所在地:大田区池上1-17あたり
現在はめぐみ坂と呼ばれている坂なのですが、かつては"あけぼの坂"、別名で"相の坂"ともよばれているそうで、場所は池上本門寺の南東部に隣接している大森第4中学校の西隣を南東方向に向かって下っている坂道です。
最近の坂でいえば、朗師坂(NO.229)のすこし東、またはみちくさ学会での記事でも最近とりあげた妙味坂(池上本門寺の富士見スポットその2)からなら東にひとつ道むこうという場所にあります。

写真1
まずは坂上あたりの様子など。
坂道的にはもうすこし坂下方向にいかないとわかりやすい傾斜は始まらないのですが、この坂上あたり、地図をみてもらうとわかりやすいのですが、このあたりだけでも写真左側には、堤方神社。右側には法養寺や心浄院が隣接しており(しかもご存知のとおり北側(背後)には池上本門寺)、坂の周辺に寺社が点在しているという都内でもなかなかめずらしい立地にある坂道といえるかもですね。

写真2
いちおうこちらが、写真1の左側に見えていた堤方神社の境内の様子です。
こちらの神社もカジュアルというか質素というか、なんだか公園内にぽつんと本堂があるような、そんな気分になるつくりだったかもです。

写真3
また写真1よりさらに坂上のほうを見てみると、池上本門寺の境内にある五重塔もちらりと見えていましたよ。

写真4
で、もうすこし坂下のほうまで歩いてみると、やっと坂道らしい傾斜のある場所が見えてきました。
そして、坂の碑も写真4でもちらりと見えていますがやはりありました。
『現在では、坂の西側にめぐみ教会があるため、めぐみ坂と呼ばれることが多いようである。かつては、昭和四年までこの地にあった料亭「あけぼの楼」にちなみ「あけぼの坂」とも、古くは「相の坂」とも呼ばれた坂道である。』
あと、大田区ではありがたいことに公式HPでも坂の説明があり、坂の碑よりくわしい解説がのっていましたので、そのまま抜粋するとですね、
『池上一丁目18番と19番の間を堤方神社脇まで上がる坂道。坂を上がる左側にめぐみ教会があるため、この名で呼ばれることが多いようです。ところが、昭和5年発行の『大東京川崎横浜復興大地図』では、この坂は「あけぼの坂」となっています。明治時代中期に、徳富蘆花の小説『富士』にもでてくる料亭「あけぼ乃楼」が現在のめぐみ教会の敷地に開業し、それにちなんだ名であろうと思われます。「あけぼ乃楼」は、明治大正期は大変繁盛し、元勲、貴族が連夜宴を催し、日露戦争の戦勝祝賀会も催されたと伝えられていますが、昭和4年に廃業しました。地元の古老の方々によると、この坂は古くは相の坂とも呼ばれていたそうです。』
とありました。
いやはや、ただでさえ坂上あたりに寺社が点在しているというのに、坂の名は、坂の途中にある(坂下にあるんですよ)めぐみ教会が坂の名の由来になっているとはなんともおもしろいですね。
しかも、それ以前の坂名は料亭「あけぼ乃楼」にちなんだものらしいとのこと。
で、その店がなくなり跡地にできためぐみ教会が坂の新しい名になってしまったという。。
ま、そういう意味では、このあたりも文明開化の気分が坂名にもでてしまったという感じなんですかね。

写真5
そして、やっと坂道らしい場所にやってきました。
もうこのあたりからは閑静な住宅街といった雰囲気になっていました。
あと、やはりここもちょうど写真の正面方向が海にむかっているわけでして、どうやらこの地形具合からすると、ビルがない昔なら海みえていそうな雰囲気あるので,ここも別名で潮見坂ともよべそうなのですが、ここもまたそのことについてはそのうちの宿題(江戸の海の定義がわからないので)ということで置いておきますので、あしからず。

写真6
すこし坂を下り、坂上のほうをみてみました。
けっこう急な勾配具合ですかね。
舗装もドーナツリング型のすべり留めつきのものですしね。

写真7
さらに下ると、道がいい感じでくいっと右に曲がっていました。
しかも正面の駐車場のあたりでもうひとつの道と合流していることもあり、手前に見えている「止まれ」マークもいい感じでふにゃりと急カーブにあわせて曲がって描かれているのもなんだか気になりました。

