所在地:大田区東雪谷5-12あたり
はなぬき坂と呼ぶそうです。
場所はみちくさ学会で取り上げた八幡坂の坂下から西へ途中JR線路の下をぬけたあたりに今回の花抜坂があります。
徒歩で言えば八幡坂から10分もかからないくらいの場所にある坂道です。
写真1
ではまず坂下からの様子など。(写真1)
見た感じではすごくきつくはないけどなにげに勾配のキツイ坂道かなという雰囲気の坂道ですが、ここも見てのとおり道路の舗装にドーナツリング型の滑り留め加工がされていることもあり、他の坂道にくらべるとやはり勾配はきついということなんでしょうね。
まわりは落ち着いった住宅街といった雰囲気でした。
あと、このすぐそばにはいつものように坂名の由来が書かれた坂の碑があったのですが、今回は大田区のHPにも同様に坂の説明があり、そちらのほうがすこし内容が詳しいのでHPのほうを抜粋しておくとですね、
『東雪谷五丁目12番と13番の間を池雪小学校脇に向けて上る坂道が花抜坂です。坂名は、日蓮が洗足池から池上へと向かう途中、この付近に野花が美しく咲き乱れ、思わず手折ったので以来、花抜(花の木)の地名で呼ばれるようになったという伝説に由来します。伝説のとおり、この坂は古い道で、中原街道から別れて矢口の渡しまで通じる道でした。昔は現在のようなまっすぐな坂道ではなく、曲った坂道で、両側は高い崖になっていたといい、坂下は竹やぶであったようです。』
ということだそうですよ。
写真2
そんなわけで、すこし長めに歩いて坂の勾配がゆるやかになるところまで上り、さらに坂上のほうを見てみました。(写真2)
このあたりまでくると説明かぶりますけど坂の勾配も一段落して、坂上の頂上のほうもちらりとですが見えてだしていました。
写真3
今度はもうすこしばかり坂を上り、坂下のほうを眺めてみました。(写真3)
たしかに高低差のある坂道ですが(道自体が長めなのでそれほどの高低差感はないのですが・・・)、坂下にある住宅の窓の位置からだいたい推測してみるこのあたりは建物3階床ぐらいの高さの場所のようですかね。
でも遠くのほうをよくみると坂下には背の高いマンションがちょうどないためかなにげに景色が抜けているのはいいかもですね。
写真4
そして、坂の途中にはこんな場所もありました。(写真4)
位置的には写真3のちょうど左側に写ってるんですけどね。
地形というか地面というかそんなものがむき出しになっていましたよ。
今時、ありそうでない感じがすごく気になりました。
そんでもって坂名の説明にもあったとおり、ここは大昔からあった古道でかつて日蓮さんも通ったことがあるという坂道ということからも、この土というか石というかこの赤茶けたものはいつの時代のものなんだろうと、ちょっといろんな意味で妄想してしまう自分がいたりしますですよ(笑)。
写真5
そんなわけで、あっというまに坂上あたりまでやってきて、坂下のほうをみてみました。(写真5)
このあたりまでくると遠くのほうの景色もけっこうひらけてますかね。
しかも・・・。
写真6
こちらは、写真5の位置よりカメラの望遠で遠くのほうを見たものですけど、なんとちょうど坂道の軸線上に池上本門寺の大堂と五重塔がちらりと見えていましたよ。(写真6)
なんというかこれだけ本門寺が今でもはっきり見えるのだから、大昔ならもっと大きくはっきり見えただろうし、加えてまわりに野花が美しく咲いていたらそりゃあ日蓮さんも記念に花でも摘みたくなるだろうなあと思ってしまったのでした。。
ということで、今回はこんな感じです。
地図:東京都大田区東雪谷5-12あたり
はなぬき坂と呼ぶそうです。
場所はみちくさ学会で取り上げた八幡坂の坂下から西へ途中JR線路の下をぬけたあたりに今回の花抜坂があります。
徒歩で言えば八幡坂から10分もかからないくらいの場所にある坂道です。
写真1
ではまず坂下からの様子など。(写真1)
見た感じではすごくきつくはないけどなにげに勾配のキツイ坂道かなという雰囲気の坂道ですが、ここも見てのとおり道路の舗装にドーナツリング型の滑り留め加工がされていることもあり、他の坂道にくらべるとやはり勾配はきついということなんでしょうね。
まわりは落ち着いった住宅街といった雰囲気でした。
あと、このすぐそばにはいつものように坂名の由来が書かれた坂の碑があったのですが、今回は大田区のHPにも同様に坂の説明があり、そちらのほうがすこし内容が詳しいのでHPのほうを抜粋しておくとですね、
『東雪谷五丁目12番と13番の間を池雪小学校脇に向けて上る坂道が花抜坂です。坂名は、日蓮が洗足池から池上へと向かう途中、この付近に野花が美しく咲き乱れ、思わず手折ったので以来、花抜(花の木)の地名で呼ばれるようになったという伝説に由来します。伝説のとおり、この坂は古い道で、中原街道から別れて矢口の渡しまで通じる道でした。昔は現在のようなまっすぐな坂道ではなく、曲った坂道で、両側は高い崖になっていたといい、坂下は竹やぶであったようです。』
ということだそうですよ。
写真2
そんなわけで、すこし長めに歩いて坂の勾配がゆるやかになるところまで上り、さらに坂上のほうを見てみました。(写真2)
このあたりまでくると説明かぶりますけど坂の勾配も一段落して、坂上の頂上のほうもちらりとですが見えてだしていました。
写真3
今度はもうすこしばかり坂を上り、坂下のほうを眺めてみました。(写真3)
たしかに高低差のある坂道ですが(道自体が長めなのでそれほどの高低差感はないのですが・・・)、坂下にある住宅の窓の位置からだいたい推測してみるこのあたりは建物3階床ぐらいの高さの場所のようですかね。
でも遠くのほうをよくみると坂下には背の高いマンションがちょうどないためかなにげに景色が抜けているのはいいかもですね。
写真4
そして、坂の途中にはこんな場所もありました。(写真4)
位置的には写真3のちょうど左側に写ってるんですけどね。
地形というか地面というかそんなものがむき出しになっていましたよ。
今時、ありそうでない感じがすごく気になりました。
そんでもって坂名の説明にもあったとおり、ここは大昔からあった古道でかつて日蓮さんも通ったことがあるという坂道ということからも、この土というか石というかこの赤茶けたものはいつの時代のものなんだろうと、ちょっといろんな意味で妄想してしまう自分がいたりしますですよ(笑)。
写真5
そんなわけで、あっというまに坂上あたりまでやってきて、坂下のほうをみてみました。(写真5)
このあたりまでくると遠くのほうの景色もけっこうひらけてますかね。
しかも・・・。
写真6
こちらは、写真5の位置よりカメラの望遠で遠くのほうを見たものですけど、なんとちょうど坂道の軸線上に池上本門寺の大堂と五重塔がちらりと見えていましたよ。(写真6)
なんというかこれだけ本門寺が今でもはっきり見えるのだから、大昔ならもっと大きくはっきり見えただろうし、加えてまわりに野花が美しく咲いていたらそりゃあ日蓮さんも記念に花でも摘みたくなるだろうなあと思ってしまったのでした。。
ということで、今回はこんな感じです。
地図:東京都大田区東雪谷5-12あたり