もう17年ですかあ。
阪神大震災の年に生まれた子ならもう高校生。
しかもいろんな意味で将来のことをちらちらと考えだすおとしごろ。
でもやっぱり僕の中では昨日のことのように思い出すことも多いです。
(知らない方には突然な話で恐縮ですけど、毎年1.17の日には、僕の生まれ故郷である神戸の阪神大震災の追憶記事を書くことにしていますので、ご了承ください。)

去年はあの3月11日の地震もあり、過去の記憶ばかりに注意を払うだけにもいかず、今だから言いますけど、そんな中過去のいろんなフラッシュバックと現実の世界の光景とがオーバーラップして、かなりの精神的なダメージ感みたいなものを受けてしまいまいってしまった時期もありました。
あの当時は僕もまだ21歳だったのでまあいろいろと影響受けやすいしいろんな選択技もありけっこうまじめに考えてしまう時期でもあったわけで、これがもうすこし年齢を重ねていれば社会的なポジションもある程度決まっていたりいろんな意味で諦めたりとまたそれなりの精神的な対処もできたかもしれないですし、逆にもっと若ければそれはそれで他人ごとのように振る舞えたかもしれないですしね。
そういう意味では、現在二十歳前後の人たちも同じような境遇にあるのかもしれないですね。

そんなわけで、今回はそんなことを思いながら、ふと実家に帰省したときに突然思い立ち、過去の記憶をたどる意味もかねて、とある場所にでかけました。

17年1
写真1

こちらは高速道路の橋脚です。
見てのとおりなんですけどね。。
下の道路は国道43号線で、上のは阪神高速です。
場所的には、神戸市東灘区と芦屋市の境あたりになります。
また、ここは僕の実家からもそれなりに近い場所でもあります。

17年2
写真2

そしてこちらは、17年前の1・17当時の写真で、神戸キッズページのサイト内にあった写真を拝借したものです。
当時はよくこの映像が流れてたと思いますので知ってるかたも多いと思いますけど、高速道路が地震で横倒しになってしまった時の記録写真で、ちょうど芦屋市側から西側方向(神戸市内方面)を望んだものです。
当時はネットなんかなかったので、まわりの状況を把握するのにも時間がかかり、こんな光景が近所でおこってるなんてことを知ったのもおそらく数週間後か一ヶ月くらい後になってからだったような気もします。
ただテレビでそういうのが近所にあるとは見聞きしてもすぐに見に行く元気もなく、たまたま用事で近くを通ったときに一度ばかし見たくらいの記憶しかありません。

そんなこともあり、今回あらためて、この場所がそういう記憶をとどめた場所であるということを再確認する意味で、歩いてみたわけです。
ただよくよく昔の記憶を思い出してみると数年前にもこのあたりを正月に歩いたような記憶があるんですけど、その時はなぜかこういう気持ちにはならずただ素通りしただけだったので、今回なぜこんな気持になったのかは不思議ですけど、まあそのあたりは3.11の影響もあるのかもなあと。

それで話をすこし写真のほうに戻しますと、写真1の左のほうにちょこっと写っている白い外壁のマンション、実は写真2の左上に写っている白い外壁の高層マンションなんですよ。
なので写真1で見えている橋脚は震災当時、ぽっきりと折れていた場所ということになるみたいで、地震の時ここにいれば間違いなく高速道路の下敷きになっていたわけですが、現在は当たり前ですが御覧のようにがっちりと造り直されていてその痕跡らしきものはまったくわからない状態になっていました。

17年3
写真3

またこちらはグーグル画像検索でヒットしたもので、元ネタは朝日新聞『報道写真全記録 阪神大震災』の書籍からの拝借画像のようですが、今回あえて使わせていただきました。(問題あればご連絡ください。)
こちらも同じ場所で、芦屋市側から神戸市方面をとらえた写真です。
ただキッズサイトの画像と違い、高速道路上の車の様子なども写っていてかなり生々しいですが、今年の3.11のいろんな生々しい映像と比べればそれほどえげつないこともないかなあとも思われます。(でも心臓はバクバクとしてきますけど・・・。)

17年4
写真4

そして、最後は神戸市と芦屋市のちょうど境目あたりの高速道路の様子です。
もうおわかりかと思いますけど、ここにみえている4本の柱は震災当時すべてぽっきり折れていた場所のはずで、その証拠といったらなんですけど、いちおう写真4で右から2番目と3番目の柱の間に「鉄」と壁に書かれた三角断面のプレハブ工場ぽい建物が見えているんですけど、これ写真3で探してみると、高速道路の右側に「ぼんち」と書かれた看板のちょっと下あたりにあるんですよね、わかりますかね。
そういうわけで、この時期になると特にうまくはいえませんけど自分の精神を保護するために現実と妄想と過去の世界をいったりきたりしてしまうわけですが、現実世界はなんだかんだといってちゃくちゃくと再構築されていくわけなんですね。

17年5

ということで、去年の3.11があった中でなんですが、やはり1.17の記憶も忘れないようにと思い、ここに書かせていただきました。