所在地:千代田区神田駿河台2
がんき坂と呼ぶそうで、場所はここもJR御茶ノ水駅から徒歩数分の場所にあり、紅梅坂(NO.207)の坂上からだと西へ歩いて1分くらいのほんとうに間近にあり、そこから西にある明大通りへと下っている坂道です。

写真1
まずは坂上からの風景です。
見てのとおりなんですけど、ここ本当に昔からある坂道なの?と疑うくらい平坦具合が強くてちょっとびっくりするくらいでした。
でもこのすぐ横あたりに、おなじみの坂の碑があり、
『この坂を雁木坂といいます。今はその面影はありませんが、昔は急な坂で雁木がくまれていたといいます。雁木とは木材をはしご状または階段状に組んで登りやすくしたもので、登山道などに見られます。『新撰東京名所図会』には「駿河台西紅梅町と北甲賀町の間を袋町の方に行く坂を雁木坂と称す。慶応年間の江戸切絵図をみるに、今の杏雲堂病院の前あたりに「ガンキ木サカ」としるされたり」と書かれています。』
とあり、また古地図で確認してみても、現在とほぼ同じ位置に道があり、坂名まで書かれていたので、ここが昔からある坂道だということは正しいと思われます。
そんなわけで、いつごろに地形がいじくられたのかは不明ですけど、僕が歩いた限りでは、現在の雁木坂はほんとうにかつての急勾配の坂道の痕跡すらない感じだったかもです。

写真2
また後ろを振り返って坂上のほうをみてみると、ニコライ堂がちらりと見えていました。

写真3
次は、一気に坂下あたりまでやってきて、坂上のほうを眺めてみました。
ここからだと、坂の勾配具合もなんとか確認できるかもですね。
あとは左の樹がなんとも気になるところですが、歩いたときには樹の左側にある杏雲ビル(ここからだと隠れていて見えてませんけど)のものかなあと思ってたんですけど、この写真3をよくみると、いちおう歩道上にあるみたいですね。
ということは公共の街路樹なんですかね。
(まあどうでもいい話なんですけど・・・。)

写真4
そして最後は写真3でもちらりと見えているのですけど、日大病院のビルの側面の配管がなんだかすごい感じだったので、思わずぱちりと。。
なんかもうここまでくるとアート作品みたいですね。
そんなわけで、今回はこんな感じです。
地図
千代田区神田駿河台2
がんき坂と呼ぶそうで、場所はここもJR御茶ノ水駅から徒歩数分の場所にあり、紅梅坂(NO.207)の坂上からだと西へ歩いて1分くらいのほんとうに間近にあり、そこから西にある明大通りへと下っている坂道です。

写真1
まずは坂上からの風景です。
見てのとおりなんですけど、ここ本当に昔からある坂道なの?と疑うくらい平坦具合が強くてちょっとびっくりするくらいでした。
でもこのすぐ横あたりに、おなじみの坂の碑があり、
『この坂を雁木坂といいます。今はその面影はありませんが、昔は急な坂で雁木がくまれていたといいます。雁木とは木材をはしご状または階段状に組んで登りやすくしたもので、登山道などに見られます。『新撰東京名所図会』には「駿河台西紅梅町と北甲賀町の間を袋町の方に行く坂を雁木坂と称す。慶応年間の江戸切絵図をみるに、今の杏雲堂病院の前あたりに「ガンキ木サカ」としるされたり」と書かれています。』
とあり、また古地図で確認してみても、現在とほぼ同じ位置に道があり、坂名まで書かれていたので、ここが昔からある坂道だということは正しいと思われます。
そんなわけで、いつごろに地形がいじくられたのかは不明ですけど、僕が歩いた限りでは、現在の雁木坂はほんとうにかつての急勾配の坂道の痕跡すらない感じだったかもです。

写真2
また後ろを振り返って坂上のほうをみてみると、ニコライ堂がちらりと見えていました。

写真3
次は、一気に坂下あたりまでやってきて、坂上のほうを眺めてみました。
ここからだと、坂の勾配具合もなんとか確認できるかもですね。
あとは左の樹がなんとも気になるところですが、歩いたときには樹の左側にある杏雲ビル(ここからだと隠れていて見えてませんけど)のものかなあと思ってたんですけど、この写真3をよくみると、いちおう歩道上にあるみたいですね。
ということは公共の街路樹なんですかね。
(まあどうでもいい話なんですけど・・・。)

写真4
そして最後は写真3でもちらりと見えているのですけど、日大病院のビルの側面の配管がなんだかすごい感じだったので、思わずぱちりと。。
なんかもうここまでくるとアート作品みたいですね。
そんなわけで、今回はこんな感じです。
地図
千代田区神田駿河台2