写真8
さらに坂道は下り、今度は左にくねりと。

写真9
そしてそして、左に曲がると、さらに坂はくねくねしながら下り続けていました。
しかもポイントポイントで樹木が両サイドに植えられていてなんだかいい感じ。

写真10
さらに坂を下り、坂上のほうを見るとこんな感じでした。
正面の樹木と右側の上が駐車場の擁壁(しかもコンクリのノッペリ壁)が坂の勾配具合とかさなって、なんとも不思議な雰囲気だしていたかもです。

写真11
そして、やっと坂下あたりまでやってきました。
このあたりまでくると、勾配具合もゆるやかになってくるなか、左側には坂名の由来ともなっためぐみ教会への入口も見えていました。
ちなみにめぐみ教会の公式HPには、このあたりのことを「めぐみの丘」とよび、『邸内には三代将軍、徳川家光お手植えの梅(樹齢約380年)があり、五代将軍綱吉の時の昌平坂学問所の学頭木下順庵(1621-98)が隠居地として住んでおり、今でも教会の門の傍らに「木下順庵先生墓跡」という石碑が建っています。また、明治の初めに「あけぼの楼」という有名な料亭が建てられ、日露戦争の国家的勝利の祝宴が開かれたと言われています。』と、説明がありましたよ。

写真12
で、最後はさらに坂下まで歩き、坂上のほうをみてみました。
見た目はふつうな感じですが、よく写真みてください。
ちょっと左の塀、なんか和風ですよね。
実はこの左横に妙雲寺なるお寺があるんですよ。
なので、ここから見る坂道風景は、奥が西洋で手前が和風という、なんとも和洋折衷な雰囲気というなんというか。。
このあたりの隣接具合がなんとも不思議というか土地の思想みたいなものが希薄な日本らしい風景というか、そういう感じの場所なのですかね。(わかりませんけど。。)
地図
大田区池上1-17あたり
現在はめぐみ坂と呼ばれている坂なのですが、かつては"あけぼの坂"、別名で"相の坂"ともよばれているそうで、場所は池上本門寺の南東部に隣接している大森第4中学校の西隣を南東方向に向かって下っている坂道です。
最近の坂でいえば、朗師坂(NO.229)のすこし東、またはみちくさ学会での記事でも最近とりあげた妙味坂(池上本門寺の富士見スポットその2)からなら東にひとつ道むこうという場所にあります。

写真1
まずは坂上あたりの様子など。
坂道的にはもうすこし坂下方向にいかないとわかりやすい傾斜は始まらないのですが、この坂上あたり、地図をみてもらうとわかりやすいのですが、このあたりだけでも写真左側には、堤方神社。右側には法養寺や心浄院が隣接しており(しかもご存知のとおり北側(背後)には池上本門寺)、坂の周辺に寺社が点在しているという都内でもなかなかめずらしい立地にある坂道といえるかもですね。

写真2
いちおうこちらが、写真1の左側に見えていた堤方神社の境内の様子です。
こちらの神社もカジュアルというか質素というか、なんだか公園内にぽつんと本堂があるような、そんな気分になるつくりだったかもです。

