所在地::千代田区千代田1
ばいりん坂とよぶそうです。
場所は、汐見坂(NO.205)の坂下からすこし北側に歩くと、梅林坂の坂下あたりにやってきます。

写真1
まずは坂下からの様子です。
くねくねとした感じの抜け道というか散歩道というか、ここに梅林坂とかかれた案内板がなければまったく気がつかずに通りぬけてしまいそうな坂道でした。
とにかく梅の木などの緑色率がかなり高めなのがなんとも印象的かもです。

写真2
どちらの道が梅林坂かという疑問はありますけど、考えようによってはおおきな下り坂の真ん中に梅の木が3本あるというとらえかたもできそうですが、どうでしょ。。
坂下のむこうのほうは大きな樹々があってみえてませんけど、林のむこうは天神濠なる水辺場所があるみたいです。

写真3
もうすこし坂を上り、坂下のほうを眺めたものです。
このあたりまできてみると、以外と高低差もありそうですね。
また写真でも見えているとおり、途中にさきほどもちらりとでてきた坂道の由来を記した案内板があり、
『梅林坂は、本丸と二の丸を結ぶ坂です。文明10年(1478年)太田道灌が天神社をまつり、数百株の梅を植えたので梅林坂の名が付いたといわれています。現在は約50本の紅梅の梅が植えられており、12月末から2月まで花が楽しめます。』
と書かれていました。
ちなみにこの案内板にはめったにお目にかかれないこの坂道の英語表記(公式ですよ)が書かれていて、「plum tree slope」となっていましたよ。

写真4
それから、後ろをふりむいてみると、坂道はこのあたりから大きくカーブしながら上っていっているみたいでした。
道の両サイドには立派な石垣も見えていました。
なのでこのあたりからが本丸の敷地内ということになるんですかね。

写真5
そして、やっと坂上あたりまでやってきて、坂下のほうを見てみました。
急カーブとともに急勾配な坂道がなんともいえない雰囲気をだしているかもですね。
しかもまわりは緑だらけ(笑)。
あと、最後に江戸東京坂道事典によると、この本が出版された当時は、まだこの皇居内は開放されていなくて位置が確定できなかったらしく、そのかわりにかつての梅林坂の様子を描写した「東京市史・皇居篇第一」なる資料の一文がのせてあったので、とりあえず抜粋して今回はおわりたいと思います。
『「権現様、小田原表より御城へ御移り遊ばされ候節・・・・小坂の上に梅の木を数多植廻し、其内に宮立両者これあるを御覧遊ばされ、道灌は歌人ゆえ天神社を建置きたると仰せにて、残る一社の額を御覧遊ばされ候。・・・・御普請の節、北の丸の内にこれあり候山王の社をば紅葉山へ引移し候様にと仰せつけられ、右両社の跡梅の木あまたこれあり、今以て梅林坂と 申しふれ候なり」と記されている。』
地図
千代田区千代田1
ばいりん坂とよぶそうです。
場所は、汐見坂(NO.205)の坂下からすこし北側に歩くと、梅林坂の坂下あたりにやってきます。

写真1
まずは坂下からの様子です。
くねくねとした感じの抜け道というか散歩道というか、ここに梅林坂とかかれた案内板がなければまったく気がつかずに通りぬけてしまいそうな坂道でした。
とにかく梅の木などの緑色率がかなり高めなのがなんとも印象的かもです。

写真2
どちらの道が梅林坂かという疑問はありますけど、考えようによってはおおきな下り坂の真ん中に梅の木が3本あるというとらえかたもできそうですが、どうでしょ。。
坂下のむこうのほうは大きな樹々があってみえてませんけど、林のむこうは天神濠なる水辺場所があるみたいです。

写真3
もうすこし坂を上り、坂下のほうを眺めたものです。
このあたりまできてみると、以外と高低差もありそうですね。
また写真でも見えているとおり、途中にさきほどもちらりとでてきた坂道の由来を記した案内板があり、
『梅林坂は、本丸と二の丸を結ぶ坂です。文明10年(1478年)太田道灌が天神社をまつり、数百株の梅を植えたので梅林坂の名が付いたといわれています。現在は約50本の紅梅の梅が植えられており、12月末から2月まで花が楽しめます。』
と書かれていました。
ちなみにこの案内板にはめったにお目にかかれないこの坂道の英語表記(公式ですよ)が書かれていて、「plum tree slope」となっていましたよ。

写真4
それから、後ろをふりむいてみると、坂道はこのあたりから大きくカーブしながら上っていっているみたいでした。
道の両サイドには立派な石垣も見えていました。
なのでこのあたりからが本丸の敷地内ということになるんですかね。

写真5
そして、やっと坂上あたりまでやってきて、坂下のほうを見てみました。
急カーブとともに急勾配な坂道がなんともいえない雰囲気をだしているかもですね。
しかもまわりは緑だらけ(笑)。
あと、最後に江戸東京坂道事典によると、この本が出版された当時は、まだこの皇居内は開放されていなくて位置が確定できなかったらしく、そのかわりにかつての梅林坂の様子を描写した「東京市史・皇居篇第一」なる資料の一文がのせてあったので、とりあえず抜粋して今回はおわりたいと思います。
『「権現様、小田原表より御城へ御移り遊ばされ候節・・・・小坂の上に梅の木を数多植廻し、其内に宮立両者これあるを御覧遊ばされ、道灌は歌人ゆえ天神社を建置きたると仰せにて、残る一社の額を御覧遊ばされ候。・・・・御普請の節、北の丸の内にこれあり候山王の社をば紅葉山へ引移し候様にと仰せつけられ、右両社の跡梅の木あまたこれあり、今以て梅林坂と 申しふれ候なり」と記されている。』
地図
千代田区千代田1