所在地:千代田区千代田1
やっと再開です。
そういうわけで、今回は皇居内坂道散歩の話です。
場所は皇居内の前にとりあげた天守閣跡あたりからみると、南西の方向(天守閣跡からの眺めの写真でいえば、2枚目の写真の左側あたり)にあり、地図でみると白鳥濠のちょうど北側に位置していて、北西方面に下っている坂道です。
坂の名は、しおみ坂とよぶそうで、別名で塩見坂ともいうそうです。

写真1
まずは、写真1です。
天守閣跡のほうからテクテクと歩いてくると、立派な石垣が見えてきます。
高さでいえば3mくらいですかね。
むかしだったらここに門くらいあったかもと想像してしまうようなつくりです。

写真2
そして、写真1でも奥にちらりと坂上あたりの様子が見えていましたけど、樹々と石垣に囲まれた薄暗い場所をぬけると、一気に視界はひらけて明るく坂下のほうまで見わたせる場所にでてきました。
坂下には武蔵野の雑木林に模した林がひろがり、遠くには大手町あたりの高層ビル群が見えていました。
ちなみにここには坂の案内板もあり(写真1でも見えていますけど)、
『本丸と二の丸をつなぐ坂道でした。その昔、今の新橋から皇居前広場の近くまで日比谷入江が入り込み、この坂から海を眺めることができました。坂の上には、潮見坂門が設けられていました。』
とありました。
ということは、案内板の説明によれば、写真1の場所あたりにはかつて汐見坂門なる門がやっぱりあったということですかね。
あと補足の意味で、いつもお世話になっている“江戸東京坂道事典”の一部を抜粋させていただくと、
『むかしは本丸の上から江戸湾が一望にみえるので汐見坂の坂名がつけられた。“紫の一本”には、「塩見坂、梅林坂の上手御門の内なり、此所より海よく見え、汐のさしくる時は波ただ爰元へ寄るやうなる故塩見坂といふ、今は家居にかくされて見えず」と記され、下町方面が埋立てられて市街となってからは海も遠くなったようである。』
とあり、これと案内板の説明をあわせると、なんとなく当時の様子というか眼下にひろがっていた風景もすこし想像しやすいじゃないんですかね。

写真3
次はすこし坂をくだって、坂上のほうを眺めたものです。
よくみると正面+右側の石垣と右奥+左側の石垣のつくりがすこしちがっていましたよ。
これはなにを意味するんでしょう。

写真4
それで、せっかくなので、だいたい同じ位置より左側のほうをみてみると、なんとも強固そうな石垣とその下にある白鳥濠が見えていました。
もうここまでくると芸術の領域ですかね。人工造形物の。

写真5
今度は同じく右側の景色なども。
こちらは写真4にくらべると見劣り感が若干ありますけど、それでも圧倒感みたいなものはすごいです。
まあ、どちらにしてもトマソンてき隙みたいなものはほとんど感じない場所であるのかもなあとも思ってみたり。

写真6
あと、写真5でもちらりと見えていますが、なにやらここから見えている石垣のことについての説明が書かれた案内板が設置されていたのでぱちりと一枚。
とにかく説明がいっぱいあってわかりにくいんですけど、どうやらこの石垣はかつてはかなり古びていて損傷もひどかったようなので、最近修復工事がおこなわれたみたいで、その時のことが事細かに書かれているみたいでしたよ。
くわしいことはここでは書きませんけど、以外とじっくり読むとなかなかおもしろかったので、よかったら現地に行ったときにでもどうぞ。

写真7
そして、最後は坂下からの風景です。
こうしてみると以外と高低差はないようですね。
ただそれ以外はなにもつっこみようがありません・・・。
なんだかすごくかっちりした感じにも見えてきます。
地図
千代田区千代田1
やっと再開です。
そういうわけで、今回は皇居内坂道散歩の話です。
場所は皇居内の前にとりあげた天守閣跡あたりからみると、南西の方向(天守閣跡からの眺めの写真でいえば、2枚目の写真の左側あたり)にあり、地図でみると白鳥濠のちょうど北側に位置していて、北西方面に下っている坂道です。
坂の名は、しおみ坂とよぶそうで、別名で塩見坂ともいうそうです。

写真1
まずは、写真1です。
天守閣跡のほうからテクテクと歩いてくると、立派な石垣が見えてきます。
高さでいえば3mくらいですかね。
むかしだったらここに門くらいあったかもと想像してしまうようなつくりです。

写真2
そして、写真1でも奥にちらりと坂上あたりの様子が見えていましたけど、樹々と石垣に囲まれた薄暗い場所をぬけると、一気に視界はひらけて明るく坂下のほうまで見わたせる場所にでてきました。
坂下には武蔵野の雑木林に模した林がひろがり、遠くには大手町あたりの高層ビル群が見えていました。
ちなみにここには坂の案内板もあり(写真1でも見えていますけど)、
『本丸と二の丸をつなぐ坂道でした。その昔、今の新橋から皇居前広場の近くまで日比谷入江が入り込み、この坂から海を眺めることができました。坂の上には、潮見坂門が設けられていました。』
とありました。
ということは、案内板の説明によれば、写真1の場所あたりにはかつて汐見坂門なる門がやっぱりあったということですかね。
あと補足の意味で、いつもお世話になっている“江戸東京坂道事典”の一部を抜粋させていただくと、
『むかしは本丸の上から江戸湾が一望にみえるので汐見坂の坂名がつけられた。“紫の一本”には、「塩見坂、梅林坂の上手御門の内なり、此所より海よく見え、汐のさしくる時は波ただ爰元へ寄るやうなる故塩見坂といふ、今は家居にかくされて見えず」と記され、下町方面が埋立てられて市街となってからは海も遠くなったようである。』
とあり、これと案内板の説明をあわせると、なんとなく当時の様子というか眼下にひろがっていた風景もすこし想像しやすいじゃないんですかね。

写真3
次はすこし坂をくだって、坂上のほうを眺めたものです。
よくみると正面+右側の石垣と右奥+左側の石垣のつくりがすこしちがっていましたよ。
これはなにを意味するんでしょう。

写真4
それで、せっかくなので、だいたい同じ位置より左側のほうをみてみると、なんとも強固そうな石垣とその下にある白鳥濠が見えていました。
もうここまでくると芸術の領域ですかね。人工造形物の。

写真5
今度は同じく右側の景色なども。
こちらは写真4にくらべると見劣り感が若干ありますけど、それでも圧倒感みたいなものはすごいです。
まあ、どちらにしてもトマソンてき隙みたいなものはほとんど感じない場所であるのかもなあとも思ってみたり。

写真6
あと、写真5でもちらりと見えていますが、なにやらここから見えている石垣のことについての説明が書かれた案内板が設置されていたのでぱちりと一枚。
とにかく説明がいっぱいあってわかりにくいんですけど、どうやらこの石垣はかつてはかなり古びていて損傷もひどかったようなので、最近修復工事がおこなわれたみたいで、その時のことが事細かに書かれているみたいでしたよ。
くわしいことはここでは書きませんけど、以外とじっくり読むとなかなかおもしろかったので、よかったら現地に行ったときにでもどうぞ。

写真7
そして、最後は坂下からの風景です。
こうしてみると以外と高低差はないようですね。
ただそれ以外はなにもつっこみようがありません・・・。
なんだかすごくかっちりした感じにも見えてきます。
地図
千代田区千代田1