所在地:大田区池上1-1
もみじ坂と呼ぶそうです。
場所は池上本門寺の境内にあり、本殿と大堂の間を西に下る坂道です。
(ということでやっと池上本門寺の境内にやってきましたよ。)

写真1
で、まずは坂下から坂上のほうを眺めたものです。
両サイドの大きな樹々がトンネルのように坂を覆っていてなんとも歩いていて気持よかったです。
ただ坂道自体の距離は短く、すでにここからも坂上の頂上あたりが見えていたりします。
あと、帰ってから知ったことなのでこまかい場所までは未確認なのですが、このすぐ近くにあの力道山のお墓もあるそうです。

写真2
次はすこし坂をのぼり坂下あたりを見てみました。
このあたりまでは勾配もかなりゆるやかで、高低差具合はわかりにくいですかね。
ちなみに奥のほうが前にもちらりとでてきた本門寺公園ということになり、この坂下の道を左へすこし歩くと前にでてきた無名坂(松涛園の隣にある大田区池上1丁目の坂)の坂下あたりにぶつかるんですよ。
そして、ここにもいつものように坂の碑はあったのですが、ほぼ同じ内容で坂の碑の説明よりすこし詳しい内容の説明ページが大田区の公式HPにあったので、そちらを抜粋するとですね、
『池上本門寺の大堂の背後の坂が紅葉坂です。『新編武蔵風土記稿』(注釈1)には、「紅葉坂、方丈の左の坂なり。裏門へ通ふ坂なり。」と記されています。坂付近には紅葉の木が多かったらしく、そのためこの坂名がつけられたものでしょう。ここでいう裏門は、紅葉坂を下った朗峰会館入口付近にあったようです。坂下で交差する道を北へ行くと、西側に松濤園という庭園があります。江戸初期につくられた名園です。慶応四年(1868年)、西郷隆盛と勝海舟がこのあずまやで江戸城明渡しの会見をしたとされていますが、事実ははっきりしません。現在、園内にその記念碑があり、都の旧跡に指定されています。
(注釈1)新編武蔵風土記稿江戸後期の文政9年(1826年)に江戸幕府が編さんした地誌 』
とありました。
松濤園という庭園は無名坂(松涛園の隣にある大田区池上1丁目の坂)の記事でもちらりと触れましたが、写真2でいえば、正面の看板にも案内があるとおり、左にすこし歩くと朗峰会館というお寺の施設があり、その北側(坂からみれば奥)に松涛園があるというわけですよ。
そして、史実のとおり、明治維新の際に、西郷隆盛を参謀とする西軍の本陣がこの地におかれ、その時に西郷隆盛と勝海舟が江戸城明渡しの会談を行ったというあずまやが松涛園内にあるらしいというわけですね。

写真3
で、話は坂道にもどりまして、今度は坂上のほうを見てみました。
なんか渡り廊下が門みたくなっていてかっこいいですね。
しかもこのあたりから坂自体も勾配が急になり高低差けっこうある感じですし。

写真4
それでちょっと坂をあがったあたりで左をみると、境内にある五重塔もちらりと駐車場のむこうに見えていました。
そう、この池上本門寺の境内には五重塔があるんですよ。

写真5
そんでもって、写真3の右側みるとこんなものが見えてました。
土台あたりが木にとりつけられているようで、これはツリーハウス?それともツリー倉庫?という感じの工作物(建築物?)があったので思わずパチリと一枚。(笑)
ただこのときはこれきりこのまま素通りしてしまったので、またそのうち詳しく調べてみますかね。

写真6
そして一気に坂上あたりまでやってきました。
坂中腹の渡り廊下のおかげでなんか不思議な感じの風景になっていますかね。
あとよくみると坂道の道幅けっこうひろいですね。

写真7
写真6の右側には、大堂(の裏側)がいい具合に見えていました。
まさに本門寺の境内にやってきたという感じですかね。

写真8
反対側を見るとこんな様子でした。
こちらもなんともいい感じですね。
なんか違ったお寺があるみたいですが、こちらのほうに本堂があるようですよ。
というわけで、ひとまず紅葉坂はこれでおわりです。
ただこの坂、名前のとおりお寺の境内によくある男坂でも女坂でもないんですよね。
しかもまだまだ境内には坂道いっぱいありますし。
いやはやなんともおもしろい場所ですね。
地図
大田区池上1-1
もみじ坂と呼ぶそうです。
場所は池上本門寺の境内にあり、本殿と大堂の間を西に下る坂道です。
(ということでやっと池上本門寺の境内にやってきましたよ。)

