲がるあたりから坂上のほうを眺めたものがこちらです。(写真3)
歩いているときは結構な勾配具合に感じたのですが、地面の舗装をみるとアスファルトタイプなので、実はそれほどきつくないのかもしれないですね。
でも右側の古そうな擁壁みるとその上にある家とはかなり高低差あるみたいなので、なんともいえないところはあるのですが。。

写真4
いちおう写真3とだいたい同じ位置より坂下のほうも見てみました。(写真4)
ここからだとすでに坂下の第ニ京浜も見えなくなっていたので坂のカーブ具合がけっこう急なこともわかりやすいかもですね。

写真5
さらに坂を上り、坂上のほうを見たものが写真5です。(写真5)
このあたりまでくるとアスファルト舗装のタイプらしいゆるやかな勾配具合になってきているようでした。

写真6
そして、一気に坂上あたりまでやってきて坂下のほうを眺めてみました。(写真6)
右側にマンションがあるのでわかりにくいですけど、けっこう坂道自体はうねうねしていて、さらにここから坂道は坂上にある馬込八幡神社を避けるように写真6の左側に大きくカーブしていくのですよ。

写真7
そいでもって最後は、写真6のすぐ右側にあった無名階段です。(写真7)
もちろん階段下は馬込坂(NO.238)でもある第二京浜ですね。
なので、坂の碑の説明にもあった「その当時、坂道の両側は高く、下る左側は雑木が繁り、右側の今ではマンションになっているあたりは竹やぶでした。耕地整理で新しい坂道は坂上を削られゆるやかとなりました。」という一文から、これを写真6を見ながらかつての南坂の風景を想像してみると、写真6の左側に雑木が繁り、右側には竹やぶがひろがっていたということになりますかね。
そして、この写真7の階段、かつてはこのような崖のような勾配ではなくもしかしたらもっとゆるやかで、実はこの高低差分くらい耕地整理のため土地が削られ、今の勾配が比較的ゆるやかな馬込坂(NO.238)ができたのかもしれないと予想してみたのですが、その事実やいかに。。
地図
大田区南馬込5-6あたり
みなみ坂と呼ぶそうです。
場所は馬込坂(NO.238)の坂下あたりから東の方向に上っている坂道です。

写真1
まずは坂下より。(写真1)
この背後が馬込坂(NO.238)であり第二京浜なのですが、そこからこんな感じで上り坂となっていました。
道幅はけっこう狭めで車同士がまともにすれ違うのはけっこう厳しいかなという感じ。

写真2
さらに坂をすこし上って坂下あたりの様子も見てみました。(写真2)
さすがに坂下に面している道路は第二京浜ということもあり車がバンバン走っていましたが、この坂道に入るとかなりひっそりとした雰囲気に変わるのがなんとも興味深かったです。
あと正面の信号を抜けてそのまま直進すると、これまた前にブログでとりあげた二本木坂(NO.236)の坂下あたりに行けるという場所でもあります。
ちなみにここにも、写真2にも見えているとおり、坂の碑がありましたのでそのまま抜粋しておくとですね、
『馬込の中心にある八幡神社からみて、南側にあるので南坂といわれている。昔の坂は、道幅も狭く急な坂で、今の第ニ京浜国道の中央あたりまであったという。この坂道は西へ下って二本木を通り、池上の根方に通じた古い道である。』
とありました。
また大田区のHPにも、坂の碑よりすこし詳しい解説ありましたので、こちらも載せておきますね。
『南馬込五丁目2番の八幡神社脇を西へ行き、すぐ南へ下る坂道。坂名の由来は、馬込の氏神である八幡神社から見て南にあるため、この名となったといわれています。昔の南坂は、道幅も狭く急な坂道で、今の第2京浜国道の中央あたりまでありました。そこから西へ下って二本木(西馬込一丁目付近)を通り、旧池上村の根方(仲池上一丁目付近)に通じた古い道です。その当時、坂道の両側は高く、下る左側は雑木が繁り、右側の今ではマンションになっているあたりは竹やぶでした。耕地整理で新しい坂道は坂上を削られゆるやかとなりました。』
軽く補足しておくとですね、ここででてくる八幡神社とはちょうど坂上あたりにある馬込八幡神社のことを言っているようです。
あと「耕地整理で新しい坂道」がなんちゃらというところは、馬込坂(NO.238)なのかこの南坂のことなのか、ちょっと迷うところですね。
まあ変に周りをまわったからもしれませんが・・・。
でもこの一文だけで想像してみるとやはりこの南坂のことのような気がします。

