所在地:台東区池之端4
しみず坂とよぶそうで、別名で暗闇坂とも言うそうです。
場所は上野動物園の西隣を都立上野高校に向かって上る坂道です。

写真1
坂下からの様子です。(写真1)
右側が上野動物園の敷地ということもあり、樹木が元気よく歩道(むりやり区切られた感もなくなはないですけど)にとびだしていました。
舗装もなかなか行き届いている感じですかね。
坂上のほうは道が大きくカーブしていて見えていませんでした。
ちなみにここにはいつもの坂の碑があり、
『坂近くに、弘法大師にちなむ清泉が湧いていたといわれ、坂名はそれに由来したらしい。坂上にあった寛永寺の門を清水門と呼び、この付近を清水谷と称していた。かつては樹木繁茂し昼でも暗く、別名「暗闇坂」ともいう。』
とありました。

写真2
さらに坂上のほうに行きカーブに行き着いたあたりでぱちりと一枚。(写真2)
なかなかよい具合にカーブしながら上っている坂道だなあと思いつつもまわりも見渡すと、右側の上野動物園内の樹木もさることながら、左側にも大きな樹木があり、なんともおおきく道にとびだしていました。

写真3
写真2を見て、「ちょっと待って!」と思ったかた。(写真3)
正解ですよ。(笑)
写真3は、写真2の写真のさらに左側のものです。
ブラタモリでも紹介された建物ですけど、かなり異様な雰囲気をかもしだしていますよね。
今は倉庫として使われているようです。
しばらくはこのまま残っていてほしいかもです。
あとは手前のコンクリの門やら塀が傷だらけというのもなかなか現実味があるというかなんというか。
ほんとは門の両サイドは左右対称のつくりだったのだろうとと思いますけど、今はおそらく車がここにぶつかったかなにかで右上のほうの部分のさきっちょがもぎとられていますね。
なんだか生生しいというかなんというか。。

写真4
そして、坂上のほうまでやってきて坂下のほうを眺めてみました。(写真4)
ちょっとここから見る分には道がカーブしていたりしていることもあって高低差具合がわかりにくいですかね。
なんだかテーマパーク内にありそうなくらい緑と擁壁や塀に囲まれた道という感じがしなくもないです。
ただかつては別名で暗闇坂と呼ばれていたくらいですから、もっと樹木が生い茂っていて暗い雰囲気だったのかもしれないですね。
あと最後に、円地文子なる小説家が「妖」なる短編小説の中でこの坂道の描写をしており、その文が、江戸東京坂道事典に抜粋されていたので、すこしのせておきますね。
『その静かな坂は裾の方で振袖の丸みのように鷹揚なカーブを見せ、右手に樹木の多い高土手を抱えたまま、緩やかな勾配で高台の方へ延びて上っていた。片側には板塀やコンクリート塀がつづいていたが、塀の裏側は更に急な斜面に雪崩込んで崖下の家々は二階の縁がようやく坂の面と並行する低さだった。言わば坂は都心にしては広い丘陵地帯の一辺を縁どって低地の人家との間に境界をなしている形である。遠い昔には恐らく台地の一斜面に過ぎなかったのが、いつか中腹の帯のようにひろがった道が人や馬の踏み固めるまゝに自然の切通しになったのであろうか。(略)』
要は、当時も今とおなじく上野動物園側が一番高い位置にあってそこからなだらかな斜面になっており、この描写はいちおう坂下から坂上のほうをみる視点で書かれていて、今の清水坂は左側の家々とはだいたい同じ地面のレベル(高さ)にあるようにみえますけど、当時はさらに高低差があってちょうど踊り場のような感じで清水坂があったということを書いているようにおもうのですけど、どうでしょうかね。
地図
台東区池之端4
しみず坂とよぶそうで、別名で暗闇坂とも言うそうです。
場所は上野動物園の西隣を都立上野高校に向かって上る坂道です。

写真1
坂下からの様子です。(写真1)
右側が上野動物園の敷地ということもあり、樹木が元気よく歩道(むりやり区切られた感もなくなはないですけど)にとびだしていました。
舗装もなかなか行き届いている感じですかね。
坂上のほうは道が大きくカーブしていて見えていませんでした。
ちなみにここにはいつもの坂の碑があり、
『坂近くに、弘法大師にちなむ清泉が湧いていたといわれ、坂名はそれに由来したらしい。坂上にあった寛永寺の門を清水門と呼び、この付近を清水谷と称していた。かつては樹木繁茂し昼でも暗く、別名「暗闇坂」ともいう。』
とありました。

写真2
さらに坂上のほうに行きカーブに行き着いたあたりでぱちりと一枚。(写真2)
なかなかよい具合にカーブしながら上っている坂道だなあと思いつつもまわりも見渡すと、右側の上野動物園内の樹木もさることながら、左側にも大きな樹木があり、なんともおおきく道にとびだしていました。

写真3
写真2を見て、「ちょっと待って!」と思ったかた。(写真3)
正解ですよ。(笑)
写真3は、写真2の写真のさらに左側のものです。
ブラタモリでも紹介された建物ですけど、かなり異様な雰囲気をかもしだしていますよね。
今は倉庫として使われているようです。
しばらくはこのまま残っていてほしいかもです。
あとは手前のコンクリの門やら塀が傷だらけというのもなかなか現実味があるというかなんというか。
ほんとは門の両サイドは左右対称のつくりだったのだろうとと思いますけど、今はおそらく車がここにぶつかったかなにかで右上のほうの部分のさきっちょがもぎとられていますね。
なんだか生生しいというかなんというか。。

写真4
そして、坂上のほうまでやってきて坂下のほうを眺めてみました。(写真4)
ちょっとここから見る分には道がカーブしていたりしていることもあって高低差具合がわかりにくいですかね。
なんだかテーマパーク内にありそうなくらい緑と擁壁や塀に囲まれた道という感じがしなくもないです。
ただかつては別名で暗闇坂と呼ばれていたくらいですから、もっと樹木が生い茂っていて暗い雰囲気だったのかもしれないですね。
あと最後に、円地文子なる小説家が「妖」なる短編小説の中でこの坂道の描写をしており、その文が、江戸東京坂道事典に抜粋されていたので、すこしのせておきますね。
『その静かな坂は裾の方で振袖の丸みのように鷹揚なカーブを見せ、右手に樹木の多い高土手を抱えたまま、緩やかな勾配で高台の方へ延びて上っていた。片側には板塀やコンクリート塀がつづいていたが、塀の裏側は更に急な斜面に雪崩込んで崖下の家々は二階の縁がようやく坂の面と並行する低さだった。言わば坂は都心にしては広い丘陵地帯の一辺を縁どって低地の人家との間に境界をなしている形である。遠い昔には恐らく台地の一斜面に過ぎなかったのが、いつか中腹の帯のようにひろがった道が人や馬の踏み固めるまゝに自然の切通しになったのであろうか。(略)』
要は、当時も今とおなじく上野動物園側が一番高い位置にあってそこからなだらかな斜面になっており、この描写はいちおう坂下から坂上のほうをみる視点で書かれていて、今の清水坂は左側の家々とはだいたい同じ地面のレベル(高さ)にあるようにみえますけど、当時はさらに高低差があってちょうど踊り場のような感じで清水坂があったということを書いているようにおもうのですけど、どうでしょうかね。
地図
台東区池之端4
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