写真1
で、まずは坂下から坂上のほうを眺めたものです。
両サイドの大きな樹々がトンネルのように坂を覆っていてなんとも歩いていて気持よかったです。
ただ坂道自体の距離は短く、すでにここからも坂上の頂上あたりが見えていたりします。
あと、帰ってから知ったことなのでこまかい場所までは未確認なのですが、このすぐ近くにあの力道山のお墓もあるそうです。

写真2
次はすこし坂をのぼり坂下あたりを見てみました。
このあたりまでは勾配もかなりゆるやかで、高低差具合はわかりにくいですかね。
ちなみに奥のほうが前にもちらりとでてきた本門寺公園ということになり、この坂下の道を左へすこし歩くと前にでてきた無名坂(松涛園の隣にある大田区池上1丁目の坂)の坂下あたりにぶつかるんですよ。
そして、ここにもいつものように坂の碑はあったのですが、ほぼ同じ内容で坂の碑の説明よりすこし詳しい内容の説明ページが大田区の公式HPにあったので、そちらを抜粋するとですね、
『池上本門寺の大堂の背後の坂が紅葉坂です。『新編武蔵風土記稿』(注釈1)には、「紅葉坂、方丈の左の坂なり。裏門へ通ふ坂なり。」と記されています。坂付近には紅葉の木が多かったらしく、そのためこの坂名がつけられたものでしょう。ここでいう裏門は、紅葉坂を下った朗峰会館入口付近にあったようです。坂下で交差する道を北へ行くと、西側に松濤園という庭園があります。江戸初期につくられた名園です。慶応四年(1868年)、西郷隆盛と勝海舟がこのあずまやで江戸城明渡しの会見をしたとされていますが、事実ははっきりしません。現在、園内にその記念碑があり、都の旧跡に指定されています。
(注釈1)新編武蔵風土記稿江戸後期の文政9年(1826年)に江戸幕府が編さんした地誌 』
とありました。
松濤園という庭園は無名坂(松涛園の隣にある大田区池上1丁目の坂)の記事でもちらりと触れましたが、写真2でいえば、正面の看板にも案内があるとおり、左にすこし歩くと朗峰会館というお寺の施設があり、その北側(坂からみれば奥)に松涛園があるというわけですよ。
そして、史実のとおり、明治維新の際に、西郷隆盛を参謀とする西軍の本陣がこの地におかれ、その時に西郷隆盛と勝海舟が江戸城明渡しの会談を行ったというあずまやが松涛園内にあるらしいというわけですね。

写真3
で、話は坂道にもどりまして、今度は坂上のほうを見てみました。
なんか渡り廊下が門みたくなっていてかっこいいですね。
しかもこのあたりから坂自体も勾配が急になり高低差けっこうある感じですし。

写真4
それでちょっと坂をあがったあたりで左をみると、境内にある五重塔もちらりと駐車場のむこうに見えていました。
そう、この池上本門寺の境内には五重塔があるんですよ。

写真5
そんでもって、写真3の右側みるとこんなものが見えてました。
土台あたりが木にとりつけられているようで、これはツリーハウス?それともツリー倉庫?という感じの工作物(建築物?)があったので思わずパチリと一枚。(笑)
ただこのときはこれきりこのまま素通りしてしまったので、またそのうち詳しく調べてみますかね。

写真6
そして一気に坂上あたりまでやってきました。
坂中腹の渡り廊下のおかげでなんか不思議な感じの風景になっていますかね。
あとよくみると坂道の道幅けっこうひろいですね。

写真7
写真6の右側には、大堂(の裏側)がいい具合に見えていました。
まさに本門寺の境内にやってきたという感じですかね。

写真8
反対側を見るとこんな様子でした。
こちらもなんともいい感じですね。
なんか違ったお寺があるみたいですが、こちらのほうに本堂があるようですよ。
というわけで、ひとまず紅葉坂はこれでおわりです。
ただこの坂、名前のとおりお寺の境内によくある男坂でも女坂でもないんですよね。
しかもまだまだ境内には坂道いっぱいありますし。
いやはやなんともおもしろい場所ですね。
地図
大田区池上1-1