所在地:台東区上野公園17

しなの坂と呼ばれていたそうで、こちらもすでになくなってしまった坂道です。
場所は屏風坂(NO.197)のすぐ北側というか両大師橋をはさんですぐ隣あたりにあったようです。

いつもお世話になっている江戸東京坂道事典によれば、
『「新撰東京名所図会」の上野公園之部に「信濃坂 慈眼堂の裏門に在りて下谷坂本へ出る細路なり」とあり、文久の江戸図を見ると、慈眼堂と御霊屋の間から下谷坂本町へ出る坂下門へ続いている。現在の地図でいうと、博物館の東隣にある開山堂(通称両太師)の東北側を上野七丁目へ下る坂だった。』
とあります。

この文章をたよりに地図を見てみると現在の両太師は、学士院の北側にあるのでまあだいたいの場所をメモして行ってみると屏風坂(NO.197)のすぐそばだったというわけですよ。

信濃坂(NO.198)1

まずは両大師橋の上野駅と反対側のほうをメインにぱちりと。
今僕が立っている場所のほうが向こうにみえている上野公園東側のまちの場所よりも高い位置にあるためJRを超えたあたりから人工的にむりやり傾斜をつけて道路が下っているみたいでした。

信濃坂(NO.198)2

そして橋の上から上野公園のほうをみるとわかりやすい高低差のある崖になっていました。
なのでかつての坂道はこの左側から右側へと下る坂道だったのだろうと思いますよ。

信濃坂(NO.198)3

さらに橋をわたり同じく上野公園側のほうを眺めたものです。
奥に見えているのが両太師ですね。
なんとも手前の大規模なJRの線路といい奥に見えているお寺といいなかなかおもしろい風景がひろがっていたかもです。

というわけで、今回はさらりとこんな感じですけど、このあたりのかつてあった坂道と今ある橋とJRと公園の成り立ちの関係はなかなか興味深い関係にあるみたいなので、こんどちかいうちに図書館にでも行って古地図でも見ながらいろいろと検証でもしてみようかなと思いついたので(笑)、またその成果も調べがおわればそのうち(いつになるかは不明ですけど・・・)報告してみようかなと思っていますのでよろしくなりです。

地図
台東区上野公園17