所在地:大田区南馬込4

(さて、やっとお茶の水界隈の坂道の取材分がおわりましたので、今回からは、場所をかなり南下しまして、大田区は西馬込界隈という江戸時代には郊外だった場所なのですが、以外に歩いてみるとおもしろい坂にたくさん出会えたり、実はかつてこのあたりは文士村としても有名なところだったりとなんとも味のある地域を取材した時の坂道話でもしたいと思います。)

おいはぎ坂というそうで、別名で牛洗戸坂とも呼ぶそうです。
場所は都営浅草線の西馬込駅から東に徒歩5分くらいの場所にある坂道です。

おいはぎ坂(NO.221)1
写真1

で、さっそく写真1です。(写真1)
こちらが坂下からの様子です。
一方通行の標識があるとおり、道幅はせまい坂道のようで、ここには(名前のせいなのか)坂の碑も見あたりませんでした。

ただし、大田区の公式HPにはこの坂の記載があり、
『南馬込四丁目9番のひばり児童遊園脇から北東へ上がる急坂。道幅も狭く、曲がりくねっており、よく昔の形をとどめています。坂名は、かつて通行人がたびたびおいはぎの被害にあったことから生まれたといわれます。また、この坂は牛洗戸坂とも呼ばれたようです。坂を上がる右側は、昔から北向上台稲荷と万福寺の墓地でした。大正頃は、反対側には木が繁り寂しい雰囲気の坂道であったようです。坂上あたりに鐘塚というところがあり、昔万福寺の梵鐘(ぼんしょう)を鋳造したといわれていますが、その場所は確認できません。』
とありました。

また、いつもお世話になっている江戸東京坂道事典にもこの坂のことが取り上げていて、
『新版大森風土記には”おいはぎ坂 西1丁目(馬込)森氏の居所をたちうど(立人)と称し、この地から小径を塚越に行く道があり、左方の墓地附近を俗に鐘塚と称してゐる。往古万福寺の梵鐘を鋳造した場所である処からこの俗称が起った。亦此処から下る坂をおいはぎ坂と呼ぶ、その昔よくおいはぎ被害に逢ふことから揶揄的に皮肉なあざなが生れるに到った。この傍に北向台上稲荷がある。”と書かれている。』
とありました。

おいはぎ坂(NO.221)2
写真2

また写真1に赤い小さな鳥居が見えていましたが、北向稲荷神社(鳥居には出世稲荷神社と記載、階段のぼったあたりがひばり児童遊園ということみたいです)なる小さな神社が階段を上るとありました。(写真2)
ちなみにこの神社の奥の小さな拝殿は北を正面としているということで、神社としてはけっこうめずらしいつくりなものだそうですよ。

おいはぎ坂(NO.221)3
写真3

あと鳥居の右側みるとこんな感じの傾斜地でした。(写真3)
なぜか井戸もぽつんとありましたよ。

おいはぎ坂(NO.221)4
写真4

話は坂道にもどりまして、次はもうすこし坂を上り、坂下のほうをみたものです。(写真4)
ちょうど写真1の奥をくいっと右に曲がってすこし上ったあたりになります。
神社の背の低めの樹が坂道までせり出してきていて、そのためかすこし暗闇感ありました。
ただ坂道的にはおもしろい形状してますかね。

おいはぎ坂(NO.221)5
写真5

次は写真4とだいたい同じ位置より、坂上のほうを眺めたものです。(写真5)
このあたりから坂は直線形状になってきます。
また道路の舗装がドーナツリンク型なことからもわかるとおり、けっこうな勾配具合でした。

おいはぎ坂(NO.221)6
写真6

そして一気に坂上あたりまでやってきました。(写真6)
このあたりまでくると、左隣は善照寺というお寺の境内ということで高い建物もなく景色もひらけていて坂下の樹々もここから見えればいいあんばいで、坂下のくねくねとした坂道好きをうならせる形状美に対して、こちらは風景美な坂道の眺めといった感じでした。

地図
大田区南馬込4