今回も無名坂です。
このあたりはほんと気になる無名坂多いですが、今回は特に事前に狙ったものではなく、前にとりあげた大田区南馬込4丁目の臼田坂そばの富士山が眺められる坂を歩いていた時に見つけた坂道です。

ごつごつ坂道と文豪1
写真1

まずこちらですが、「大田区南馬込4丁目の臼田坂そばの富士山が眺められる坂」(長い・・)の坂下あたりからふと北側方向をみるとなんだか気になる坂道が目に飛び込んできたので、思わずぱちりと。

ごつごつ坂道と文豪2
写真2

で、そのままテクテク歩き、坂下あたりまでやってきてしまいました。
なんかプラモデルのジオラマのようなつくりの坂道にちょっと感動。
坂の右側の斜面部分のなんともいえない荒々しさに加えて、左側の擁壁は斜めに傾いていたりして、なんかいちいち気になってしまいましたよ。
本来ならこういう感じの路地坂道はありがちなのですが、今回のはそのディテールがおもしろくて、いろんな表情が見える感じ。

ごつごつ坂道と文豪3
写真3

そして、坂道右側の斜面部分をアップで見てみると。
荒々しいですねー。
丹精につくられた擁壁のうえには溶岩がんそのまま固まったようなごつごつとした斜面のコンクリート。
しかも、かつては危険防止の柵がわりにもなっていたであろう石の車止め支柱も6本のうち4本が折れていて良い感じ♪♪。

ごつごつ坂道と文豪4
写真4

そしてそして、こちらは写真2で見えていた坂上あたりから左に折れるとさらにゆるやかな坂道となっていました。
ただここ、坂道的には普通な感じなのですが、実は家帰ってからわかった事実として、この坂上の青のトラックのさらに上のほう右側にかつて、あの三島由紀夫が住んでいた家があるそうですよ(馬込文士村のサイトによれば)。
時期てきには昭和34年から亡くなるまでのころみたいです。

これにはちょっとびっくりという感じでした。
この事実を知っていればちゃんと奥まで歩いたのにですね。(といっても僕の場合、村上春樹さんの影響もあって三島由紀夫氏の作品はまだ1作くらいしか読んでなくてあまりよい読者ではないんですよ。ただ実家には母が好きみたいで全集あるようですが。)

しかも、それ調べていたら、なんと写真1の道をさらに奥、徒歩でいうと1分くらいの場所に、あの稲垣足穂が大正12〜昭和5年のあいだ住んでいた家もあったそうですよ(馬込文士村のサイトによれば)。
ただこちらは三島由紀夫の自邸と比べると、自邸ではないみたいで、馬込文士村のサイトには『神戸時代の同級生だった衣巻省三の家に転がり込んで以来酒浸りの人生。馬込のモダンボーイ。』なんてことが書かれていましたよ。
いやはや。

なんというか、とりあえず意味なくひかれる坂道というのも調べてみておくものですね。

ごつごつ坂道と文豪5
写真5

で、こちらが写真2で見えていた坂上あたりから坂下のほうを眺めてみました。
まあここからの風景だけみればいたって普通な感じですかね。

ごつごつ坂道と文豪6
写真6

でも坂の左側(写真5の)みると、こんな崖のような荒々しい斜面になっているというわけですよ。

なので、生前の三島由紀夫もこの坂道の風景みながら、よく上り降りしたのかもしれないですね。

地図
東京都大田区南馬込4-33あたり