所在地:千代田区神田駿河台1
(気がつけば期間あいちゃいましたので、そろそろということで。)
いけだ坂と呼ぶそうで、別名で唐犬坂とも呼ぶそうです。
場所は雁木坂(NO.212)の坂上とつらなっていて、そこから南西方向に下る坂道です。

写真1
まずは坂上からの景色でも。
普段ならこのあたりはタクシーなどがいつも待機している場所で写真撮る時はあまりうまくないのですが、このときは休日だったこともあり、車もいなくて、学生もほとんど歩いてなくて、なかなか良い感じで坂道を見渡すことができました。
ここからでも坂下の様子が見えているとおり、それほど長い坂でもなく高低差も建物2階分くらいのもののようでした。
また周りの建物も大学関連の施設ばかりということもあり、よくある住宅街やオフィス街にあるようなものとはひと味ちがった雰囲気の風景を体験できたかもです。

写真2
左のほうを振り返ると、ニコライ堂も見えていました。
なので場所関係はこんな感じです。

写真3
そんなわけで、一気に坂下までやってきてしまいました。
とりたててみるべきポイントみたいなものはないですけど、しいていえばここ通るたび、道路がいつも工事中のようなに荒れてるなあというのと、まわりの建物がいい感じの煉瓦色系の建物多いのに、左隣の日大理工学部校舎だけがなんでここだけガラス張りの建物にしちゃんたんだろう?という感じですかね。。
ちなみにここにもいつものように坂の碑があり、
『この坂を池田坂といいます。この辺りに池田姓の旗本が屋敷を拝領したためといいます。「新撰東京名所図会」には「池田坂は、北甲賀町の中央にあり。駿河台より小川町に通ずる坂路なり、其昔坂の際に、池田氏の邸宅ありしより以て名とす、一名唐犬坂といふとぞ。「新編江戸志」には、「池田坂 唐犬坂とありて、池田坂 唐犬坂とありて、むかし池田市之丞殿屋敷に唐犬ありし故、坂名とすと見えたり。」とかかれています。大名・旗本の系譜である「寛政重修諸家譜」によれば、この家は池田政長という人物に始まる九百石の旗本と考えられます。』
といろいろ親切に書かれていました。
地図
千代田区神田駿河台1
(気がつけば期間あいちゃいましたので、そろそろということで。)
いけだ坂と呼ぶそうで、別名で唐犬坂とも呼ぶそうです。
場所は雁木坂(NO.212)の坂上とつらなっていて、そこから南西方向に下る坂道です。

写真1
まずは坂上からの景色でも。
普段ならこのあたりはタクシーなどがいつも待機している場所で写真撮る時はあまりうまくないのですが、このときは休日だったこともあり、車もいなくて、学生もほとんど歩いてなくて、なかなか良い感じで坂道を見渡すことができました。
ここからでも坂下の様子が見えているとおり、それほど長い坂でもなく高低差も建物2階分くらいのもののようでした。
また周りの建物も大学関連の施設ばかりということもあり、よくある住宅街やオフィス街にあるようなものとはひと味ちがった雰囲気の風景を体験できたかもです。

写真2
左のほうを振り返ると、ニコライ堂も見えていました。
なので場所関係はこんな感じです。

写真3
そんなわけで、一気に坂下までやってきてしまいました。
とりたててみるべきポイントみたいなものはないですけど、しいていえばここ通るたび、道路がいつも工事中のようなに荒れてるなあというのと、まわりの建物がいい感じの煉瓦色系の建物多いのに、左隣の日大理工学部校舎だけがなんでここだけガラス張りの建物にしちゃんたんだろう?という感じですかね。。
ちなみにここにもいつものように坂の碑があり、
『この坂を池田坂といいます。この辺りに池田姓の旗本が屋敷を拝領したためといいます。「新撰東京名所図会」には「池田坂は、北甲賀町の中央にあり。駿河台より小川町に通ずる坂路なり、其昔坂の際に、池田氏の邸宅ありしより以て名とす、一名唐犬坂といふとぞ。「新編江戸志」には、「池田坂 唐犬坂とありて、池田坂 唐犬坂とありて、むかし池田市之丞殿屋敷に唐犬ありし故、坂名とすと見えたり。」とかかれています。大名・旗本の系譜である「寛政重修諸家譜」によれば、この家は池田政長という人物に始まる九百石の旗本と考えられます。』
といろいろ親切に書かれていました。
地図
千代田区神田駿河台1