写真3
そしてもうすこし坂を上り、道がきゅっと曲がるあたりから坂上のほうを眺めたものがこちらです。(写真3)
歩いているときは結構な勾配具合に感じたのですが、地面の舗装をみるとアスファルトタイプなので、実はそれほどきつくないのかもしれないですね。
でも右側の古そうな擁壁みるとその上にある家とはかなり高低差あるみたいなので、なんともいえないところはあるのですが。。

写真4
いちおう写真3とだいたい同じ位置より坂下のほうも見てみました。(写真4)
ここからだとすでに坂下の第ニ京浜も見えなくなっていたので坂のカーブ具合がけっこう急なこともわかりやすいかもですね。

写真5
さらに坂を上り、坂上のほうを見たものが写真5です。(写真5)
このあたりまでくるとアスファルト舗装のタイプらしいゆるやかな勾配具合になってきているようでした。

写真6
そして、一気に坂上あたりまでやってきて坂下のほうを眺めてみました。(写真6)
右側にマンションがあるのでわかりにくいですけど、けっこう坂道自体はうねうねしていて、さらにここから坂道は坂上にある馬込八幡神社を避けるように写真6の左側に大きくカーブしていくのですよ。

写真7
そいでもって最後は、写真6のすぐ右側にあった無名階段です。(写真7)
もちろん階段下は馬込坂(NO.238)でもある第二京浜ですね。
なので、坂の碑の説明にもあった「その当時、坂道の両側は高く、下る左側は雑木が繁り、右側の今ではマンションになっているあたりは竹やぶでした。耕地整理で新しい坂道は坂上を削られゆるやかとなりました。」という一文から、これを写真6を見ながらかつての南坂の風景を想像してみると、写真6の左側に雑木が繁り、右側には竹やぶがひろがっていたということになりますかね。
そして、この写真7の階段、かつてはこのような崖のような勾配ではなくもしかしたらもっとゆるやかで、実はこの高低差分くらい耕地整理のため土地が削られ、今の勾配が比較的ゆるやかな馬込坂(NO.238)ができたのかもしれないと予想してみたのですが、その事実やいかに。。
地図
大田区南馬込5-6あたり
コメント一覧 (3)
このあたりはほんとうに坂多いですよね。
馬込九十九坂のことも、また僕のほうでもそのうち調べてみます。
コメントありがとうございます。
元々実家が西馬込の駅前だったので、この辺は子どもの頃によく通りました。
写真7の下、第二京浜国道の反対車線側に見えるスズキのお店の向こう側も急こう配で下がっているので、元は第二京浜の向こう側で一気に崖となっていたのかと想像しました。
それを第二京浜の開削工事で八幡神社、第二京浜、スズキの向こうの崖下と段々になったのかもしれません。
私が子どものころに聞いた話なので、どこまで本当で何が嘘かも分かりませんが、馬込九十九坂、一坂足りない、百坂あれば...(忘れました)、城だったか大名だったかになれるだったかそんなんだったような話でした。
実際に九十九坂なのか分かりませんが、かなりあちこちに坂があったのを覚えています。
今回はたまたま馬込城跡を調べようとして検索したらこちらのサイトにたどり着きました。
坂上の馬込小学校ではなく、本門寺寄りの梅田小学校でしたので、当時は城跡を取り上げるといった授業などがなかったのですが、今なら地元の歴史として取り上げて欲しいなぁと思うほどです。