写真3
また写真1よりさらに坂上のほうを見てみると、池上本門寺の境内にある五重塔もちらりと見えていましたよ。

写真4
で、もうすこし坂下のほうまで歩いてみると、やっと坂道らしい傾斜のある場所が見えてきました。
そして、坂の碑も写真4でもちらりと見えていますがやはりありました。
『現在では、坂の西側にめぐみ教会があるため、めぐみ坂と呼ばれることが多いようである。かつては、昭和四年までこの地にあった料亭「あけぼの楼」にちなみ「あけぼの坂」とも、古くは「相の坂」とも呼ばれた坂道である。』
あと、大田区ではありがたいことに公式HPでも坂の説明があり、坂の碑よりくわしい解説がのっていましたので、そのまま抜粋するとですね、
『池上一丁目18番と19番の間を堤方神社脇まで上がる坂道。坂を上がる左側にめぐみ教会があるため、この名で呼ばれることが多いようです。ところが、昭和5年発行の『大東京川崎横浜復興大地図』では、この坂は「あけぼの坂」となっています。明治時代中期に、徳富蘆花の小説『富士』にもでてくる料亭「あけぼ乃楼」が現在のめぐみ教会の敷地に開業し、それにちなんだ名であろうと思われます。「あけぼ乃楼」は、明治大正期は大変繁盛し、元勲、貴族が連夜宴を催し、日露戦争の戦勝祝賀会も催されたと伝えられていますが、昭和4年に廃業しました。地元の古老の方々によると、この坂は古くは相の坂とも呼ばれていたそうです。』
とありました。
いやはや、ただでさえ坂上あたりに寺社が点在しているというのに、坂の名は、坂の途中にある(坂下にあるんですよ)めぐみ教会が坂の名の由来になっているとはなんともおもしろいですね。
しかも、それ以前の坂名は料亭「あけぼ乃楼」にちなんだものらしいとのこと。
で、その店がなくなり跡地にできためぐみ教会が坂の新しい名になってしまったという。。
ま、そういう意味では、このあたりも文明開化の気分が坂名にもでてしまったという感じなんですかね。

写真5
そして、やっと坂道らしい場所にやってきました。
もうこのあたりからは閑静な住宅街といった雰囲気になっていました。
あと、やはりここもちょうど写真の正面方向が海にむかっているわけでして、どうやらこの地形具合からすると、ビルがない昔なら海みえていそうな雰囲気あるので,ここも別名で潮見坂ともよべそうなのですが、ここもまたそのことについてはそのうちの宿題(江戸の海の定義がわからないので)ということで置いておきますので、あしからず。

写真6
すこし坂を下り、坂上のほうをみてみました。
けっこう急な勾配具合ですかね。
舗装もドーナツリング型のすべり留めつきのものですしね。

写真7
さらに下ると、道がいい感じでくいっと右に曲がっていました。
しかも正面の駐車場のあたりでもうひとつの道と合流していることもあり、手前に見えている「止まれ」マークもいい感じでふにゃりと急カーブにあわせて曲がって描かれているのもなんだか気になりました。

写真8
さらに坂道は下り、今度は左にくねりと。

写真9
そしてそして、左に曲がると、さらに坂はくねくねしながら下り続けていました。
しかもポイントポイントで樹木が両サイドに植えられていてなんだかいい感じ。

写真10
さらに坂を下り、坂上のほうを見るとこんな感じでした。
正面の樹木と右側の上が駐車場の擁壁(しかもコンクリのノッペリ壁)が坂の勾配具合とかさなって、なんとも不思議な雰囲気だしていたかもです。

写真11
そして、やっと坂下あたりまでやってきました。
このあたりまでくると、勾配具合もゆるやかになってくるなか、左側には坂名の由来ともなっためぐみ教会への入口も見えていました。
ちなみにめぐみ教会の公式HPには、このあたりのことを「めぐみの丘」とよび、『邸内には三代将軍、徳川家光お手植えの梅(樹齢約380年)があり、五代将軍綱吉の時の昌平坂学問所の学頭木下順庵(1621-98)が隠居地として住んでおり、今でも教会の門の傍らに「木下順庵先生墓跡」という石碑が建っています。また、明治の初めに「あけぼの楼」という有名な料亭が建てられ、日露戦争の国家的勝利の祝宴が開かれたと言われています。』と、説明がありましたよ。

写真12
で、最後はさらに坂下まで歩き、坂上のほうをみてみました。
見た目はふつうな感じですが、よく写真みてください。
ちょっと左の塀、なんか和風ですよね。
実はこの左横に妙雲寺なるお寺があるんですよ。
なので、ここから見る坂道風景は、奥が西洋で手前が和風という、なんとも和洋折衷な雰囲気というなんというか。。
このあたりの隣接具合がなんとも不思議というか土地の思想みたいなものが希薄な日本らしい風景というか、そういう感じの場所なのですかね。(わかりませんけど。。)
地図
大田区池上1-17あたり