所在地:大田区南馬込4

あぶみ坂とよぶそうです。
場所はおいはぎ坂(NO.221)の坂上から東に道をひとつ隔てて歩いて2・3分といった場所にあり、南北に走っている坂道です。

鐙坂(NO.222)1
写真1

まずこちらは坂下あたりより坂上のほうを眺めたものです。(写真1)
ゆるーくS字カーブしてますが、みてのとおりいたって普通の住宅街の道路という感じでした。
ただ坂道自体はS字カーブと勾配具合のバランスはなかなか良い感じで、まわりも住宅ばかりなので空もひろいですね。

またこのすぐそばには、坂の碑があり、
『大正末期から始った耕地整理によって出来た坂道で、もとは狭い農道であった。坂の名は、伝説によると、梶原景季の愛馬磨墨が、鐙を谷に落としたところという、鐙谷の地名から名付けられたものという。』
と書いてありました。

あとはもうすこし詳しい坂の説明が大田区の公式HPにあり、
『南馬込四丁目4番と12番の間、馬込桜並木通り交差点の日本たばこ営業所脇から上る坂。坂名は、鎌倉時代の武将、梶原景季(かじわらのかげすえ)(1162年から1200年まで)の愛馬、磨墨(するすみ)の鐙(あぶみ)が落ちたという伝説にちなむ鐙谷の地名から名づけられました。鐙谷は臼田坂上バス停あたりから南西の低い地の一帯をいいます。坂自体は、大正13年頃に行われた耕地整理によってできたもので、それ以前は幅1メートルほどの農道でした。その農道も坂下から先は水田であったそうです。なお、磨墨伝説の磨墨塚は、南馬込三丁目19番にあります。』
とありました。

なのでこれらの説明によれば、ここは比較的新しい坂のようですね。
ちなみに坂の説明ででてきた梶原景季という武将についてのことはウィキペディアにもありました。しかも、ページひらくと歌川国芳の絵もあったのには驚きましたよ。
梶原景季

鐙坂(NO.222)2
写真2

次は、坂の中腹あたりまでやってきて、坂下のほうをみてみました。(写真2)
空がひろくみえるとやっぱり電線目立ちますかね。

鐙坂(NO.222)3
写真3

そして、一気に坂上までやってきました。(写真3)
中腹からではわかりにくかった坂の高低差具合ですが、ここからならけっこうわかりやすいかもです。
しかも地図てきにはそれほどカーブしてないように見えましたけど、実際はけっこう曲がってる感じでした。
あと、写真みてて気がついたんですが、道路の地面部分に「徐行」という文字あるんですけど、これって他でもこんな感じで書かれているものでしたっけ?
「止まれ」じゃなくて、徐行です。
もしかして坂下側からくればよく見えるのでここだけ特別に地面に表示してみたとかそういう話なら、それはそれでおもしろそうですが。

鐙坂(NO.222)4
写真4

あと、最後に。(写真4)
こちらは散歩ガイドてきなことですが、坂下から西側(写真1の左側)にすこし歩いたところ(徒歩1分くらい)に熊谷恒子記念館なる施設がありましたよ。
ここは書道界の巨匠(こういう説明が入口にあったんですよ)といわれる熊谷恒子の旧居だそうで、現在はそれを再利用した記念館として見学ができる施設になっていました。
いちおう見学もしてみましたが、建物の保存状態もよく、僕の世代の感覚で言えば祖母の家といったどこか懐かしい風情で今の最新住宅に比べると全体的に背の低い人向け(もしくは女性向け?)に対応したこじんまりとしたつくりでしたが、そういうスケール感が当時の雰囲気を醸し出していて熊谷恒子さんの作品説明とあわせてなかなか楽しめた施設でしたよ。

地図
大田区南馬込4